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剣の楽土  作者: かが介六郎
第三部 楽土の剣

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第118話

警らに出て二時間ほど経つ。

やはり観光客によるトラブルは多く、その対応に追われた形だ。

路上飲酒、ポイ捨て、列への割り込みからのもめごと…


特に外国人に見られるのが、私有地への侵入だ。

京都の街並みは景観条例に基づき、伝統的かつ文化的な景観を保全することが定められている。

民家を歴史的な建造物と勘違いした外国人の、敷地内への無断侵入は多い。

しかも、これは悪意による侵入ではない点が厄介で、翻訳を駆使してなんとか説明するしかない。


口頭注意に収まる内容がほとんどではあるが、観光地ならではの忙しさがある。

…もっとも、今だけはこの忙しさがありがたい。

職務に没頭していると、もう日が傾きつつあった。


「戻りました。」


「お疲れさん。」


江上さんは西側の警らに出ていて、同じように忙しくしていた様子だ。疲れが顔に出ている。


「ピークは過ぎた感じやな。」


「そうですね。

…あの、ストーカー被害の件なんですけど。」


数日前、女性から相談を受けていた案件があった。

ストーカー被害というものは証拠が不足している場合、警察は動くのが難しい。

直接相談に来られた女性の態度から、相当深刻な状況であるのは確かだと思っている。


「今日は、外に出たいんやな。」


「っ…

いえ、私が直接、相談を受けたので…」


そんなに、態度に出ていたか。

茉琴さんたちに任せるなんて、上から目線で決めた割に、未練がましい…

咄嗟に、江上さんに嘘を吐くことになってしまった。

なにをやってるんだ、私…


「佐山、女性の自宅周辺を警らしよか。

女の人の気持ちは、おっさんにはわからん。

お前が行ったるのがええよ。」


「…はい!」


なにかを察してはいるはず。

この江上さんに、私なんかが隠しごとをできるとは思っていない。


「にしても、体力お化けいうのはほんまの話なんやな。」


「え、なんですかそれ?」


文脈から私のこと、だとは思うけど…

私にあだ名を付けてくれるような人には、心当たりがない。


「御堂も一条も、お前のことをそう言うとった。」


「ああ…」


裏では、そう呼ばれているんだ。

体力だけが取り柄だし、別になんとも思わない。



ストーカー被害に遭われた女性から、相手の男性の情報は得ている。

顔見知りでも、交際していたわけでもない、一方的なつきまとい。

そのため、相手の素性や名前はわからず、顔写真もない。

職場からの帰宅途中や、近所への買い物などの動線上で、じっと見られているという。


この相談を受けた際、隣にいた御堂くんは、勘違いや思い込みの類ではないかと疑っている様子だった。

百歩譲ってそうだとしても、彼女が少しでも安心できるなら、警らをする理由にはなる。

夕方から夜間にかけて、男が出現するのは時間帯がばらけているらしい。

