第123話
うわっ、雨すご…
憂鬱な気分になる。
天気のせいやないと思うけど、やっぱり茅陽、調子悪いな。
…はやく剣士を見つけて、終わらせんと。
左右に往復するワイパーは、ほとんど機能していない。
雨足がどんどん強くなって、交通状況も麻痺し始めてる。
今日事故起こした人、交通課に恨まれるやろうなあ…
「まこちゃん、おはよ。」
「おはようございます。」
並んだデスクの端にいるのは、二つ上の先輩、若山さん。
少し濡れた上着を、椅子に干すように掛ける。
今日も彼女の隣で、書類仕事からスタートする。
「なあんか、辻野くんずっとおらへんよね。」
「探さないでください、ですかね。」
えーっと…
参道のトラブル、取扱票上がってるな。
ストーカー相談の受理票、まだ証拠弱いんか。
被害者宅周辺の警ら強化、と。
報告書のチェックをする傍ら、別のことを考えていた。
剣士対策チームは、極少人数。
辻野くんは連日、監視カメラの映像検証に追われて、缶詰になってるらしい。
宮本さんはここ数日の通報から剣士の匂いを探っている。
私は、有事の際にいつでも走り出せるように、融通の利く仕事を回されている。
…剣士を発見する場所にもよるけど、なんとか屋内で倒さなあかん。
忌助には無茶言うようで悪いな。
もし、殺さずに動きを止められたとしたら、安全に屋根のある場所で処分できるんやけど…
忌助と実力差が開いてる相手やったら、それも可能ではある。
でも、今回の二人は強敵…
最悪外で…いや、取り返しがつかん…
「ん、江上さんまた来てはるわ。」
「…昨日もいてましたね。誰に用事なんかな。」
「昨日は坪内さんとなんか喋ってはったよ。」
刑事課係長の坪内さん。
雨雲を吹き飛ばす熱い男…やったのは、昔の話。
伏見事件で部下を亡くして、人が変わったように静かな人になってしまった。
宮本さんと江上さんは、坪内さんの後輩で、よく昔話に花を咲かせている。
…でも、勤務外で顔を出すタイプでもないはずやけど。
それが二日続くとなると、なにか勘ぐってしまう。
昼時になって、お弁当を広げる。
肩凝ったなあ…
保冷バッグからお弁当箱を取り出すと、ピーマンとオイスターソースの匂いが、私の理性を消し飛ばそうと襲い掛かった。
「え、美味しそうやなあ。」
「…あげませんよ。」
「なにい、私そんな意地汚くないし。」
若山さんは野球ボールサイズのおにぎりを頬張っている。
左手は食事のために動かし、右手でキーボードを叩く。
意地汚くはないけど、行儀は悪いんちゃうかな…
「お、珍しい。」
夢中で青椒肉絲と格闘していると、若山さんが素っ頓狂な声を上げた。
顔を上げると、私のすぐ隣に誰か立っている。
「ふえ?」
「いい食べっぷりですね、巡査部長。」
「ど、どうしたん、茅陽!」
び、びっくりしたあ…
この子が自主的に署まで来るやなんて、初めてちゃうかな?
あれ、服買いに行くとか言うてたのに、そっちはもうええんか。
「美味しかったですか?」
「めっちゃ美味しい~、毎日これがええわあ~。
……あっ。」
「うーわ、まこちゃん…
家ではそんな感じなんや。」
やってもうたあ…
あー、気い緩んでたなあ。
見渡すと、にやにやした顔の男連中がこっちを見ている。
めっちゃ恥ずかしいわ…
「あ、えっと、いつもはこんな感じじゃなくて…」
「佐山ちゃん、嘘はあかんで、嘘は。」
「若山先輩、勘弁してください…」
茅陽は、雨避けのビニールで包まれた大きなショッパーを持っている。
買い物帰りに署に寄るって、変な子やなあ…
「うわ、またレアキャラやん!」
「え?」
再び若山さんが声を上げ、地域課に顔を出した誰かを探す。
すると、おぼつかない足取りで歩いてきたのは…
「顔色わるっ。
大丈夫か、辻野くん。」
「おー…
一条、今日色っぽいな。」
「うわあ…
ちょっと、休んどきや。」
「重症やねえ。
寝ながら歩いてるみたい。」
辻野くんは限界が近い時だけ、普段言わない言葉を口にする。
例えば、私を褒める内容とか。
「辻野さん、お疲れさまです。」
「おお…
佐山、来週デート行かん?」
「ぶち殺すぞお前。」
「はいはーい、汚い言葉禁止ですう。」
つい、罵声を浴びせてしまった。
茅陽は苦笑いしていて、状況がよくわかっていない。
