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剣の楽土  作者: かが介六郎
第一部 楽土の華

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第11話

闘技場の門は、一際古びた様子だった。

表面が風化した砂色の石材は、長い年月を感じさせる。

まるで、忘れ去られたように。


「来たな!我が魂を震わせる者が!

汝は、この私へ挑戦する資格を得た!

名誉のため、ここでどちらかが朽《く》ち果《は》てるまで、存分に!

血で血を洗う、見るも無残な決闘は、神々にも届こう!」


…お、大きい声だ。お腹の底にまで響く、大きすぎる声。

私も、皆も、耳を劈くような爆音に、顔をしかめている。

石壁に反響《はんきょう》したその声は、さらに数段、威力を増していた。


目の前には、固い砂の地面。

そこに刺さる無数の剣と、古い血痕。

朽ちた観客席には瓦礫《がれき》が散乱し、砂が積もっている。

中央には、半裸の男。洋画で観た覚えがある。

あれは、剣闘士というやつだ。


「我は!神々の視線を奪いし者…!

円形闘技場の最後の勝者にして、不敗の伝説!

…英雄アンドロクレスなり!」


「…長々と、近頃の流行りなのですか。」


つるさんが一歩前へ出る。

ロレンツォの長話からこっち、連続で一方的に話を強制されているのに、腹を立てているらしい。


「おお、女戦士か!

なんということだ…ローマの民よ!

これでは、英雄アンドロクレスはウェヌスをも嫉妬《しっと》させてしまうだろう!

神をも恐れぬ女よ!

これは世紀の一戦となろうぞ!」


「ローマの民って…」


見渡しても、観客席には一人もいない。

それなのに、さっきから、満員の客に呼びかけるように、大仰な言い回しを続けている。

大きい声は、それ故のことだろうか。

アンドロクレスは、手を耳の後ろに添えて、何やら反応を伺っている。

とても気持ちよさそうな、自己陶酔《じことうすい》に浸るような顔で…


「剣士に非(あら)ず。

……見世物ですね。」


つるさんの周囲の空気は、凍りついたように温度を下げる。

私は察して、少し下がり、イーゴンさんは入口側の警戒をしているようだ。


『そこでは哀れな演者が、ただ一人で演目を取り仕切っている。』


ロレンツォはそう言った。

目の前の男は、何かを演じているのだと腑《ふ》に落ちた。

…けれど、なぜだろう。

それを見ている観客は、ここにはいないのに。


「女戦士よ!

我は、正々堂々と戦おう!

力の差が歴然であってもだ!

この円形闘技場で闘士として、名誉ある死を貴様に与える。

それを齎(もたら)す者の名は、アンドロ――」


我慢ならんといった様子で、つるさんは斬り掛かった。

相手は飛び退《の》いてそれを避け、手を横に広げた大袈裟なポーズを取る。

驚いた表情のアンドロクレス。

これまで、痺《しび》れを切らした相手から急襲《きゅうしゅう》されることはなかったのだろうか。

彼は、地面に刺さっていた剣の一本を引き抜き、切っ先をつるさんに向けた。


「なんと野蛮な!

勝ち目がないと知って立ち向かうその意気やよし…だが!

貴様のそれは舞台を白けさせる!

断じて、許してはおけん!」


つるさんを相手に、それでも饒舌にまくし立てるアンドロクレスは、短めの剣で応戦する。

しかし、今ならわかる気がする。

つるさんの剣を受けるということが、何を意味するかを。


「ぬ…うおおおお!!」


鍔迫《つばぜ》り合《あ》いが起きた。

けれどこれは、そんな生易《なまやさ》しいものではない。

じんわりとアクセルを踏む自動車を、人が腕力で押し返せる道理はない。

真正面から、大太刀で押し潰すつるさんの異常な力に耐えきれず、アンドロクレスは持っていた剣を、自らの胸に食い込ませている。

両刃の剣は、それだけで彼の胸に傷を作り、立体的な胸筋の上を、血が滴《したた》り落ちていく。


「な、なんたる膂力《りょりょく》か!」


喋る余裕があるようには、到底見えない。

それでも彼は、芝居掛かった台詞を、必死に吐き続けている。

たまらず、剣を捨てて後方に飛び、距離を取るアンドロクレス。

すぐ手に取れる剣は、彼の位置にはなかった。


「おお…おお!神々よ!

これは英雄に与えられし試練か…!

半神たる女戦士を…我が元に遣《つか》わしたのだ!」


彼は息を切らしながら、身振り手振りを交えつつ、なおも演じ続ける。

しかし、肩で息をするほど、消耗しているようだ。


「ローマの民よ…!

アンドロクレスは諦めない!

見よ!これが、半神に立ち向かう我が覚悟!

アポロの矢だ!」


矢…?

