第14話
――目の前のこの黒い肌の男は、以前見たことがある。
楽土に来たばかりであろう彼を、最初に見つけたのは私だったのだ。
その時も、今と同じ顔。この、心底怯えたような、恐怖に歪んだ表情で、足を縺れさせ、転倒しながらもお構いなし。
懸命に、死に物狂いで、私から逃げたのだ。
「うう、うおおおお!」
「ぐううう!」
男が放つ乱暴な連撃は、剣技と呼べる物ではなかった。
巨大なグレートソードは、傭兵の得物に見られるものだ。
それを、ただの鉄の塊かのように、こん棒のように、力任せで振るい続けている。
その持久力は計り知れない。受けるだけで精一杯だった。
サヤ嬢、そこにいるのか…?
もし、たった一歩後ろに――
足を竦ませた彼女が、へたり込んでいたら…そう思うと、なんとも恐ろしい。
回避に転じることは許されない。
この暴力が、後ろへ流れでもしたら――
視界が狭まってきた。
出血のせいか?
…頭に掠った一撃のせいか?
…ツル殿、セラ殿、どうか、お願いします。
セシリア、トマス、不甲斐ない私に代わって、どうかあの子を…
――闘志が沸き上がる。
一歩も退くことは出来なかった。
私は既に、満身創痍といえる程の損傷を受けている。
しかし、ここで死ねば、誓いは果たされず、後悔も拭いきれない。
何よりも、きっと、彼女は…自分を、責めるだろう。
それは…彼女を泣かせることは、紳士としては、到底許されない。
*
やっぱり、そうだ。
この白人は、あの時見た男。
きっと、ご主人が差し向けた、追手だ。
嫌だ、ブルートは、せっかく、逃げられたのに。
ここで、倒さないと。
また、痛いのは、嫌だ。
やっと、だれも来ない場所に隠れられたと思ったのに。
暗い道の隅で、ねずみが住むような物陰で、どんなに息を潜めても、ついには見つかってしまった。
…この男は、追ってきた。
ブルートを、連れ戻すために。
また、殺させるために。
怖い。怖い。怖い。
白人の奴隷として、ブルートは、何人も殺した。
殺すためのやり方を、黒人の仲間を殺すことで覚えさせられた。
失敗したら、鞭で叩かれた。
泣いても、鞭で叩かれた。
無理に笑っても、叫んでも、粥をくれと頼んでも。
白人は、大声で怒鳴りながら、楽しそうに、笑いながら…
嬉しそうに歯を見せて、美味しそうに、ワインを飲んで。
ブルート・マクバを鞭で叩いた。
*
恐怖が、伝わってくる。剣を通じて。
なぜだ…?
なぜ私を、怖がっているのだ。
黒い肌の剣士よ、何を恐れ、何から逃げたかったのだ。
知ることは、叶わないのだろうか。
暴風のように吹き荒れる乱撃を、ひたすらに防ぎ、耐える。
あと何度、受けられるか。
恐ろしい腕力と、それを十全に発揮できるグレートソード。
そして、その異常な持久力。
戦場で会えば、問答無用で死を覚悟するほかない。
両腕に、鎖の千切れた手枷をかけたこの男は…奴隷、だったのだろう。
数えきれないほど、猛攻を凌いだ時。
そこに、ある程度の規則性があることに気づいた。
七回ごとに、大きく息継ぎをする瞬間がある。
もう少し、もう少しだけ、耐えられれば……
五、六……七。
「っ!!はあ!!」
ここだ。
黒い肌の剣士が、次なる一撃をと振り被ったその時。
振り下ろすまでの、僅かな、ほんの僅かな隙間。
両肘が喉の高さを越え、遮る物が無くなった首元に。
真横に、線を引いた。
口と喉から、血を吹き出しながら、懸命に呼吸をする男。
私を見つめるその目は、未だなお恐怖に取り憑かれていた。
「黒い肌の剣士よ、見事だった。」
彼の目は、困惑の色に満ちた。
身体が、がたがたと震え、死が迫っている感覚に襲われているだろう。
その前に、最期のこの瞬間、彼の最後の相手として、私には言わねばならない事がある。
「もう、怖がる必要はない。
何が追ってきても、払いのけられる強さが、あなたにはあった。」
これほどの剣士に、そんな顔のまま、死なれるわけにはいくまい。
この言葉が、どれほど彼に響くかはわからない。
それに、結局これは私の自己満足かもしれなかった。
彼は少し、安心した顔を見せてくれた。
あらゆる恐怖から、解放されたかのような。
「はあ…はあっ…ぐっ…!」
消耗が、激しい。
後ろを振り向くと、サヤ嬢たちはいなかった。
…それも当然だ。
いたら三人とも、一日中お説教していたところだ。
合流しなけらばならない。
サヤ嬢を、一秒でも早く、安心させてやらねば。
きっと、自分を責めている。
来た道を戻り、分岐があったところまで歩くのに、かなりの時間を要した。
出血は、見た目ほどではないが、体力の限界が近い。
のろのろと、息を切らしながら進み、挫けそうな心を、時々叱りつける。
合流したら、サヤ嬢は泣くだろうか…
それはあまり、させたくはないが…
ツル殿はどうせ、「あの時右を選んでいれば、このようなことには…」などと、いつもの嫌味を言うに決まっている。
ふふ、何か、賭けてもいいくらいだ。
セラ殿は、傷の心配をするだろうか、無茶をしたと、叱るだろうか。
少しの間、旅のお荷物になってしまうな…
先の方には横路が見えて、ここでまた分岐のようだった。
水場の気配を感じるが、もしかすると、ここで休息を取っているのだろうか。
横路を覗くと、道ではなく、小部屋になっている。
「ぐ、なんだ、これは…」
そこには、新しい血痕と、割れた壺らしき物。
それに、男が一人、息絶えて倒れていた。
そして、寒気がするほどの――
「まさか…誰かが深手を…」
部屋の中には、誰も残っていない。
ここまでは一本道だった。
私と合流するなら、敵を倒した後、この部屋は適していただろう。
だがこれでは、長くはいられなかった――
膝から崩れ落ち、呼吸が荒くなる。
身体から急速に体力が奪われていく。
途端に、立ち上がれなくなった。
まずいな…
嫌な予感がする。




