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剣の楽土  作者: かが介六郎
第三部 楽土の剣

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第116話

リビングの床に忌助さんを座らせ、ソファの座面に背中を預けさせた。

裂けた上着を脱がすと、白いシャツには赤黒い血が染み付いていた。

痛みに顔を歪める忌助さん。呼吸は浅い。


「茅陽、すぐ、治るゆえに…

手当ては、よい…」


「ごめん、頼むわ茅陽。電話かける。」


救急箱から包帯とガーゼを取り出す。


「…脱がすよ。」


血塗れのワイシャツは、とりあえずビニール袋に入れておく。

…上半身に深い切創が複数、死ぬような怪我ではない、か。

通常の方法では、死者である忌助さんは傷付かない。

…間違いなく、剣士との戦闘による損傷。


「すまぬ…ち、はる…茉琴、殿…すまぬ…」


うわ言を繰り返し、意識がはっきりしていない様子だ。

忌助さんの怪我は、本来救急搬送されて然るべきものだ。この状態でよく、二階までよじ登れたな。


「――お疲れさまです、一条です。

…はい、そうです。

忌助、逃げられたんやな?」


「は…欧州の、剣士でありました…

ジュリオ、と名乗る、細剣使いで…」


逃げられたって…なに、してんの…


っ、いけない。

とにかく止血を急がないと。

インナーを脱がせようにも、胸元の大きな傷が、腕を上げるのを躊躇《ためら》わせる。

はさみで裁断して、上半身だけ露出させた。


「――その者、と…」


「はい、欧州系――

……忌助、まさか。」


どういうこと…?

最悪な予感が、目の前を暗くしていく。


「唐人《とうじん》で、名は、わからず…

直刀を持った、男で…」


細剣と、直刀…

忌助さんの身体を注視する。深い二つの切創は、傷の幅が僅かに違う…


「っ…

宮本係長、剣士は二人。

もう一人は中華系の直刀使いとのこと。」


二人の、剣士…

呼吸が荒くなり、左手の傷が内側から悲鳴を上げる。

…今は関係ない。それより、手当が優先だ。


「よい、茅陽…汚れて、しまう…」


「…うるさい。」


見た限り特に深いのは、胸と腰の辺りの二箇所。

タオルを押し当てて圧迫する。


「ぐっ…うっ、はあ…」


「…はい。

…最低でも三時間は必要かと。

はい、ではその時間に電話入れます。」


「いけ、ませぬ…

すぐに、追わねば…」


怪我の具合から、ある程度動き回れるようになるまでの時間を予測した茉琴さん。

慣れているな…


「ごめん茅陽、身体と服、洗うの任せていい?」


「はい、こっちはやっておきます。」


茉琴さんは頷き、またスマホを耳に当てる。

私は忌助さんの身体を拭いて、包帯を巻き、ソファに寝かせる。

雑巾に血を吸わせ、洗濯物を先に手洗いする。

シャツの汚れは落ちると思うけど、切れている箇所は繕えるかわからない。

洗濯機を回し、カーペットに付着した血を掃除していく。


「ああ…すま――」


「黙って寝て!」


何度も何度も…

そんなことで謝って、許すと思うか。

こんなやつ、顔も見たくない。


電話を終えた茉琴さんが、玄関から戻った。


「忌助が動けるようになったら、署まで連れて行く。

宮本さん、家らしいから、今から出るって。」


剣士対策の責任者である宮本係長。

当然、非公式ではある。


「ここから、車で?」


「うん。

公用車は断った。

なんでもいいから、服用意したって。」


「はい。運転も私が。」


息を吐いて、茉琴さんの表情が消える。


「茅陽はここにおって。」


「え、なんで…私も話を――」


「あかん。」


短く、それでいて明確な拒否。

まだ、私を子供扱いするのか。


「やだ…

お願い、茉琴さん…」


剣士との戦いのことなら、私でも協力できるはず。

なにかしたい、動いていたい…


「…お願いやと?

あのな、お前、ただの新人やろ。

黙って言うこと聞いとけ。」


酌量《しゃくりょう》の余地のない、完全な拒絶。

なにを訴えかけようと、てこでも動かないような、かたい雰囲気だった。

でも、簡単に諦めるつもりは、ない。


「…剣士対策なら全部頭に入ってます。

二年間、ずっとこのことばかり考えてた。

絶対、役に立てます!」


「組織の中におる自覚が足りんみたいやな。

もっかい学校通い直すか?