被害者の退勤時刻は十七時半とのことで、通勤路もわかっている。そろそろ、出発しよう。


「時間は気にせんでええよ。」


「江上さん、行ってきます!」



被害者の住むマンション周辺を、自転車で回る。

途中、運良く女性と会うことができた。ストーカー被害に悩まされている、西川さんだ。


「あ…

見回り、してくれてるんですね…」


「はい。

この後、どこかに行かれますか?」


駅の方面から歩いて来た西川さんは、不自然なまでの早歩きだった。

周囲を見渡し、肩を内側に巻いたような姿勢と、強張《こわば》った表情。

毎日、恐怖に晒されているんだ…


「はい…

買いに行かなあかんものがあるんですけど、外にいたくなくて…」


「もし良ければ、同行します。」


仮にこの状況を、相手の男がどこかで見ているなら、これ以上ない牽制になる。

もしかすると、自分がストーカー行為をしていると、認識していない可能性だってある。

その場合は自認を促せるし、違う場合でも、手を引くかもしれない。


スーパーまで付いていくことになり、女性の表情は幾分か柔らかくなった。

彼女の態度の変化を見て、自分が安心させてあげられていると、なにか誇らしかった。


「え、十九歳!?」


「あはは、まだお酒は買えません。」


道すがら、自転車を押す私に、女性の質問が飛ぶ。

私は最短ルートで警察官になり、まだ三ヶ月。

九月には二十歳になるため、こういう反応も今のうち、かな。


「しっかりしてはるねえ…

生まれは関東?」


「はい、埼玉です。

いろいろあって、伏見に引っ越しまして。」


「そっかあ。

伏見はどう、ええところ?」


「…この街が好きです。」


思い出がありすぎるこの街。

でも、好きなのは本当だ。


「そら、嬉しいわあ。

佐山さんの仕事ぶりは、お稲荷さんが見てくれてると思うよ。」


「そうですかね…

あ、あの辺って、狐いませんか?

前に見かけて…」


「え、狐…?

よう行くけど、見たことないなあ。」


左手の怪我を負う直前、狐を追うように私たちは移動した。

その先に偶然、剣士がいたんだ。

山を下りてきた子だったと思うけど、あれ以来見かけていない。


「…お稲荷さんが、解決してくれたらな。」


途端に、西川さんの表情が曇る。

この人の生活に、大きな影響を与えている相手。

自覚はあるのか…?

苦しんでいる彼女を見て、どう思うんだ。


くいな橋駅のすぐそばにあるスーパーマーケットまで移動した。

西川さんが店内で買い物をする中、私は警戒を怠らなかった。

喋りながら歩く時、誰かが付いて来ている気配はなかったけど、念のためだ。

もしも店内で男を見かけたら、すぐに店を出るように言い含めている。


「お待たせしました~。」


何事もなく、買い物を済ませた様子。

しかし、彼女の両手には、大きく膨れ上がったレジ袋がぶら下がっていた。

数日分の買い溜めだろう。


「片方、かごに入れますか?」


自転車のかごには、ひとつだけなら入れておける。

私は押すだけだし、苦ではない。


「ほんま?

