残されたもの
日がどんどん、傾いていく。
荒くなった白い息と、乱れたリズムで地面を蹴る音。
夕焼けで染まるグラウンドには、私以外には誰もいない。
「佐山ー!
ほどほどにしとけよー!」
遠くから、誰かの声が届く。
手を上げて返事をし、前を向いて再び集中する。
時間も、何周走ったかも関係ない。
限界まで身体をいじめ抜けば、明日にはもっと走れるようになるはず。
…来週までには、もっとちゃんとできるようになってるよね。
……もう、三回忌か。
無心で走り続け、いつの間にか辺りは暗くなっていた。
まだ限界じゃない。死ぬ気でやらなきゃ、追い付けない。
「はあ゛っ…
んっ…はあっ…」
足が縺れ、危うく転倒するところだった。
まだ、やれるのに…
心に、身体が付いてこない。
左腕のスマートウォッチが振動して、トークの通知を知らせる。
『時間、確認しなさい。
ご飯用意しとくよ。』
…あんまり待たせるのも悪い、か。
明日は、もっと早くから始めないと。
足を引きずるようにして部屋に戻り、ベッドに倒れ伏した。
身体中の水分が出尽くしたかのような汗。
シャワーを浴びに部屋を出る、そんな簡単なことすら、身体が拒否している。
でも、やりすぎだとは思わない。
さやちゃんなら、まだ続けてた。
横になったまま、スマホに手を伸ばした。
【私の大好きな仲間たちのこと】
親友が残したメッセージのひとつ。
茉琴さんから受け取ったそれを、もう何度再生しただろう。
『えっと次は…
仲間たちのこと!
見ず知らずの私を助けてくれた、心から信頼する…ってさっきも言ったか。
皆とっても強くて凄くて、なんで歴史に名前が残ってないのか不思議なの。
だから、皆のこと、これを見ている人には覚えておいて欲しくて。』
…変なの。
顔も知らない誰かを覚えておいて欲しいなんて。
『まずは、奥白石つるさん。
私の大好きなお姉ちゃんで、信じられないくらい美人さん!
もちろん凄い人で、楽土でつるさんより強い人はいないと思うなあ。
千年くらい前の平安時代の人で、なんと、金太郎とお友達だったんだって!
あの金太郎だよ!
鬼とか妖怪を退治するお仕事をしてて、二メートルくらいある大太刀を使ってて…
なんと言っても、力がすっごく強くてね――』
本当に、好きなのが伝わって来る。
全然整理されていないけど、とにかく知って欲しいのって顔。
表情豊かだなあ。
『次は、イーゴン・アシュクームさん。
イングランドの人で、どこかの領主さんの息子さんだったみたい。
百年戦争で、フランスと何度も戦ったって言ってたなあ。
あ、百年戦争っていうのはこっちに戻ってから調べたんだけどね。
楽土に行ってすぐの頃、私は脚を怪我しちゃってて、イーゴンさんにおんぶされて何日も揺られてたの。
今思えばすっごい体力だと思う。
しかも、金属鎧も着込んでたから、ちょっとおかしいのかも、あはは。』
楽しかった思い出を、子供のように無邪気な顔で話し続ける。
歳の離れたお兄ちゃんみたいな感じなんだろうな。
『次は、セラ!
セラニール・ラ・ヴァリエール。
フランス人の女性剣士で、近衛騎兵っていうお仕事をされてたみたい。
騎馬が得意で、目がとっても良くて、防御術の達人。
しかも、あの皇帝ナポレオンの護衛に就いてた経歴があって、それだけで凄さが伝わると思う。』
「…で!」
『で!そんなに凄いセラがどういう見た目かというと、もう、ほんとお人形さんみたいに可愛らしくてね!』
ここ、好き。
なんだか自然と笑顔になっちゃうな…
動画を止め、上体を起こした。
呼吸は整っていて、もう歩き回るくらいならできる。
「あ、佐山ー。
今日はどんなもん?」
廊下で私を呼び止めたのは、同期の大井くん。
”どんなもん”、か。私も確認してなかったな。
スマートウォッチには、今日走った距離が記録されている。
「…三十九キロ。」
「やばすぎるやろ、マジで…」
「なにか問題ある?
シャワーいくから、じゃあね。」
熱を持った身体を、冷水のシャワーで強引に冷やし、外気で更に温度を下げていく。
十五分ほど歩いて、彼女とは二週間ぶりの再会となった。
「おかえり茅陽。お腹空いてる?」
「ただいま、茉琴さん。
…空いてる、かも?」
玄関まで、いい匂いが漂う。
ぎこちなく靴を脱いで、つい顔を顰めてしまった。
間髪入れず、茉琴さんの表情が険しくなる。
即座に左手首を掴まれ、スマートウォッチごと彼女の顔の高さまで引き上げられた。
「…やりすぎ。
身体壊すで、ほんま。来週、わかってるやろ。」
「わかってるよ…
でも、やれることはやっておかないと。」
袖を捲り、キッチンに立つ茉琴さん。
彼女の左腕の傷は、まだ目立つ。
醤油の焦げた美味しそうな匂い、だとは思うけど。
今はなにを食べても、あんまり変わらない。
「味、どう?」
「…美味しい。」
にんにくや生姜の香りだけは、はっきりわかる。
「前のと変えてみたけど、わかる?」
「ごめん…」
茉琴さんは少しだけ悲しそうな顔。
私のために丁寧に作ってくれてるのに、こんな反応しかできない。
好物だった鶏の唐揚げも、今では栄養補給のための塊にしか思えなくなった。
「外泊許可、取った?」
「うん、もう下りた。」
来週の金曜日は、さやちゃんの三回忌。
芳乃さんから連絡があって、時間と場所はもうわかってる。
久しぶりの埼玉だけど、楽しみではない。むしろ、自分の家族と顔を合わせるのが、気まずくて仕方なかった。
「茅陽、あのな…
忌助も、連れて――」
「来なくていいよ。」
お箸を置いて、言葉を遮った。
茉琴さんは、ばつの悪そうな顔。断るってわかってて聞いたくせに。
「…ごちそうさま。もう、戻るね。
ご飯、ありがと。」
「…うん。
また、来週な。」
寒くて凍えそうな、伏見の夜。
もう二年も前のことなのに、まだ近くにいる気がして…
走り続ければ、追い付けるかもって、自分に言い聞かせてる。
もう少しで、やっと私もスタートラインに立てるよ。




