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剣の楽土  作者: かが介六郎
第三部 楽土の剣

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第119話

憎悪に染まった、茅陽の瞳。

幼さを残す顔が、悲痛に歪んでいく。


「お前が、死ねばよかったんだ…

人殺し…!」


寝室の引き戸を、強く締め切った。

起き上がった忌助を、またソファに寝かせる。

見えないあの子のすすり泣く声を無視して…


「茉琴殿…」


「なんも言うな。」


茅陽の怒りや憎しみは、あの時から全く減衰していない。

三年前からずっと、地続きの感情。

…私だって、忌助がしたことは許せない。

さやを奪ったことも。

茅陽を、あんな風に変えてしまったことも。


伏見を守るために、忌助を道具のように使う、人でなしにでもなれたらよかったのに。

いつまでも割り切れん、半端者や。


私に流れる一条の血が、この剣士に首輪をかけ、ずっと縛り付けている。

偶然にも受け継いだ家系と苗字がこの伏見を惨劇から救い続け、今日までそれは破られなかった。

…私なんか、忌助を使って人殺しをしているだけの卑怯者や。

さやがおったら、私はあの子に、また人を殺させてたんかな。


血の染みた包帯で覆われた忌助の身体に、まずはインナーから着せていく。

痛みに顔を顰めているが、声を殺して耐えている忌助。

茅陽が用意したのは、脱ぎ着しやすい薄手のジップパーカーと、ゆったりしたデニムのパンツ。


「苦しくないか?」


「んっ…

窮屈なだけ、で…」


妙な焦りを覚えていた。

もう、一秒たりとも茅陽と同じ空間にいさせられない。

あの子が壊れていくのを見るのは、もう嫌や。


「立てるな?」


「は…

参り、ましょう。」


従順やな。

まだ動くのはしんどいやろうに。


車の後部座席に忌助を乗せ、シートベルトを掛ける。

多少は呼吸が落ち着いてきているし、飛ばさなければ車の揺れも気にならないか。


「ちょっと、我慢してな。」


「私は、丈夫に出来ておりますゆえに…」


出発前に、電話をかける。


「お疲れさまです、一条です。」


『会議室押さえてるから、そのまま連れて来て。佐山は?』


「…残る、と。」


『嘘吐くな。…まあ、ええ。』


短く通話を終え、車を走らせる。

家から伏見署までは七、八分ほど。

忌助の事情を知っている人間は、私を含めて四人だけ。宮本さん、辻野くん、茅陽。

私に伴って彼女が署に入っても、他の職員には参考人程度にしか思われない。

刀は念のため、車のトランクに隠しているけど…


「青い顔して。話せるんか?」


「は。

宮本殿、問題ありませぬ。」


三人で椅子に座り、聴取の形で話をしてもらう。

辻野くんは、剣士捜索の前線にいて不在のまま。公式には、凶悪事件の捜査ということになっている。


「ええと、鷹司さん。

まずは剣士と会った時のことからお願いします。」


宮本さんの仕切りで、聴取が始まった。

忌助の呼吸はかなり落ち着いて、言葉が途切れることは少なくなっていた。


「は。

本日十八時、特異点付近にて監視の任を続けておりましたところ、欧州の剣士が現れたのです。

細剣と短剣を携えた、練達《れんたつ》でありました。」


「仕掛けられた?」


「…はい。

人目につかぬ場まで、穏便に同行願いました。

話のわかる相手でありましたが…」


これは、特異点の監視任務が始まった二年前、最初に決めた規則やった。

観光客が多い伏見稲荷大社、その玄関口でいきなり、刃物による殺し合いを始めるなんかあり得ない。

まずは話をして、目立たない場所まで移動し、処理をする。

そして、現代社会の複雑なルールを忌助には叩き込んだ。


「山中に入り、現世に渡った目的を問いただそうとしたその折…

ジュリオと申すその剣士が仕掛けた。

打ち合いから、勝てぬ相手ではないと考えました。

もう一人、あの唐人が現れるまでは…」


「忌助、付けられてたんか?」


この子が簡単に尾行を許すとは思えない。

特異点から出た中華圏の剣士が、戦闘音で寄って来た…?


