第16話
少し、この状況にも慣れてきてしまった。
つるさんに後ろから抱き締められている私と、それを見るセラ。
…はやく、服が乾かないかな。
「あ。」
「どうしました?」
腰掛けていたセラが首をかしげて、顔だけを近づけてくる。
後ろのつるさんも、反応したようだ。
「火!起こせばよくない?
洗濯物も乾きやすいし。」
「あら。
さやはお利巧ですね。
せら殿もそう思うでしょう?」
「え、そう?…えへへ。」
「ええ。
楽土では、火は起こせませんが。」
「……いじわる。」
私のひらめきを完全に否定するつるさん。
残念ながら、火は起こせないそうだ。
この人は、なんでこんな嫌味な言い方をするんだろう!
やれやれとセラが溜め息をついて、布を一枚取り出した。
「この楽土には、布などの燃える物も、火花も存在します。
しかし、なぜだかその二つが揃っても、炎が上がらないのです。」
炎が燃え上がらない…
いまいち、想像出来ない状況だ。
乾いた布に火花を近づければ、簡単に燃えてしまいそうなのに。
もしライターやガスコンロがあっても、燃焼しないのなら意味はないのか。
「これも、黄泉のナントカ、なの?」
「…あら。
さやは本当にお利巧です、ふふ。」
もう!
掌の上で転がされている感じがする…
「そうだ。
つるさんって、どういうお仕事…職業だったの?」
「役の事でしょうか。」
つるさんの時代では、お仕事のことは、役とか、務めというらしい。
私の予想はずばり、戦う神主さんだ。
「源頼光さまの下で、怪物殺しを生業としていました。」
「ん?」
「怪異、妖怪変化、怨霊、鬼。
そのあたりの討伐が、主な役でした。」
怪物?妖怪?鬼?
…顔を後ろに向けて、確認しよう。
つるさんの表情を見てやる!
きっと、またいじわるを言っているに違いないんだから!
にやりと、笑うつるさんの顔を想像してみれば――
「あら?
興味は唆られませんでしたか?」
「……本当、なの?」
薄く笑うつるさんの目は、嘘を吐いているようには見えなかった。
「ええ。
誇りと覚悟を持って、やり遂げた役です。
これだけは、嘘ではありませんよ。」
「疑っちゃって、ごめん…
聞かせて、くれる?」
以前、つるさんは、自身の人生の話を”面白いもの”と言っていた事を思い出した。
その前に話を聞いたセラとイーゴンさんは、人生の話を”面白くない”と断定していたので、よく覚えている。
セラは、妖怪などの単語を理解できていないようだが、つるさんの生前の話には、興味が尽きないといった顔だ。
つるさんは、懐かしむような声色で、話を始めた。
「最初に殺したのは、中目蟾という、眉間に目のような紋のある蛙でした。
蛙といっても、子鹿くらいの大きさで、毒の肌を持ち、作物を荒らす厄介な相手で…」
「鹿サイズの、蛙…?」
……ちょっと、想像がつかない。
蛙は、特別嫌いなわけではないけれど、鹿くらい大きいと嫌悪感は最悪な程だろう。
「――その頃は、剣の術理などはまるで使えず、力任せに刀を振るっておりました。
当時は、十四…程でしたね。
結局、刀は折れ曲がって、それで殴り殺したものです。」
あのつるさんにも、剣がまともに扱えない時期があったんだ…
しかし、イメージ通り豪快というか、力任せな初陣だったようだ。
「じゃあ、蛙が最初の相手だったんだ。」
「人生で初めて殺した相手は、怪物ではなく猪でした。」
「わ、そうなんだ。
十四歳だったら、私より若い頃だね。」
「いいえ。猪を殺したのは九つの時です。
村に迷い込んだ猪を石で殴り倒し、夕餉としました。」
「……そっ、か。」
「ツル殿は、生まれた時からツル殿だったのですね…」
私とセラは、多分同じことを考えていたように思う。
つるさんらしいエピソード、な気がする。
「その次に殺した怪物は、霜毛猿という、白き毛の大猿でした。
その毛は鋭い氷で覆われ、多くの傷を受けたものです。
頼光さまの配下として、源氏家伝の手解きを受け始めた頃の相手です。」
どうやら、巨大蛙を倒して、見込みがあると思われたらしい。
頼光さまという方には聞き覚えがないけれど、源氏の偉い人だったのだろうか。
そういえば、つるさんは源義経を知らないと言っていたし、それより昔の人なのは確かだ。
「当時、同じ兵舎で修練をしていた、金時という男がおりました。
その者と組んで、退治したものです。」
「あ、同級生、みたいな感じかな。
友達だったの?」
「友…そう呼べるやもしれませんね。
私と力比べをして、互角であったのはあの者のみでした。
共に多くの死線を越えし、友と呼べる唯一の相手です。
正に剛の者、益荒男でありました。
なにせ、幼き折には熊と相撲を取っていたというのですよ。
可笑しいと大笑いしたものです、ふふ…」
……熊と相撲?
「そ、それって金太郎?