ええ人やなあ、佐山さん。」


食品が詰まった重い方をかごに入れ、来た道を戻る。

人通りはそこそこだが、立ち止まってこちらを見ているような、明らかな不審者はいない。

西川さんは笑顔を取り戻していて、鼻歌混じりで楽し気に歩いていた。


「なんか、お礼したいわ。」


「いえ、仕事ですので。」


親切にしてもらったからと、お礼の品を渡したがる人はよくいるらしい。

しかし、これは法律も絡む事情があり、ほぼ例外なく受け取ることはできないし、しない。

人に感謝されることが、なんだか嬉しい。

それで充分だ。



自宅の前で、何度も頭を下げる西川さん。

ここから先には当然入れないけど、周辺の警らはこの後しばらく続けると念押ししておいた。

今日くらい、安心して生活してくれると嬉しい。


時刻は二十時を回って、人通りも少なくなっている。

この時間、観光客関係の通報は減る傾向にあり、逆に酔客に関する通報は増える。

当たり前だけど、私はお酒に酔ったことはない。

気が大きくなって、声を張り上げたり、手が出てしまったり…

そういうトラブルは日常の中にいつも転がっている。

酔っ払い同士の喧嘩なんて、そうそう起こるものではないと、昔は思っていたな。


「…ん。」


少しだけ、違和感がある。

自転車を降り、道の先にいる男性を注視する。

立ち姿は堂々としているけど、なにかおかしい…

被害者のマンションからここまで、徒歩なら五分の距離だ。

もしかすると…


「こんばんは、警察です。

少しだけ、お話よろしいですか?」


目を合わせて近寄り、男性から斜めの位置に立つ。


「はい。」


訝しむ表情の男性。

年齢は三十代くらいか。

髪はぼさぼさで、髭も整っていない。

白シャツの上に黒いベスト、下はスラックスにスニーカー。


革靴でないことと、背中の大きなリュックが、なんだかミスマッチに見える。

それでも、不思議となにか清潔感のある雰囲気だ。


「この辺りにお住まいですか?」


「いいえ、住まいは竹田の辺りで。」


職務質問に、全く動じている様子はない。

むしろ堂々としている。


「どちらに向かわれていたんですか?」


「友人の家です。

住所、言わなければいけませんか?」


「いいえ、結構ですよ。」


言葉の感じから伏見…関西の人ではなさそう。

なんだか、喋り方に癖のある人だな。


「差支えなければ、お名前伺ってもよろしいですか?」


「…ゴトウです。あなたは?」


間があったのが気になるけど、よくあることというか。

職質なんて、慣れていない人が大半なものだ。


「私は佐山と言います。

ゴトウさんですね。ありがとうございます。

…この辺りでトラブル相談がありまして。」


「怪しかったですか、私が。」


はっきり言えばそうだけど…

受け答えから、後ろめたさは感じない。


「いいえ、呼び止めて申し訳ありませんでした。

もう結構ですので、これで終わりとなります。

お気をつけて。」



時刻は二十一時。

この周辺で、警察が見回っているというのは、かなり見せられたはず。

ストーカーが私を認識していれば、抑止力にはなる。


砂川交番に戻ると、江上さんは書類を作っていた。


「お疲れさん。」


「戻りました。」


数時間、ここの管轄の事案はなかった。

江上さんには先に夕食と仮眠を取ってもらう。

不規則だけど、交番勤務はこういうものだと、よく言っている。


今日はそれなりに動き回ったけど、お腹はあまり空いていない。

体力お化け、か。

逆に言えば、それ以外は並以下だ。

体力トレーニングなんか、誰にだってできる。



何度か仮眠を交代で取り、通報もなく夜が明けた。

交代の職員に、江上さんと引継ぎをしていく。


「お疲れさん、佐山。」


「お疲れさまです!」


「…ほんまもんやな、お前は。」


走って帰る私の耳に、呆れたような声が微かに届く。

当番が明けると、その日は非番となる。

朝帰りなだけで、そこからは一日自由に過ごせるのが非番。

その翌日は、公休となり、本当の意味でのお休みだ。

当番、非番、公休のサイクルを繰り返すのが、交番勤務。


汗がまとわりついて、引く気配がない。

空気が妙に、重苦しい感じがする。もうそんな時期か。


家に戻ると、玄関には靴が脱ぎ捨てられていた。

…帰ってるんだ。

お腹、空いてないかな。って、寝てるか。


裏返った靴を揃え、音を立てないようにキッチンへ行き、お弁当箱を洗う。

冷蔵庫を確認して、買い足す物をリストアップしていく。


「おかえり。」


不意にした声に、思わず身をすくませてしまった。


「戻り、ました。

なにか食べますか?」


私の問いかけに答えない茉琴さんは、キッチンまでゆっくり歩く。

そして当然のように、私を正面から抱き締めた。


「あの、汗かいてて…」


「嫌か?」


「そうじゃない、けど…」


あんなことがあっても、すぐこれだ。

気にしなくていいよって、茉琴さんはいつもこうやって教えてくれる。


「…ひとり、倒したよ。」


「…っ。

怪我、してない、よね。」


「うん。忌助も、無事。

ようやってくれた。」


そんなの、どうでも…


「昨日は、どうやった?」


「…街の人のために、働いて。感謝されて…」


優しく、髪を撫でる手。

このまま、眠りに落ちてしまいそう。


「そっか。

嬉しかったんやな。」


「私…警察官になって、よかったと思う。

でも同時に、ならなければよかったとも…」


「…ごめんな。

今日、一緒に署まで来て欲しい。」


温かい、彼女の胸の中。

少しだけ、その身体が震えた。


「宮本さんが、話あるって。

…茅陽、もう戻られへん。覚悟しなさい。」

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