宮本さんと私が来るな言うたら、来るなって意味や。」


「っ…

申し訳、ありませんでした、巡査部長…」


…どうにも、できない。

これでは、意味がない。警察官になったのに。


「佐山巡査、明日の勤務に備えて早く休むように。」


「はい…」



この後出なければならない茉琴さんは、先に入浴する。

お祝いの片付けが途中だった私は、無気力のままそれを続けていく。


死者は、睡眠を必要としない。

数日どころか数週間、止まらずに動き続けられるということ。

でも、今の忌助さんを見ていると、眠りに就けないというのは苦痛なのだと実感する。


薬も作用せず、痛みに苦しみ、意識を失うことも叶わない。

息も絶え絶えに、歯を食い縛って耐え続けている。


…当然の――

だめ、今は考えなくていい。


言われた通り、体格が似通う私の服を、上下用意しておく。

下着はサイズが合わないので、カップ付きインナーを使ってもらう。


「はあ…っ…

この、不手際は…必ず…」


「喋らなくて、いい。」


その時、吸い込まれるように、彼女の刀に目がいった。

さやちゃんや浅倉さんの物より小振りな、軽さを重視した造り。

つい、手が伸びてしまった。


警察学校では、剣道を選択して習っていた。

一年近く竹刀を振っていたけど、どうやってもさやちゃんのような動きができる気がしない。

あれが、たった二ヶ月の経験から導き出される能力だろうか。


柄を握っていると、彼女の言葉を思い出す。

…太刀を肌で感じている間、精神が研ぎ澄まされるような感覚になる、と。

私には、わからない…


「っ!」


考えに没頭している内に、いつの間にか背後に迫っていた茉琴さんが、私の右手を掴む。

そのまま体勢が崩れて組み倒され、仰向けの体勢で完全に抑え込まれる。


「…なに考えてんねん。」


「…なにっ、も。」


手首が軋んで、力が抜けていく。

柄が、私に触れられるのを嫌がるように離れた。


「忌助がこれを持つのと、お前が持つのとでは事情が変わってくる。

わかるな?」


「は、い…

正当な理由なく、所持はっ、できません!

自分は、銃刀法に抵触しっ…」


「ようわかってるやん。

まるで警察官みたいやな。」


万力のような力で固定された両手が、血の巡りを取り戻していく。


「申し訳、ありません。

自分の、認識が甘く…」


即座に起き上がり、正座となる。

濡れた髪のまま、茉琴さんも正面に座り、向き合う。


「…茅陽。

さやみたいに、ならんでええ。

……ならんといて。」


「っ!いや!そんなの、聞けない!」


つい、感情が前に出てしまった。

我に返ると、悲痛な表情を浮かべて、茉琴さんは目を逸らした。


「ご、めん…

でも、それは、それだけは言わないで…

私、そこだけ見て、走ってきたのに…」


「…さやは、気いついてなかった。

自分を削りながら進んでることにな。

今の茅陽も、同じ。」


「…私、そんなつもりは。」


「三年前のさやより、今のあんたの方が、私には危なく見えるよ。

……怖いねん、私は。

もう、あんな思いはしたくないよ。」


そんなの、私だってそうだよ…

茉琴さんと忌助さんだけじゃ、解決できない問題だってあるでしょ…

だから、私、死に物狂いでこれまで――


「頭を冷やしなさい。

剣士と戦うだけが警察の仕事やない。

茅陽は、優秀な警察官なんやから、街の人のために働きなさい。」


悔しい…

これまで、全部無駄だったっていうの…?


「さやちゃんの代わりに、伏見を守るって決めたの…

だから、私だけ置いてけぼりに、しないで…」


右肩に、そっと触れる温もり。

それは、起き上がれないと思っていた彼女の手だった。


「…茅陽。

さやに代わり、京を、守護するは…我が役。

如何《いか》にそなたで、あろうと…横取りは、許さぬ。」


「っ…!

うる、さい!」


手を振り払い、睨みつける。ふらつく忌助さんは、部屋の壁に背中をぶつけ、呻いた。


なにが、さやちゃんに代わり、だよ…!

ふざけんな…!


「街を守り、住む人々の愛を…守る。…そなたも、守る。

そなたから、愛を奪った…私には、その責任がある。」


用意されたような言葉に、乾いた笑いが出る。


「責任…?

人殺しが随分奇麗な言葉、使うね…」


「やめろ茅陽、もうええ!」


強引に手を引っ張られ、寝室に放り込まれた。

どうにかなりそうだ…っ!

行き場を失った怒りが、目から流れ落ちていく。


「朝までそこにおれ、命令や。」


震える口元は言葉を堰《せ》き止められず、ただ罵声《ばせい》を素通りさせる。


「お前が、死ねばよかったんだ…

人殺し…!」


音を立てて引き戸が閉じられ、光が遮られた。

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