第10話
楽土の外壁に沿った階段を、上へ上へと進む私たち。
自然と、口数は少なかった。
闇深い建物の中から出て、雲一つない晴天の中を歩いているのに、私たちを包む雰囲気は、どんよりと暗く淀んでいた。
はあ、とつるさんが、わざとらしく溜め息を吐いた。
「いい加減になさい。
死んだわけでなし、重い空気となる由がありません。」
「でも…それでも、寂しいよ。
つるさんは、寂しくないの?」
「そなたは私を勘違いしています。
浅倉殿は、我らにとって戦力でした。
今は、それに頼らぬやり方を考えるのみです。」
「…冷たいよ。」
それっきり、つるさんは何も言わなくなった。
私は感傷に浸りすぎていると、自分でもわかっている。
つるさんはそれを、しっかりしなさいと、言ってくれている気がした。
けれど、まるで反抗期の子供のように、素直にはなれそうもない。
どこかで切り替えないといけないと、頭では理解しているけれど、今はまだ出来そうもない…
知る人が誰もいないこの場所に来た時、最初に会ったのがイーゴンさんと浅倉さんだったのだ。
それからずっと、言葉数は少ないものの、一緒にいたのに。
ああ、もう、暗く考えすぎだ……
「サヤ、大丈夫ですか…?」
「大丈夫、じゃないかも…」
イーゴンさんの前に出て来たセラは、私の顔色を覗っている。
彼女を困らせる気はないけれど、気分が切り替わるのにはまだ時間がかかりそうだ。
崖沿いの階段を登りきると、屋内への入口がある。
下を見ると、青み掛かった空気の層に阻まれ、地面が見えないくらいの高さだった。
私は高所恐怖症ではないつもりだったけれど、これだけ高いと、恐怖を感じないのは無理な話だ。
やっと、落下の心配がない場所に落ち着いた。
すぐに、だだっ広い空間に足を踏み入れる。
…まあ、イーゴンさんが、だけど。
広間の奥にはもう外が見えていて、橋のような物が架かっているのが遠くからでもわかる。
また落下の心配をしないといけない、と少し憂鬱気味だけれど、ここで一旦休憩となった。
考えてみれば、分岐路を進んで、処刑人との戦闘、浅倉さんとのお別れから、ここまで来たのだ。密度の高い時間だった。
水を一口だけ飲み、つるさんに稽古をつけてもらう前に一息つけた。
素振りをまた五百回こなし、隣でお手本になってくれていたつるさんは、大太刀を納刀した。
「せら殿の剣を受けてみなさい。
型は、覚えていますね?」
「は、はい!」
セラは、一安心といった顔で、剣を抜いて構える。
彼女の剣は、小振りな細い剣で、鋭い刃と切っ先を持つ。
レイピア、と呼ぶらしい。
こういった針のように細い剣は、突き攻撃専門のイメージがあった。
それはフェンシングとか、現代スポーツの印象が強いからだが、斬りつける事も出来るようだ。
防御の型を取る私に、セラの攻撃が来る。
彼女が相手だからか、前回のつるさんの迫力を受けたからか、恐怖はほとんど感じない。
高い金属音が何度も響き、手に伝わる衝撃に顔を歪める。
セラは、徐々に素早く、強い剣戟を打つようになっていて、こちらの限界を試すような動きだ。
私は可能な限り食らいついたつもりだったが、十分も経たずに、尻もちをついてしまった。
「ふう。
立てますか?」
「はあ…はあ…
すごいね、セラは。」
手を貸して貰い、立ち上がる。
「始めたばかりにしては、上出来です。
しかし、剣だけを目で追わないように。」
セラからのアドバイスは、よくわからない。
剣を目で追わないと、防御も回避も難しくなるように思うけれど…
「相手の姿勢、目線、足回り、肩の動き。
そこから剣の軌道を予測しなさい。」
「あっ…
そっか、全体を見るって事?」
「ええ。
よく視て、徹底的に相手の剣を通さない。
そうしていれば、焦った相手には隙が出来てくるものです。」
耐えていれば、チャンスは巡ってくる。
誰かの助けが間に合うように、しっかり見れるようにしないと。
「でも、防御に専念してたら、勝負は着かないんじゃないの?」
そう尋ねると、セラは私に背中を向けた。
「少し大袈裟ですが、もし相手の背後を取れたら、好機だと思って攻撃する。
これは、当然の思考ですね。」
…確かに。
今のセラには、私の姿は見えていない。
ここで不意打ちすれば、私でもセラに勝てる可能性は高い。
「では、確実に倒すためにする事は?」
「えっと…
その、急所を狙う…」
心臓とか首、とか…
「こういう場面で、大振りの挙動を取る相手は多い。
とどめの一撃だと、意気込んで。」
「力が入っちゃう、って事?」
なんとなく、心理としては理解出来る。
セラは剣を下げて、打ってくるように促した。
無防備な状態に見える彼女に、小太刀で攻めてみる。
「わっ!」
しかし、その軌道は逸らされ、私は前のめりに倒れかかった。
セラが服を引っ張り、なんとか転ばずに済んだ形だ。
