第124話
頭上から響く雨音が、街の騒音を掻き消している。
夜中から降り出した雨は、勢いを弱めないまま、路面を水没させようとしていた。
茉琴さんへのプレゼント、どうやらバレていないみたいだ。
大きめのショッパーは、店員さんの好意でビニールによって保護されている。
帰ったらまた、寝室に隠しておく。
「どんな顔するかなー。ふふっ。」
独り言も、雨が攫っていく。
ずっとずっと、傘へ打ち付ける心地いい音。
自宅まであと十五分くらいの距離で、スマートウォッチが震えた。
通知は、辻野さん…
まさか――
「はいっ、佐山です!」
『剣士が出た、今クルマに乗ったとこや。
伏見稲荷大社まで行くぞ、どこにおる?』
ついに来た――
自分の居場所を伝え、じっとその場で公用車を待つ。
一秒でも速く動き出したい…!
茉琴さんは実働部隊…
忌助さんと、剣士を追っているのか。
私たちは特異点の監視任務を引き継ぐ形だろう。
油小路通りの大きな交差点の手前で、伏見署の方向から走る車に注意を向けていた。
すると、雨水のカーテンを切り裂き、遠くからサイレンの高い音が迫る。
目の前で停車したそれに乗り込み、素早くシートベルトをかける。
「使い方、わかるな?」
辻野さんは発進しながら、私に専用端末を手渡す。
以前の話し合いで、この端末の説明は受けていた。
短く返答し、スポーツウェアの内ポケットにクリップで固定する。
「伏見八十一、合流しました。」
『伏見八十一、了解。』
「一条と忌助は剣士を追ってる。
俺らは監視や。まずは、慣れろ。」
…この状況に、か。
正直、茉琴さんが心配で仕方ない。
伏見に、三人の剣士がいた。この内一人は、既に倒されている。
しかし残った二人、今回の相手は、忌助さんを一度は倒している…
伏見稲荷大社の駐車場に入る直前、すぐ前に停車していた、もう一台の公用車が走り出した。
レインコートを羽織り、雨の中移動しながら装備を整えた。
大鳥居のそばに、観光客の姿はない。
「伏見三十一、現着。」
「伏見八十一、現着。」
『伏見三十一、伏見八十一、了解。
指示を待て。』
…ここからは、ひたすら待ちになる。
雨を避けられる屋根はなく、前髪が濡れていく。
焦燥感が心を焼き、止まった身体を内側から炙り続ける。
「…心配すんな。」
「辻野さん、いつもこんなこと…」
本当は、彼も茉琴さんと合流したいはず。
でもきっと、身体は限界が近い。
それに、特異点の監視を決して疎かにはできない。
「あ、参拝の方…」
レインコートを着た参拝客が二人。
この大雨の中、野晒しの境内を進んで、本殿の方へ歩いていく。
「すぐ帰るやろ。」
「そうですね…」
屋外に留まり続けるのは憚られる、激しい雨。
水浸しの地面に跳ね返った雨水が、時折顔の高さまで跳ねてくる。
こんな中でゆっくり参拝を、とはならないと思うけど…
「…よっぽどやな。」
遠雷が空から鳴り、一層雨足が強まる予感がした。
いくら雨が強かろうと、私たちは耐えるだけでいい。
でも、茉琴さんたちは違う。視界は悪く、足取りは重くなる一方だ。
それに、どうにかして、剣士を屋内で処理する必要がある。
『伏見三十四、対象を発見。』
「っ!」
見つけたんだ、剣士を。
お願い…怪我、しないで…
『伏見三十四、了解。
屋外戦闘は禁じる。』
簡単に言う…!
でも、宮本さんもこの問題の難しさは理解しているはず。
忌助さんも穢れのルールは頭に叩き込んでいて、下手を打たないとは思う…
「…もし、殺せるのに諦めなあかん場面が来たら、どうする。」
辻野さんは、究極の質問を投げかけた。
止めを刺せる場面、でも周囲には水場。
殺し切らないと確実に反撃をもらい、逆に追い込まれるかもしれない。
「……殺させません。
穢れの拡散は、多分どうにもできない。
剣士を取り逃がしても、穢れが広がるよりは…」
「そうやな。
人の命が失われるとしても、取り返しのつかん災害を起こすのは止めなあかん。
…佐山は、正しい。」
ずっと考えてた。
伏見を守るために、人命を見捨てなければならない可能性を。
絶対に、現世に汚染を持ち込むことは、しない…
「やけど、どっちも解決する道を探し続けろ。
もっと我が儘になれ。
真白さんなら、そうすると思わんか?」
「…辻野さん、それ、ちょっとずるいです。」
さやちゃんの名前を出されて、すいません、それは無理ですなんて言えない。
きっと、道はある。
彼女なら、見つけるはずだから。
『伏見三十四、対象と接触。交戦開始。』
「はじまった…」
『伏見三十四、了解。
屋内戦闘を厳守せよ。』
状況はどうなって…
茉琴さんも戦闘の渦中にいて、報告は難しいはず。
不安だけが募っていく…
「……まずいな。」
「え。」
「Sodes simios del Oriente?
Maravilla es que este reino aún non caiga so nuestro señorío.」
なっ…!
うそ、こんな時に…!
「Aquí comiença el primer passo de la conquista!」
雨が打ち付ける中、誰もいなかったその場所に、男が立っていた。
金属の鎧と、布のズボン。
中世ヨーロッパ風の剣士は、ぎらついた眼でこちらを睨む。
その顔は、歪に嗤っていた。
波打つ刃の大剣が、鈍く光を反射する。
「――ひゃっ、つめたあ!」
「ちょお、待ってえや!」
…やばい!
さっきの参拝客、戻って――
「佐山、保護してクルマまで退避。急げ!」
公用車の鍵を突き出し、前方に一歩進んだ辻野さん。
剣が上がり、圧が来る。
「伏見三十一、剣士出現。
現場に一般客二名――
行け、佐山!」
「はっ…くう…!」
考えず、駆け出した。
驚いた様子の一般客の手を掴み、駐車場の方へ走り出す。
「なに、なんやの!」
「黙って、警察です!」
『伏見三十一、辻野、逃げろ!』
一心不乱に、公用車を目指す。
――私にできることは、他にない…!
金属音が、雨の隙間に挟まる。
『伏見三十四、茅陽、状況は!?
どうなってんの!』
両手を使って二人を連れ、応答は遅れる。
公用車のドアを開け、二人を押し込めた。
「付近で凶悪事件が発生しました、ここで少し待って!
鍵を閉めます!」
「な、なんやの…」
「ほんまなん…?」
今は、満足に説明していられない…!
戻って、辻野さんも連れて逃げないと!
「伏見八十一、一般客を保護。
…辻野さんの救助に向かいます。」
『それは…許可しない。』
辻野さんの声…
どうなってる!
『署に…戻れ。ごっ、おお…』
やめて、やめて…!
『伏見八十一、現場から退避、署に戻れ。
現場に戻るな!』
「い、や…!
お願い、助けを…」
震える手が、端末を砕かんばかりに握り締めていた。
『茅陽、命令きけ!
その二人も殺す気か!』
そんな、そんなのってないでしょ…
選ぶ……私が。
「ううう…
あああああ!」
走って公用車に戻り、エンジンをかける。
後部座席からの声を無視して、ひたすら走る。
雨の音に追い立てられるように。




