第12話
血の匂いの充満しつつある闘技場を抜けると、そこは古びた石造りのトンネルのようだった。
中は暗いが、光源がどこかにあるようで、道の奥まで辛うじて見えている。
私は、かなり緊張していた。
こんな暗闇で襲われたら、何もわからず殺されるだけだ。
「サヤ嬢、不安ですか?」
「うん…
暗い場所で襲われたら、どうなるんだろうって…」
「それはもっともな話です。
…しかし、私がここに来て以来、一歩先も見えないような完全な暗闇に遭遇した覚えはありません。」
「私が知る限り、この楽土において、闇が剣士の手助けとなることはありません。
それは奇襲する者も、陰に隠れる者も同様です。」
イーゴンさんとつるさんの経験談。
完全な暗闇はない。
――そう言われて、あらためて思い返してみる。
確かに、これまで通ってきた道も建物も、暗がりは存在した。
しかし、誰の顔も見えなくなるほどではなかった。
どこから光が来ているのかは不明ではあるけれど…。
これも、楽土の解明できないルールのひとつなのだろうか。
「その、セラ。
さっきは、ありがとね。」
飛来した短剣から、身を挺して私を守ってくれたセラ。
彼女にも怪我がなかったので、一安心だ。
「いいえ、当然の事です。
…サヤ、足元に気を付けて。」
セラは前髪を整えながら、地形の確認をしているようだ。
地面も壁同様に石造りで、ブロック状に切り分けられた石材が敷き詰められている。
ブロックの中には、僅かに地面から飛び出している物もあり、注意が必要だ。
つるさんは大太刀を降ろし、手に持ったまま歩いていく。
斜め掛けした状態では、壁につっかえるからだろう。
改めて、長すぎる刀だけれど、さっきの戦いではやはり軽々と扱っていた。
世界でつるさんにしか、まともに振るう事が出来ないのではないか。
緊張は少し解れたけれど、私はまだ不安を抱えながらトンネルを歩いて行く。
皆は、私に合わせているのか、明らかに速度を落としてくれている。
でもさっき、つるさんは言った。
闘技場の戦いは、騒ぎが大きくなりすぎた、と。
これの意味するところは、流石に私でもわかる。
下層から出発してしばらくは、私が生者だという噂を追ってきた相手ばかりだったらしい。
現在は、噂の広がるスピードを振り切り、たまたま居合わせただけのならず者や、縄張り意識の高い剣士との戦いが、殆どだった。
「あの…
急がなくて、いいのかな…?」
「さや。
暗闇で不安なのは理解できます。
されど、この暗所で下手に速足で進めば、逸れる可能性もありましょう。
それはそなたにとって致命です。」
そう言ったつるさんの顔は、暗がりで表情までは見えなかった。
…けれど、やっぱり私に合わせてくれているんだ。
「先程の戦い、音が響いて、周囲にいた剣士には気付かれたでしょう。
しかし、闇の中に身を潜めて襲う相手は、単独の場合が殆どです。
奇襲が成立しにくいこの楽土で、単独の相手からすれば我らは四人。
無謀です。」
イーゴンさんの言った内容は、咄嗟には飲み込めなかった。
四人、って。
つるさんと、イーゴンさんと、セラと…
私!?
