↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣の楽土  作者: かが介六郎
第三部 楽土の剣

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

130/137

第117話

――アラームの、音。

薄暗い寝室の中、ベッドにもたれた体勢で目が覚めた。

リビングへの戸を引くと、部屋には私以外誰もいない。

昨日は伏見署に行ったきり、茉琴さんと忌助さんの二人は帰らなかったようだ。


手早く朝食を摂り、軽く部屋の片付けをする。

ソファには、血が僅かに付着していた。


「…」


合皮の表面に染みた血液を拭き取り、荷物を持って部屋を出た。

今日は六月七日、水曜日。

今の時刻は五時半。

八時半には砂川交番に到着していればいいから、二時間以上は走れる。

…今は、なにも考えたくない。


マンションの前で準備運動を終え、リュックをしっかりと固定して走り出す。

今日は、西側から北へ回ってみよう。


こういう時、音楽でも聴けば気分が変わるとは思う。

…しおりちゃんが好きだったアイドルグループ、なんて言ったっけ。

こんなことも忘れてる。


「はっ、はっ、はっ。」


頭も身体も、冴え切っている。

さやちゃんが太刀を身に着けて集中するなら、私は走るのがいいのかも。

ぼやけていた視界と思考が、クリアになっていく。


方角だけを意識し、通った覚えのない道を選んでいく。

これを続けていけば、伏見に私が知らない道はなくなる。

…と思ったら、この道にはなんとなく既視感があった。

自然と、引き寄せられるように足が向かう。


「あっ…」


そうだ、ここは…

――道の先に見えてきたのは、大きな旅館。

つい、立ち止まってしまう。


「水月楼《すいげつろう》…」


三年前、私たちがあの一週間を過ごした場所。

皆で来て、独りで去った。


亡くした人たちの顔、腕から血を流す茉琴さん、部屋の隅で腕を組む浅倉さん…

痛みと記憶が、高速で脳内を巡って、気がつくと涙が頬を伝っていた。


この場所にはいられない。

まだ私は…そんなに、強くない。


過去から逃げるように、引き返していく。


…水月楼はあの後、営業を終了した。

あんなに私たちに良くしてくれた人たちは、職を失ってしまった。

館内で起きた”傷害事件”が原因のひとつと言われている。

今は、取り壊されていないだけの、ただの廃墟。


涙を振り切り、ただ走る。

思い出に追い付かれないように。


上手く、とはいえなくても、なんとかやってきたんだ。

もう、あの時のような無力な子供じゃないって、証明したくて…

でも、結局、私ではだめだったのか。



砂川交番では、御堂くんが書類を作っていた。

着替えを済ませて、引継ぎを受ける。


「…去年の暮れ、同じ顔しとったな。」


「…なんの話?」


総代は人を良く見ている。

だけど、私は門を閉ざすように、彼の詮索《せんさく》を拒否した。


「佐山、同期っていうのはよ、お前が思ってるよりも結ばれてる。

…すまん、上手く言葉にできん。」


「帰って、ゆっくり休んで。」


私と結ばれていたのは、親友の三人と茉琴さんだけ。

他は、誰も彼も一緒だ。

…勝手に、私を友達に追加するな。



昨日はかなり無理を言って、勤務を調整してもらった。

おかげで日程を合わせられたけど、その分九時はしっかり当番をこなさないと。


当番は、二十四時間の勤務となる。

今朝の九時から、翌日の九時までが、私のシフト。


今日の”相方”は、江上巡査部長。

ベテラン警官で、宮本さんと同期だとか。


「おはよう、湿度高いなあ。」


「おはようございます、江上さん。」


物静かな人物だけど、茉琴さんが言うには、あの宮本さんより凄い人らしい。

…御堂くんと話して思い出したが、もしかして江上さんは総代を務めていたのかも。


直接交番に訪ねてくる人は、そこそこいる。

最近は、一時期に比べて外国人観光客がまた多くなっていた。

そのため、道案内をする業務も珍しくない。


「|Follow this red line《赤い線に沿って進んでください》.」


「|Thank you, miss《ありがとう、お嬢さん》.」


欧州系の観光客が持っていた地図は、全部日本語で書かれている。ホテルや駅などで配布されていたものだろうか。

この付近へ来る外国人の目的地といえば、伏見稲荷大社か清水寺か。

どうやら前者だったようで、紙の地図に赤ペンで道順を書いてあげる。

赤ペンはこういう時のため、江上さんの胸ポケットに常駐している。

「線を書いた方が速い」とは、彼の言だ。


…今どき、スマホでマップを見たりしない人もいるんだ。