「辻野くん、死にかけの時はわけわからんこと言うねん。
で、言うたこと全部、寝たら忘れてんの。」
「ええ、それ大丈夫なやつ…?」
呆けた顔で、ゆっくり左右にふらふらしている辻野くん。
その目が空中の一点をずっと見つめてる…
風が吹いたら飛んで行きそうや。
辻野くんを仮眠室に放り込むと、気絶でもしたように意識が飛んだ。
…お疲れさま。
地域課に戻ると、若山さんはどこかへ行ったみたい。
茅陽はひとり、私のデスクのそばで待っていた。大きなショッパーを、両手を使ってぶら下げている。なんか、可愛いポージングやな。
「…茅陽、もしかするとこういうタイミングでも、宮本さんから指示があるかもしれん。」
「それくらい、覚悟してます。」
…ほんまの意味で、この子のストッパーに、私はなれん。
さやだけが、その役割を全うできたんやろう。
あるいは、浅倉さんか。
茅陽の左手を取って、その傷をよく見る。
掌から甲まで貫通した、上下に伸びる傷跡。
茅陽も、私の左腕の傷を見てる。
もしも、この子が大怪我でもすれば、私もあの時のさやみたいになってしまうんやろか…
「…さやちゃんのこと、考えてる。」
「うん…
さやなら、どうするんやろうって、たまに考える。」
辻野くんは、あの子を警察官向きって評価した。
茅陽とさやが私の部下やったら、どれだけ助かるやろう。
…妄想も大概にせなあかんな。
「茅陽、休める内に休んどきなさい。」
「はい。
では、戻りますね。」
「おお、佐山来てたんか。」
声をかけてきたのは――
つい十分前に仮眠室に連行した、辻野くんやった。
「……よう、起きられたな。」
「すっきりしたわ、やっぱ寝な仕事にならんな。」
「あの、大丈夫なんですか…?」
あの状態から、自力で起きたって…
爆音のアラームでも聞こえんやろうに。
「…人が死ぬよりはええやろ。」
…明らかに無理してるな。
大雨で更に剣士の痕跡は消えて、監視カメラもぼやけるやろう。
なんとかせな…
「刑事課とか、捜査に協力してくれるとこ、ないんですかね…」
辺りを見回して、小声で疑問を口にする茅陽。
…そうできたら、多少は楽なんやけどな。
「実際、この件は署長も知ってる。
”協力者”のこともな。
やけど、上層部はこの案件に見て見ぬふりや。」
辻野くんは感情を抑えて話している。
「三年前、あんだけ大騒ぎしとったのに、や。
なんでかわかるか?」
「…責任を、取りたくないから。」
「そうや。
宮本さんに押し付けて、なかったことにしとる。
…ふざけとるやろ。」
「――でも、それが組織や。
下のもんは上に従うしかない。
茅陽、わかるよな?」
「はい…」
当然、納得はしていない様子。
でも、宮本さん主導でなんとか処理して、さやを最後に被害者は出てない。
綱渡りなのは確かやけど、なんとかやれてる。
「剣士関係は立件が不可能。犯人も凶器も残らん。
署長はこの件を上げたくないゆうこと。」
「…俺としては、佐山が合流してくれたんは心強い。
多分、誰よりもこの問題の根深さを知ってるからな。
…それが良いか悪いかは置いといて。」
水月楼で久喜北高校の一団が宿泊してた時期から、辻野くんは茅陽と面識がある。
「私、さやちゃんが残した情報は全部覚えてます。
絶対、役に立ちます!」
「よし、頼むで。
巡査部長”さま”も、それでええですか?」
「仕事、残ってるんちゃうの?
はよ行け!」
いけずな顔で笑いながら、辻野くんは地域課から出ていった。
茅陽は、空になったお弁当箱だけ持って帰ってくれるそう。
「ほなね。」
「…あんまり、根を詰め過ぎないようにしてね。」
「うん。
辻野くんにも言うとくわ。」
土砂降りの中を帰っていく茅陽を見送り、私も仕事に戻る。
デスクで腰を下ろした瞬間、着信があった。
見ると、宮本さんから。
――来たか。
『出たぞ。雨水幹線や。
今しかない。』
なるほどな…
雨水幹線とは、水害対策のための大規模な排水トンネルのこと。
そこに潜伏してたんなら、見つからんわけや。
この大雨で炙り出された形になる。
「鴨川ですか?」
『詳しくは端末で。
公用車の手続きしてるから、行ってくれ。』
「はい。
…あの、佐山は。」
『辻野と伏見稲荷大社で見張らせる。
時間ないぞ、はよしろ。』