「大きい挙動を外すか、逸らされればこうなります。
私が敵なら、どうなっていたかわかりますね?」
「こんなの…いつも、やってるの?」
一歩間違えれば大怪我か、もっと悪ければ死…
セラは微笑み、剣を鞘に収めた。
「サヤにはまだ当分、先の話です。」
今更になって気が付いたけれど、脚の怪我が全く痛くない。
そのことを伝えると、セラは包帯を解いて傷を観察してくれた。
「傷は完全に塞がっていますね。
これなら、もう自分で歩いても良さそうです。」
「わ、ほんと?」
自分の事のように喜んでくれるセラに、思わず私もはにかむ。
「では、私はお役御免ですかな。サヤ嬢。」
「あはは。イーゴンさん、ありがとうございました!」
お辞儀をして、これまで文字通りお荷物になっていたことを謝ると同時に、感謝する。
空気が明るくなった。
つるさんも、静かに微笑んでいる。
「あの、つるさん、この持ち手の握り方…」
「さや。
持ち手ではなく柄です。」
刀には、部位毎に細かく名称が定められている。
それは、なんとなく知識として持っていたけど、この機会にちゃんと知っておきたいな。
そう言うと、つるさんと隣同士で座り、講義を受けることになった。
こんなに近くにつるさんがいるのは、私が大泣きして抱きついた時以来だ。
「鋒、刃、峰、この間が、鎬…」
つるさんは、小太刀の部位それぞれを指さし、名前を教えてくれる。
「鍔、縁、目貫、そして頭。
柄頭とも申します。次に…」
当たり前だけど、やっぱり詳しい。
すらすらと答えてくれる。
「表に出ている刃全体を刀身、柄巻の中に収まっているのが、茎です。」
「なかご……」
どこかで聞いたことがあるような。
「あら。
茎だけ存じていたのですか?
変わっていますね、さやは。」
――思い出した。
クラスメイトの石井君と岸本君が、教室でなにか寸劇のようなやり取りをしていたことがあった。
「その時、えっと…二人で剣の真似事をしてて。
それで、一人が刃じゃなくて、茎で受け止めたんです。
なにかの物語の、一場面らしくて、”茎受け”って。」
「茎で……」
つるさんはとても真剣な顔になった。
物語の中の話なのに、やけに真に受けている。
「物語…伝説上の話ということでしょうか…
斯様な逸話は存じませんが、茎受けとは正に人外の技。
受けた御方はさぞ、名のある練達であったのでしょう。」
ものすごく感心している。
もしかして、つるさんの時代には、昔話とか芝居とか、お話に関する物が、少なかったのかな。
「されど、斯様な練達が茎で受けざるを得ない程、追い詰められていたとすれば…
剣を放ちたる相手もまた、類稀なる兵であったのでありましょう。」
「そ、そうかも、あはは。」
もしかしてつるさんは、意外と抜けているのかも。
この旅が始まって、ついに、自分の足で歩き出す時が来た。
ただ歩けるだけなのに、なんだか感慨深い。
歩きながら、イーゴンさんが、ぐーっと伸びをしている。
「まあ。
イーゴン殿、わざとらしいですね!」
「おや。ただの運動ですよ、セラ殿。
私の印象を悪くするような発言は、慎んでいただきたい。
サヤ嬢が勘違いしてしまう。」
「あ、やっぱり重いって…」
「失礼ですよね、サヤ。
私が文句を言ってあげます!」
「あら。
いごん殿は戦にも参じておられないのですから、身体を動かしたくて仕方がないのでしょう。
あの橋まで速足で行きなさい。後に合流と致しましょう。」
「参りました…
今、とてもアサクラ殿が恋しい。
女性の団結力には、男一人では敵うはずもない。」
「はは、あはは!」
この天気と同じように、晴々とした気持ちだ。
思いきり息を吸い込んで、足を前に出す。
皆でいれば、不安なんかどこかへ吹き飛んでしまう。
あれ、そういえば。
五条大橋の話をした、あの渡り廊下にいた時と、同じくらいの明るさのままだ。
「さや。
…あれが、べんけいでしょうか?」
「え、弁慶?」
ちょうど、五条大橋のことを考えていた時、不意につるさんから声がかかる。
つるさんの視線を追うと、進路の先は橋になっていて、そこには、男が一人立っている。
西洋風の黒い布の服を着た、細身の剣士だった。
左肩に、肘までの長さのマントを掛け、それが風に靡いている。
相手の反応から察するに、とっくに私たちに気づいているようだ。
「…あれは弁慶じゃない、と思う。
敵、なのかな?」
「敵意は感じません。
待ち人来たらず、といったところでしょうか。」
つるさんによれば、即時戦闘といった空気ではなさそう。
実際、もう五メートルの距離だが、相手は構えてもいない。
しかし、立ちはだかるように、道を塞いだ。
「…ふむ。」
こちらを値踏みしたような目だ。
なんとなく、戦う相手を選んでいるように見えた。…それも、ちょっと上から目線。
セラが、視線を切るように私の前に立つ。
「うむ!