「サヤ嬢も帯刀していますし、暗がりで戦闘員と誤認する可能性はあります。」
そうなのかな…
でも、私が人数に入っているおかげで奇襲されにくいなら、それでいいか。
私は、腰の小太刀を意識しながら、皆についていくように歩く。
前にはつるさんとイーゴンさん。
後ろにはセラがいて、私が自分で歩くようになってからはこの陣形だ。
さっきの話を聞いて、気になった事がある。
短刀とか、ナイフとか、隠し持てる武器を使うような、いわゆる暗殺者のような人は、楽土では肩身が狭い思いをしているのだろうか。
ナイフ使いが剣の楽土に招かれるのかは、一旦置いておく。
「暗所での襲撃を主としていた輩。
楽土では、本領を発揮できようはずもありますまい。
ここは、奇襲や闇討ちなどが、意味を持たない土地なのやもしれません。」
つるさんは、暗殺者の出現の可能性をやんわりと否定した。
どんな剣士でも、正々堂々と戦うことが義務付けられているのが、この楽土なのかも。
周囲が少し明るくなってきた。
出口が近いのだろうか。
光が差し込み、地形の輪郭をはっきりさせた。
同時に、皆の姿もよく見えるようになっている。
…襲撃に怯えていたが、結局それは起きなかった。
トンネルを抜けると、明るい道に出た。
細いこの道を背骨にして、通路は櫛状に枝分かれしていた。
左右の横路はさらに狭く、人が通る事を想定していないかのようだ。
「真っ直ぐ進むしかないですね。
左右と後方の警戒も、緩めず行きましょう。」
イーゴンさんの意見はもっともだと思う。
こんなところに隠れて、通行人を襲うような人がいるかはともかく、左右の道はどう見ても集団行動には適していない。
行き止まりはなく、どの道もどこかへ抜けるように繋がっている――
楽土の地形についての話を思い出していたが、この無数の枝道の先も、最後には抜け出せるようになっているのだろうか…
さっきのトンネルに比べて、この道は細いが明るく、天井も高い。
しかし、進むにつれてどんどん狭くなっていくので、前方の二人態勢を一旦やめにした。
先頭から順にイーゴンさん、つるさん、私、セラの、一列構成となっている。
「サヤ嬢、なるべく音を立てないように。」
「うん、静かに…」
私は忍び足で、なるべく速く歩いた。
こういう時、スニーカーは名の通りとても頼もしく、足音が響かなかった。
「すごい靴ですね、サヤ。」
「そうでしょ!
私の時代では、皆こういう靴を履くの。」
現代の素材と縫合技術によって作られたスニーカー。
これが無ければ、長時間歩き続けるなんて出来なかっただろう。
バイト代で買った、お気に入りのライトブルーの靴。
日本メーカーのこの靴が、とても誇らしかった。
「さて、どうしましょうか。」
長い直線の細道は、ついに突き当たりに到達した。
左右に、ほとんど差のない狭さの道が続いている。
イーゴンさんは頭を悩ませているけれど、これはどちらを選んでも、結局のところ運ではないかと思った。
「右です。」「左でしょう。」「左ですね。」
三人が一斉に意見し、完全に同じタイミングだったのがおかしくて、私は大笑いしてしまった。
「……さや。
声を上げるのはおやめなさい。
……そなたは、右が良いと思いますね?」
「え、左が二人だから、左で良くない…?」
つるさんは、ほんの少し、拗ねたような顔をして歩き出す。
そんなに右がよかったのか、意見を通したいだけなのか…
どちらにせよ、つるさんの可愛いところを見つけたようだ。
左の道を選んで進んでいく私たち。
道はさっきより、なんとなく明るい気がする。
ということは、外か、光が届きやすい地形に近づいているのかと予想できる。
もし、こっちが正解だったみたい、と口にすれば、つるさんはどんな反応をするだろうか。
――なにか、金属が擦れるような音がした。
なにか、大きな振動が響いてくるような感覚があった。
それは、もう目の前まで、来ていた。
私は、言葉を失った。
「う、うわああああ!!」
大柄な黒人男性だった。
まるで、何かに追われているかのような、恐怖の表情で顔を歪め、絶叫しながらこちらへ走ってきていたのだ。
先頭のイーゴンさんが咄嗟に、剣を抜き、構える。
硬く重い物がぶつかる音が、空気の震えと共にここまで届いた。
「引き返して!行きなさい!」
イーゴンさんが叫んだ。
黒人の剣士は、巨大な剣を乱雑にイーゴンさんにぶつけている。
何度も、何度も、何度も。
あれは、斬るための動作ではない。
私は、目の前で起きる暴力の嵐に、身を竦ませていた。
「さや!」
つるさんに手を引かれ、足を縺れさせながら走っていく。
でも、だめだ。イーゴンさんが、ひとりになってしまう。
「待って、イーゴンさんが!」
「黙りなさい!」
振り返ると、猛攻を受けて血を飛び散らせているイーゴンさん。
そして、悔しがっているような、沈痛の表情のセラ。
突然のイーゴンさんとの別れに、私は、泣くことも出来ず、ただ手を引かれて走るのみだった。