自分の足で街を歩きたいのかな。


伏見稲荷大社のすぐ前にあるのが、稲荷駅。

そこから水路を跨いで西側にあるのが、伏見稲荷駅。

この二つを間違える観光客は多く、更に伏見稲荷の駅から東西の方角まで間違えてしまうと、この砂川交番へ辿り着く、というわけだ。


「英語できるん?」


「いえいえ、翻訳で出しただけです。」


江上さんは、英語がからっきしだそうで、こういう場面ではジェスチャーを多用するそう。

私も真面目に勉強してきたわけではないので、スマホで咄嗟に翻訳しただけだ。


「佐山、昼食べたら巡回頼む。」


「はい!」


先に昼食を頂くことになった。

作り置きのお弁当を、冷たいまま食べていく。

塩分とタンパク質、炭水化物があれば、動ける。

岩塩だけで味付けした、簡素な栄養源だ。


…茉琴さん、お昼どうしたのかな。

箸を進めていた最中、肩の無線が鳴る。


『伏見管内各局。

竹田駅周辺で傷害事案。応答願います。』


考えるより先に、蓋を閉めて昼食を中断した。

交番奥から飛び出す。


「江上さん!」


「…応答遅いな。佐山、行け。」


頷き、無線に応答する。


「伏見八十一、受信。現場臨場します。」


『伏見八十一、了解。

現場は竹田駅東側のロータリー。タクシー運転手被害。』


…違った、か。

でも、関係ない。


竹田駅までは自転車で十分以上かかる。

私が本気で漕げばもっと短縮できるけど――


「公用車使え。五分で行ける。」


「はい!」


一瞬の迷いに、すぐ道を示してくれる。

そうだ、速い方がいいに決まってる。

キーを掴み、駆け出した。



現着すると、タクシーが一台だけ停車していた。

ハザードを焚いた黒い車体の運転席側から声をかける。

降りてきたのは五十代くらいの男性運転手で、右目には大きな痣があった。

出血はなく、意識ははっきりしている。


「見えますか?

二重に見えたりしませんか?」


至近距離で手を振り、運転手の視力に異常が出ていないか確認する。

腫《は》れが大きく、骨折の可能性も考えられる。


「ぼやけて…見え、ます。」


「すぐに救急車を呼びます。」


無線で指令に上げる。


「伏見八十一、竹田駅傷害事案。

被害者一名、右眼部打撲。視力異常の訴えあり。

救急要請願います。」


少し遅れて、ノイズが走る。


『伏見八十一、了解。

救急要請済み、現着まで十分。』


要請後、男性を座らせ、すぐに事情を聴いていく。


「では、被害に遭った際の状況を教えてください。」


運転手さんは、竹田駅まで乗せた客に、料金のことで難癖を付けられた。

メーターの水増しのために、わざと道を間違えたのでは、と。

そして、運転席のドアを開けられ、いきなり殴られたという。


「でも、そんなことはしてません…

大通りを走って、最短ルートやったのに…」


「…相手の特徴は覚えてますか?」


「髭面の男で、三十代くらいやったかな…

茶色のスーツ姿で、ビジネスマンいう感じ。

そこの入り口から、もう電車に乗ったのかも…」


覚えている限りの詳細な外見を尋ね、メモに書き殴っていく。


「伏見八十一。

被疑者は電車利用で逃走の可能性あり。

三十代男性、髭面で上下茶色のスーツ、青いネクタイ。

黒のビジネスバッグ所持。」


救急車が到着し、運転手の男性は病院へ搬送されていく。

後ほど、病院に赴いて正式な聴取となる。


竹田交番から応援が到着し、聴取内容を引き継いだ。

現場保存は任せて離脱し、私は砂川交番へ戻る。



「お疲れさん、回せたな。」


「いえ、このくらい…」


「お昼、食べといで。」


交番奥、机の上に残ったお弁当を平らげ、軽く片付ける。

今度は巡回に出るため、自転車で移動することになる。


「じゃあ、頼むね。」


「はい、行ってきます!」



トラブルの頻発する伏見稲荷大社の方面へ、自転車を走らせる。

…巡回で、剣士を見つけられたらいいけど。

戦えなくても、あの時とは違うんだって、自分で確かめたい。


「…どんな相手かも、知らないのに。」


私が知っているのは、相手の剣の形と、人種と名前だけ。

話し合いに参加できない新人が、ただの巡回中に剣士を見つけられるわけがない…

高校の時の方が、まだ情報に触れられていたなんて、おかしな話。


『一週間ここにいて、街が好きになった。そこに住む人たちも。』


…そうだね、私もそう。

一年、この街で暮らして、伏見が好きになったって思うよ。


切り替えないと!

剣士から街を守るのは、茉琴さんたちに任せる。

私は、目の前の市民の安全を守る。

ペダルを踏み込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。