そこの金髪の女よ。」
「…なんですか、あなた。」
「これは失礼。
私はロレンツォ・ヴァレンティ。
あなたに、決闘を申し込む!」
ロレンツォと名乗った男は、セラを指名した。
決闘とは、一対一での真剣勝負を意味する、あの決闘だろうか。
「…私には、それを受ける理由がない。
お断りします。」
「つれないな、乙女よ。
見たところ、この一団の中で君が最も私と対等だ。
存分に剣技を交え合い、称え合おう!
素晴らしい決闘になる!」
セラが拒否したにも関わらず、一方的に申し入れを続けるロレンツォ。
けれど、私は腹が立っていた。
決闘と言って、小柄な女性のセラには勝てそうだから、勝負を挑んだようにしか見えないからだ。
次は、決闘を受けなければ、ここは通さないとでも言い出すつもりだろうか。
「対等、ですか。
それは、武器が似ているからだとか、私が女だから?」
「なにを言う。
あなたの姿勢、歩幅は私の物と似通っている。決闘は成立しよう。
…うむ、フランスの出だな?
年代も近いだろう、待ちわびた強者だ。」
「ここで剣士としての作法を貫いているのですか?
酔狂ですね。」
「惜しいが違う。
笑われたとしても、決闘者とはこういう病を抱えた生き物。
私たちはここで、それでも剣士として戦い、死ぬことにこそ真の美しさを見出す。」
「付き合っていられません。
先を急ぎます。」
セラが一歩前に出た。
私は、咄嗟に、彼女の手を掴んで、しまった。
「あ、ご、ごめん。」
「サヤ、大丈夫。勝負はしません。」
ロレンツォは、私とセラを交互に見ている。
「うむ。
あなたの剣は、この場で抜かれはしないか。
守護者の剣、斯くも力強いものとは。」
一人で納得した様子の男は道を開け、通れと促した。
手当たり次第に襲い掛かるような、他の剣士とは違ったようだ。
彼なりの美学、のようなものがあるのだろう。
「詫びではないが、一つ知らせておこう。
この先には闘技場があってな。
そこでは哀れな演者が、ただ一人で演目を取り仕切っている。弱者ではない。
あなた達なら問題なかろうが、注意することだ。」
「それ以上喋るなら叩き落とします。」
つるさんの脅しに、しかしロレンツォはどこ吹く風だ。
彼の美学の押し付けに、私と同じく腹を立てていたのかもしれない。
私たちは一言も口を利かず、立ち去った。
あの男は、ふさわしい相手が見つかるまで、永遠にあそこで待ち続けるのだろうか。
橋を越えてしばらく、上り坂になっている一本道を進んでいく。
私は少し息が上がってきているが、初心者向けのハイキングコースのようなこの道は、結構歩きやすい。
時折、砂埃が舞う。
かなりの高度だからか、吹く風はとても強く、身体を持っていかれそうになることもあった。
「あれが闘技場、ですか。」
イーゴンさんが呟く。
闘技場というと、イタリアのコロッセオを思い浮かべていたが、目の前にあるのは傾いた円形の塔のような、くたびれた建物だった。
天井部分は開いているようで、中は明るいと予想される。
道の先がそのまま入口になっていて、来る者を拒まずといった風に、扉などはない。
この先にいるのは、弱者ではない、とロレンツォは言っていた。
けれど私にとっては、ここの住人は誰であれ致命的だ。




