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剣の楽土  作者: かが介六郎
第三部 楽土の剣

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第115話

引き出しから書類を取り出し、ボールペンを走らせていく。

扉のそばで、低学年くらいの男の子が、緊張した様子で佇む。


「えっと、どこで拾ったのかな?」


「スーパーの、前の道、です。」


「あ、隣の?

ついさっきのこと?」


「そう、です!」


この歳の子供が、敬語を使うものなのか。

親御さんの教育が良いのかも。

男の子が届けてくれた落とし物は、なにかのキャラクターのキーホルダー。

これは…アワビ、かな。

アワビに人間の腕が生え、それが何故か日本刀を持っているという、奇妙な造形だ。


「…これ、流行ってるの?」


「え!

とこ武士くん知らないの〜?」


なんだそれは…

とにかく、預り書に詳細を記入して、最後に確認した名前を入れた。

二つに折って渡し、男の子は少し派手なランドセルに仕舞っていく。

最近のランドセルには、反射板まで付いているのか…


「おうちの人に、渡しておいてね。」


「はい!

あの、お巡りさん…

手のけが、どうしたん?」


あ、しまった。

いつもは手袋で隠している左手を、男の子は凝視している。

私の掌には、大きな傷跡が縦に走っている。


「昔、刃物でね。

ごめんね、怖かった?」


「ううん、カッコいいと思う!」


「はは…

そう言ってくれると嬉しいよ。」


元気な挨拶をして、男の子は帰って行った。

両手に布の手袋をして、交番の前に立つ。

この傷はきっと、街にあの当時の記憶を呼び覚ましてしまう。


警察官となり、伏見署に配属され、砂川交番に来てもう三ヶ月。

交番の前の道は、そこそこ車通りが多い。

隣のスーパーに入っていく車を目で追うと、不思議と丁寧な運転を心がけているように見える。

交番の前で警察官が睨みを利かせている、というのは効果的らしい。


あと一時間くらいで交代となる。

引き継ぎがスムーズにできれば、今日は伏見稲荷大社に寄って帰ろうかな。


――宮本係長の咳払いの音が、ノイズと共に肩から聞こえる。


『伏見管内各局。

 伏見稲荷大社参道付近にて、観光客同士のもめごと事案。

 暴力に発展のおそれ。

 付近の局、応答願います。』


「伏見八十一、現場臨場します。」


『伏見八十一、了解。

 現場は千本鳥居入口付近とのこと。

 当事者は外国人観光客、男性二名。

 状況確認の上、対応願います。』


応答しながら準備を整え、自転車を漕ぐ。

あの場所に活気が戻ったのは喜ばしいけど、その分問題事は多くなる。


にしても、千本鳥居前、か。

本殿を越えていくのは、混雑具合によっては少々もたつく。

今日は平日だし、空いてるとありがたいな。


人波を掻き分けて、現場に到着した。

見ると、黒人の観光客らしき二人が、大きな口を開けて唾を飛ばし合っている。


「伏見八十一、現着。

 当事者確認、現在は口論状態。

 これより制止に入ります。」


『伏見三十四、八十一と合流します。』


よく知る声が、無線から流れる。近くにいたんだ。


「はいはい!警察です!」


お腹から最大出力で空気を押し出し、二人の口論を真っ向から圧し潰す。

目を丸くして、大柄な男性たちは頭を垂れ、私を見ている。


「|Calm down please《どうか落ち着いて》.」


爆心地は静かなもので、普通のトーンで話してもよく通る。

水を差された二人は、拙い私の英語を理解してくれたようだった。


「|No fighting《ケンカはだめ》.」


左右の手で二人を制しながらそう伝えると、怒らせていた肩をすぼめて、お互いに謝罪しはじめた。

二人は同じグループだったのか、私に会釈をした後、千本鳥居を進んで行った。


「伏見八十一、口頭注意にて収束。

現場異常認めず。

周辺確認後、帰所します。」