「…恐らくそうかと。

短い間隔で、二人目が漏出したのやも。

私の竹刀袋か、ジュリオの姿を見て追ってきた…」


この際、その経緯は一旦置いておく。

とにかく、剣士の見た目や特徴をまとめる。


「忌助、間違ってるとこがあったら指摘して。

まず、ジュリオ。

欧州系の金髪で、細剣と短剣を所持。

白い布の服と、左肩から赤いマント。」


「間違い、ありませぬ。」


現代では目立つ格好で、発見するのは難しくなさそう。


「次に中華系の剣士。名前は不明。

首の後ろで結んだ黒髪で、長い髭。

直刀所持…刃渡り八十センチくらい。

裾が足元まである青系の長衣。」


逆にこちらは中国系で、多くの観光客に紛れられるだろう。

忌助は、静かにうなずいた。


「…一条、辻野に共有してくれ。

鷹司さん、それで、痛み分けになったと。」


トークで剣士情報を共有していく。

忌助は悔しさを滲ませ、膝の上で拳を握り締めた。


「三つ巴の乱戦となり、均衡が崩れ…

私が真っ先に倒れたのです。

されど、あの二人は戦いを続けて山を登り、消えた。」


椅子に座ったまま、彼女は頭を下げた。


「どうか…

どうか、私に挽回の機会をお与え頂きたく!」


「鷹司さん、頭を上げてください。」


…役立たずのままでは終われん、か。

職務に忠実やな。不始末の責任は取ってもらう。


「斯様《かよう》な不手際、二度とは起こしませぬ!

今すぐにでも、夜警《やけい》に出る許しを…」


「一条、仮眠室使え。

三時間休んだら、出よか。」


縋り付くような目で私を見る双眸《そうぼう》。

今すぐ出たいのは、私も同じやけど…


「忌助、まだ万全やないやろ。

これから朝まで動くんは、私も難しい。

辻野くんが捜索してくれてるから、今は休みなさい。」


「…は。」



会議室に使用中の札をかけ、忌助を残して出た。

喫煙所に直行する宮本さんに、私も付いて行く。


「人手が足りん。

…なにが言いたいかわかるな?」


溜め息と煙を吐き出しながら、目を合わせない。わかるけど…


「佐山を遊ばせとく余裕はない。

伏見事件の当事者で、体力評価は最高。剣士の概念を説明する手間もない。

…なんか文句あるか?」


「あります。

まだ新人で、現場慣れしていない。

佐山巡査が肝心な場面で足を引っ張ることは充分あり得るかと。」


「レンズの分厚い色眼鏡やなあ。

指導教官と江上からの評価と、お前の言うてることは一致せん。」


「佐山の一番近くにいるのは私です。

私の評価は、そんなに当てになりませんか?」


茅陽が優秀なのは、誰よりも私が…

でも、だからこそ、あの子と重ねて見てしまう。


「一条。

この伏見で、佐山を子供扱いしてんのは、お前だけや。」


「……」


「真白さやのこと、忘れろとは言わん。

やけどな、お前のそれは佐山を一切信頼してないいうことやぞ。」


宮本さんは、能力以外の面で依怙贔屓《えこひいき》をするような人ではない。

その彼が、茅陽を高く評価してくれている。

喜ばしいことのはずなのに、私はまだ納得できない。


「佐山に首輪かけて、この先どうする?

遠ざけて守るんか?もう高校生の子供やないぞ。」


「なにか、あればっ…」


もし、もう一歩だけでもあの子が前に進めば、命を落としてしまうような最悪の予感が、常に頭の隅にあった。


「…佐山が非番のタイミングで、連れて来い。

…命令や。」


「……はい。」



三時間後、浅い眠りから目が覚めた。

会議室には、身体をほぐす忌助がいた。


「茉琴殿、私はいつでも。」


「…行こうか。」


辻野くんから捜索状況は共有されている。

宮本さんが用意した、専用の回線を使う端末を使用して、連絡を行う。

当然、非公式のものだ。


『伏見三十一、対象と見られる男性を発見。

男は本町通りから十条通りに入り逃走中。

目撃者多数。』


”長物”を公用車に移し、忌助には助手席に乗ってもらう。

監視カメラが機能して、かなり早い段階で発見できた。もう逃がさない。


「伏見三十四、了解。」


公用車なら多少無理はできる。


「飛ばすで。」


「は!」



伏見署から真っ直ぐ北上し、十条通りに入った。夜間とはいえ、交通量はそれなりにある。


「伏見三十四、十条通りに入った。」


『伏見三十一、対象は陶化橋《とうかばし》から鴨川に降りた。現在北上中。』


鴨川…

水場では剣士は殺せん。なんとか離さんと…


「忌助、走るよ!」


「は、仰せのままに!」


停車して、鴨川の河川敷へ降りていく。

川を挟んだ反対側に、LEDライトが照らす人影が逃げていくのが見えた。


「行け!」


常人を超えたスピードで、忌助が飛び出した。

鴨川の中州へ強引に歩を進め、対岸に迫っていく。全速力でそれを追うが、あっという間に距離が離れてしまった。


「――!」


もう、始まっている。

浅瀬から中州に上がり、砂利の地面を走り抜けた。


「辻野くん、忌助!」


ライトが照らしているのは、剣士同士の激しい戦い。

でもあれは――

忌助が相手をしているのは、小さな盾を持った剣士。

…これは情報に、ない。


「やばいな、これは…」


「辻野殿、捜索をお続け下され!

この者は――」

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