つ、つるさん、金太郎とお友達なの!?」
「あら。
確かあの者の幼名です。
後世には伝わっているのですね。」
日本人なら皆知っている童話の主人公と、友達だというつるさん。
私は、とても興奮してしまって、夢中で話の続きを欲しがった。
けれど、ふと、静かにしているセラの事が気になった。
見ると、セラがまた目を薄くして、口をとがらせ視線を横に流した。
「皇帝陛下の時と、反応が違うじゃないですか……」
下着と制服は、まだ多少湿っている。
恥じらいを失いつつあった私は、こそこそと物陰で服を着た。
つるさんも着物を正し、大太刀を背に携え、準備している。
しかし――
「イーゴンさん、どこに、いるんだろう…」
「……もし、あの間から穢れが大きく広がっておれば、いごん殿は立ち往生しているやもしれません。」
「同感です。しかし、戻るのは危険すぎます。」
戻れば、イーゴンさんと合流できる可能性はある。
けれど、あそこに戻れば私は無事では済まないという感覚がある。
プララヤの死体があるあの部屋には、もう近づきたくない。
思い出すだけで悪寒がして、強烈な拒否感が胸を締め付けるようだ。
「あの穢れから遠ざかる事、それがさやの清めとなります。
いごん殿には、自力でなんとかして頂く他はない。」
「イーゴン殿の負傷が大きければ、あの場に留まるのは危険です。
彼なら、それを理解して、傷を癒す事を優先するかもしれない。」
「…いずれにせよ、合流致すには時を要するでしょう。」
つるさんの大怪我は、あの部屋にいる限り、悪化する一方だった。
けれど、部屋から離れれば、水で清める前にはもう出血は止まっていたらしい。
私が最後に見たイーゴンさんは、間違いなく負傷していた。
無事だといいな…
「今のところ、あの部屋からここまでは一本道でしたが、この先岐路があるなら、何か目印を残せないでしょうか。」
セラの言うことはもっともだ。
私たちの所持品とか、なにかイーゴンさんに伝わりやすい物を、分かれ道に置けばいい。
私は、セーラー服のリボンを使う提案をした。
「色も鮮やかですし、なにかに括り付けられれば、見落とされる可能性は低いでしょう。名案ですね、サヤ。」
書く物があればもっと良かったんだけれど、分かれ道が来たら、この赤いリボンとはお別れだ。
穢れが、もしさらに拡散するなら、この滝壺付近も生者である私にとって危険地帯になる。
あの闇がどれほど広がっていくかなど、誰にもわからない。
けれど、とにかく離れるように動かなければならなくなった。
水筒にはたっぷり水を汲んだけれど、出来る限り多くの量を持っておきたい。
これ以上は容器に使える物はないと思ったが、周囲を見渡している内に、腰で鳴った音で閃いた。
「これ、鞘に水を汲んだらだめかな?」
この楽土では、剣は破壊できない。
ならば、鉄で出来た剣が錆びることもないだろうと、私は予想した。
「……奇麗事を申すつもりはありませんが、刀をそのように扱うなど、私は反対です。
小太刀を抜き身で持ち続けるつもりですか?
そんな事をすれば、全く敵意のない者と遭遇しても、戦いは避けられますまい。
あるいは水の入った鞘に刀を納めるとして、殆どの水は出ていくでしょうね。
さもしい案です。おやめなさい。」
「はい…
ごめんなさい…」
めちゃくちゃ怒られた…
でも、つるさんらしいというか、剣を尊重しているのが伝わってくる。
ここの住人は、皆反対するだろうな、と今さら気がついた。
滝壺のあった水場から出発して少し。
体感では気づかない程の下り坂になってきた。
というのも、水の流れる音がまだしていて、あの滝からの物だと気づいたからだ。
この水の行き着く先は、私が目覚めた、あの海なのだろうか。
あの穢れ、闇の水も、最終的にはあそこまで下っていくのかもしれない。
そう考えていると、もし、誰かの死体があの海に落ちたら……
私はもう、海に戻るなんて事はないだろうけれど、奇麗な所だった。
真っ黒になってしまうのは怖いし、悲しいな。
「異形か」
――男の声だった。
咄嗟に、小太刀の柄を左手で握りしめる。
前方、分かれ道のところだ。
左側の通路に、男が一人立っていた。
ゆったりとした和服を着た、細身の男。
「ほう、紛うことなき異物。
娘よ、お主は守られておるのだな。」
大きな目で威圧的に、私を見ている。
セラが前に出て視線を切った。
「何の用です?」
「ふむ…
憂さ晴らし、やもしれぬ。」
「…なによ、それ。」
これまで、色々理由をつけて狙われることは多かった。
けれど、この人の単なる八つ当たりで、私が危険な目に遭うなんて、いくらなんでも理不尽だ。
「まあ。
それでは腹立ちまぎれを治めるよき方法がありますよ。」
つるさんは、穏やかに言いつつも大太刀を抜いた。
その瞬間、通路の奥から、何人もの男たちが現れた。
…これは、まずい。
つるさんはまだ怪我が治りきっていないし、セラ一人でこの人数は絶対無理だろう。
無意識に、私はつるさんを庇うように前に出ていた。
震える手で、それを悟られないように、小太刀を握り締めて。