『伏見八十一、了解。』


外国人観光客が騒動を起こす場面は多く、最近覚えた簡単な定型文が役に立った。

すぐ後ろを振り返ると、見知った顔が迎えてくれる。


「お疲れさま。」


「…なんか、すっごく先輩っぽいです、一条巡査部長。」


すぐにフォローに入れる位置に、彼女は立っていた。

右手を軽く上げてにこやかに微笑むのは、頼れる私の上司。

肩まで伸びた茉琴さんの髪が風に揺れて、その立ち姿をより凛々しくしていた。


「あー…

そう呼ぶの、やめへん?」


「…?

一条巡査部長、さま、とかですか?」


「それ、いっちばん嫌…」


茉琴さんとしては、階級で呼んで欲しくない、とのことだ。

でも、つい先日昇進したんだから、ほやほやな内は素直に呼ばせて欲しい。


境内《けいだい》を引き返して、ふと足が止まる。

茉琴さんも、示し合わせたわけでもなく、同じ位置で”そこ”を見る。

なにもない、壁と石畳があるだけの場所。


「今日…

なにか、あったんですか?」


「ないよ。

近くにおったんは、たまたま。」


目線を一点に合わせたまま、抑揚のないトーン。

多分、これは本当。

でも、あの人と会ってたのは確かだと思う。

…別に、いいけど。


伏見署に戻るという茉琴さんを見送り、私も交番へ自転車を走らせた。

砂川交番には、もう夜勤の警官が立っていた。


「お疲れ、佐山。」


「ごめんね、御堂くん。」


御堂俊士《みどう しゅんじ》くんは、警察学校の同期で、クラスの総代《そうだい》だった。

総代というのは、学級委員長のようなまとめ役のことだ。


交番は二人体制ではあるが、もう一人は警らに出かけたきり、まだ戻っていない。

時刻は十七時を回り、引継ぎを進めていく。


「遺失物一件、受理済。現在保管中。

伏見稲荷大社にて観光客同士の口論事案、口頭注意にて収束。特異事項なし。」


「了解、拾得は歩道か。

お稲荷さん、巡回増やす。」


御堂くんは素早く確認を済ませ、待機に移る。

私は着替えを――


「佐山、大井から連絡あってな。

同期の皆でバーベキューでもせんかって。」


「え、同窓会みたいな…?」


といっても、学校を卒業してからまだ三ヶ月と少し。

ちょっと早すぎる気がするし、そもそも同期で仲の良い人はいなかった。


「…佐山がどういう警官になったか、気になってる同期は多い。

お前のこと、知りたいんやろ。」


「…悪いけど、遠慮しとく。」


大井くんとも特別会話するわけではなかったし、行っても私は楽しめないだろう。

そんな私がいれば空気も悪くなるし、気が乗らない。


「そうか。引き止めてすまん。」



スーパーで夕食の買い物を済ませ、足早に帰る。

交番のすぐ隣の店舗では、さすがに私の顔は覚えられてしまっているようだ。


今日は、茉琴さんと一緒にお祝いをする。

支度のため、足早に帰ると、いつもより五分早く家に到着した。


手早くご飯の用意を進めていく。

レシピ通りに、分量は正確に。

味の微調整は、今の私にはできない。

スマホで確認しつつパスタソースを作っていると、左手のスマートウォッチが震えた。


『残務終わり〜

十九時に帰るよ。』


お、ちょっと早い。一旦置いて掃除に移ろう。

食卓周りとテレビを拭いて、観葉植物に水をやる。

このサンスベリア、初めて見た時には元気がなかったな…

そうしている内に玄関から家主の気配がして、小走りで出迎える。


「茅陽〜、疲れたあ〜。」


「はいはい。

お疲れさまでした、巡査部長。」


「家ではやめて〜。」


荷物を受け取り、カバン掛けに。

チャコールのジャケットには除菌消臭スプレー。

ほっとくと、こういうのは一切やらないのがこの人だ。


追悼式のあと、警察官になると決意し電話したあの時、茉琴さんはうちに住んでいいよと言ってくれた。

生活費を節約できるからとか、勉強を教えられるからとか、私に都合の良いことばかり。

それはきっと、彼女がただ優しいからというわけではない。

でも、気遣ってくれたのは本当だから、恩返しはしたい。


「あ!