そう考えた瞬間、彼は腰の短剣を抜き、それを投げつけた。

つるさんは冷静に大太刀で弾いたが、回転する刃は軌道を大きく逸らし、地面に刺さっている剣に跳ね返り――


「えっ…」


私の、目の前―――


「っ、さや!」


「きゃっ!」


気づけば、地面に倒れていた。

背中を強打し、呼吸が乱れてむせた。

セラが庇《かば》うように、私に覆いかぶさっている。


「セラ、セラ!大丈夫!?」


「う…サヤこそ…」


短剣は、どこだ。

セラの身体をさすり、怪我がないか確かめる。


「神々よ!今こそ見よ!」


声だけが聞こえ、戦闘は続いているとわかる。

つるさんは、こちらに気を取られていた。

不意を突かれて、剣を受けてしまったのだろうか。

私は頭だけを起こして、つるさんを見る。


「サヤ嬢!セラ殿も…

どうやら、お怪我はないようですね…」


イーゴンさんの声を耳元で聞きながら、セラの無事を確認する。

つるさん、つるさんは、どうなった。


アンドロクレスは剣を再び手に取り、猛攻を仕掛ける勢いだった。

つるさんは、体勢を半ば崩しながら、不規則に来る連撃に対処していた。

倒れそうになる身体の勢いを、そのまま剣に乗せ、上体を反らしながら逆袈裟《ぎゃくけさ》斬りを放っている。


「ぐっ…!半神とは、斯様《かよう》な剣舞を使うか!

しかし、名誉あるローマの英雄に敗走はあり得―」


「うるさい。」


音もなく、大太刀が真横に薙いだ。

アンドロクレスの胸には、二つ目の傷が横に走り、最初のと合わせて十字を切っている。

斬られてほんの一瞬、時間が止まったように、その傷口は微動だにしない。

しかし、不自然な程遅れて、それは起きた。


「うっ…ぐおおお!」


彼は大の字に倒れ、その胸からは、ようやく血が噴きだす。

倒れ方まで、芝居掛かっているように見えて、もはや感心さえしてしまいそうだ。


大太刀の間合いは遠く、つるさんは仕留めんと歩みを進める。

私はセラを抱きしめたまま、その様子を見ていた。


「あの…サヤ。

もう、大丈夫ですから…」


「あ、ごめん!」


「お手を。」


イーゴンさんは、伏している私たちの手を取り、二人まとめて引っ張り起こしてくれた。


「つるさん、すごいね…」


「はい。

先の決闘者が言っていたように、あの剣闘士は弱者ではなかった。

しかし、ツル殿とは役者が違う。」


「ぬうううう!」


しかし、アンドロクレスはその瞬間、起き上がった。

これまでにない迫力だ。雰囲気が、変わった。


「おお…おお…!見よ、半神よ!

この溢れんばかりのローマ市民たちを!

聴け、神々よ!割れんばかりの喝采《かっさい》を!

英雄アンドロクレスは、諸君らの期待を裏切ることは決してない、ないのだっ!」


…なにか、これまでの口上とは決定的に違った。

今のは、歓喜の声だった。

ずっと、永い間待ちわびたものを、ようやく手にしたかのような。 


つるさんは、少しだけ、不安げな顔でふとこちらを見た。

私は、目だけで訴えた。平気だよ、って。


薄く笑って、正面を向いたつるさん。

その背中は大きく、頼もしく映った。


「おお、アエテルヌス!インピウスよ!

友よ、我が名誉の瞬間を共に祝ってくれい!」


瞬間、距離が瞬時に詰まったように見えて、瞬きを忘れる。

見入っていた、つるさんの剣に。


真っ向からの振り下ろしを見舞い、アンドロクレスは軌道を逸らすように防御する。

次も、振り下ろし。その次も、振り下ろし。

寸分違わず同じ軌道で振り下ろされる剣に、次第にアンドロクレスの対応が巧《うま》くなっていくのがわかる。

彼はかなりの出血だが、消耗しているどころか、活力が漲っているようにすら見える。

しつこいくらいの真っ向勝負だが、すべてが必殺の威力とあって、彼は必死に防御の構えを維持していた。


「ほう、それが得意技とみた!

最も研鑽《けんさん》を積んだ技で挑むとは、見上げたものだ!だが!」


一転、アンドロクレスが、つるさんの剣を大きく弾き、カウンターを叩き込む。

叩き込もう、と、していた。


「なんと…」


イーゴンさんが感嘆《かんたん》の声を上げた頃には、決着がついていた。

私は、見たものを理解するのに、整理して考える時間を要した。


――圧倒的、だった。



剣を弾かれ、つるさんは大きく体勢を崩した。

そこへ、アンドロクレスの全体重を乗せた突きが迫る。

倒れ込みそうだったつるさんは、大太刀の刃を地面に深く突き立てて、ぴたりと止まった。

刃は、逆さに。

大地に、突き刺さったまま。

アンドロクレスの突きは軌道が逸れ、その身体は勢いのまま、つるさんに吸い込まれていく――

大太刀は、そのまま動かなかった。

それなのに、右腕から、肩、首へと――

傷が、順番に「開いて」いった。


私の目線では、アンドロクレスは自分から斬られに行ったのと同じだった。

行くように、誘われてしまった。

――彼は、そのことに気づいていたのだろうか。


首まである傷は大きく、大量の血が、砂の地面に染み込んでいく。

痙攣《けいれん》を起こす彼を、私は直視するのが辛かった。

終わってみれば、つるさんは無傷だ。

この人に勝てる人間なんて…この世にいるのだろうか。


「参りますよ。

騒ぎが大きくなりすぎました、急ぎなさい。」


慌てて出発する私たち。

確かに、大きな声や音が周囲に響き渡っただろうから、人が集まってくる可能性は大きいといえる。

しかし、あれだけ圧倒的な戦いをしておいて、得意げな顔ひとつしない。


ついさっき、人を、殺したのに。

隣で優しく、教えを授けてくれたつるさんを知っている私には、その背中が同じ人のものには見えなかった。


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