おしゃけがないわ〜…」


冷蔵庫を空けた茉琴さんは、絶望の表情で振り返った。


「…ダメ人間。」


「えー。

じゃあ、コーヒーは!?」


「夜はカフェイン禁止ー。

寝付き悪いの、良くない。」


私はまだ十九歳だし、お酒は買えない。

勤務中のカフェイン摂取はいいけど、帰ってからは控えるように、いつも厳しく言っている。


「いただきます!」


茉琴さんは目を輝かせて、パスタをもりもりと食べていく。

ネットのレシピを再現したはずなので、美味しく作れたとは思うけど…


「う〜ん!

茅陽の味がするなあ〜。」


「…それ、美味しいって意味?」


高校生の時は、彼女に無邪気な憧れを持っていたなあ…

こんなにオンオフで差がある人だとは、あの時は知らなかった。


夕食後、洗い物を済ませてから、昇進のお祝いをする。

同じくスーパーで購入したケーキと、カフェインレスの紅茶を用意していく。


「茉琴さん、昇進おめでとうございます!」


「ありがと、茅陽。」


今日のために、お互い日勤になるよう調整したのだ。

茉琴さんは、結構甘党だ。幸せそうにケーキを口に運ぶ彼女の姿に、私も顔がほころぶ。

続いて、用意したプレゼントを寝室から持ってきた。

小さな紙袋を見て、茉琴さんは目を丸くしている。


「えっと…

これ、お祝いの品っていうか、プレゼント。」


かなり迷ったけど、レザーのキーケースにした。

目の覚めるような青色で、中は生成りの二つ折り。

…これを選んだのは、朝の忙しい時間帯に、彼女が鍵を探し回ることが多かったからだけど。

それ以上にデザインが良くて、似合うと思ったのも理由だ。


「茅陽、可愛いやつめ!」


「ちょ、確認してよお!」


急に抱き着こうとしてくるのが、この人の悪い癖だ。

…距離感が近いよお。


「えー!

おしゃれやん!」


「鍵、まとめたら失くしにくいかなって。

…これ自体を失くさない限りは。」


「失くせへんよ〜。

えー、大事にする!」


…本当かなあ。

早速、手持ちの鍵をナスカンに通している。

青は目立つし、制服とも合う色。

なにより、茉琴さんのイメージにぴったりで、この色を選んで良かった。


金具のぱちんという音の間に、なにかの物音が鳴った。

外壁に重い物が擦れたような、馴染みのない音。


「…?」


「茅陽、ここおって。」


音は、ベランダの方から聞こえたようだった。

二人して、閉め切ったカーテンの先を注視する。

…ここは二階で、外からの物音に心当たりはない。

まさか、泥棒…?


音を立てずに近付き、茉琴さんはカーテンに手を掛ける。

姿勢は低く構え、短く息を吐き、一気にスライドさせた――


「あっ…」


ベランダに繋がる引き戸、その外側には誰かが背中を向けて、もたれかかっていた。

透明なガラス越しに見えるのは、僅かに上下する小さな背中と――

線を引くように塗られた、赤い血の筋。


「忌助《いみすけ》!」


茉琴さんが窓を引いて、裸足で外に出る。

小柄な女性の身体を支え、部屋の中へ引き入れる。


「茅陽、救急箱!」


「はい!」


呼吸を荒くして、身体のあちこちから出血している女性。

……鷹司忌助。

この人が、ここにいるということは…


「言い訳の、しようもございませぬ……

しくじり、申した…」

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