第112話
十一月 二十七日。
剣士に関わる事件が収束した、その翌日。
「いつでも、電話してな。
どんな些細なことでも、なんでも。」
「…うん。」
家で一泊させた後、京都駅まで茅陽を送った。
大宮まで行けば、家族が迎えに来てくれるらしい。
…家族との時間が、この子の心を癒してくれることを願うしかない。
新幹線は、行ってしまった。
光の消えたような茅陽の瞳が、頭から離れない。
まだ、付いててあげたかったけど…
*
十一月 二十六日 十七時頃。
救急車が到着したその時にはもう、さやの呼吸は止まっていた。
彼女の手にあったはずの長物とリュック、そして離れた位置にあった太刀の鞘。
それが唐突に、消えた。
……きっと、一緒に旅立ったのだろう。
病院から、さやのお母さま、芳乃さんへ電話をかける。
どう伝えればいいのか…
鳴り止まない嗚咽に、ただ立ちすくんだ。
何度も娘の名前を口にする、悲痛な問いかけ。
なにも、言えんかった。
一言でも、慰めの言葉をかけようなんて、自惚れや。
遠い土地で、わけもわからず亡くなった一人娘。
…こんなに、理不尽な話があるか。
さや…あんたは、ほんまに…
親不孝もんや…
最後に手渡された、血塗れのさやのスマホ。
画面のロックが解除されて、ホーム画面にはアイコンがひとつだけ。
それをタップすると、彼女が自分で撮ったらしき動画が数個残っていた。
【お母さんへ】
【ちーちゃんへ】
【茉琴さんへ】
【警察の方へ】
【覚えておいて欲しいこと】
【私の大好きな仲間たちのこと】
「なんや、これ…あほ…」
いなくなった後のことも、考えとった。
あの子らしい、用意の良さ。
「…お前は、もう警察やめろ。」
辻野くんは、感情をストレートにぶつけた。
…私も、続けていける自信なんかない。
でも…あの子が、少しでも警察官としての私に憧れてくれたんなら…
ここでやめたら、さやに顔向けできん。
「さやの代わりに、私が…
この街を守らんと、あかん。」
自分の言葉が、胸に突き刺さる。
辻野くんは、少しだけ涙を浮かべて、その場を去って行った。
「…データは全部見させてもらった。
お前は…今は、見るな。」
ノートパソコンを開いたまま、宮本さんは赤く充血した目でそう言った。
お子さんがいる一人の親として、さやの残した動画は辛すぎるものがあるはず。
繋がりがあった私が、冷静に見ていられない内容だと、判断したようだった。
データのコピーを、芳乃さんと茅陽に渡せるように、SDカードに転送しておく。
調書は、簡素なものになった。
一週間、この街で続いた一連の事件。
最後の一件は、伏見稲荷大社の楼門前。未成年の女子生徒が一名、死亡。
あの子の死に様は、たったこれだけ…
「京都を、守った、のに…」
身を挺して、生まれ育ったわけでもない街のために。
なにをしても、借りは永遠に返せない。
ようやく感情が追い付いて来て、涙が溢れて、用紙を濡らした。
「茉琴殿、お戻りで。」
「どの、はやめて。」
家の前に着いたその時、背後から声がした。
室町時代の剣士、鷹司忌助。彼女の件は、宮本さんに報告している。
明日、彼女を連れて伏見署で話をすることになっていた。
切断されたはずの左肩から先は、もう元通りに再生している。
人の世界のルールを無視した、異物。
さやの…仇。
「明朝、戻るよう致します。」
あの特異点を監視する役目。
それを彼女に与えたのは、茅陽だった。
『…許さない。私のっ、私の……!
永遠にここで、見張りをしろ!』
悲痛なあの光景は、忘れられない。
あの瞬間、茅陽の心は燃え尽きたのだろう。
「鷹司…って、公家の?」
宮本さんと私、辻野くんの三人で、忌助に聴取を行う。
「は。
大殿…父は、鷹司房平公にございます。
生前私は、故ありて、同じく五摂家に連なる、一条家に仕えておりました。」
そういう、ことやったんか…
あの時の反応、合点がいった。
忌助は、抜けないように結束バンドで縛られた刀を、会議室のテーブルに置いた。
「私が真白さやを討つは紛れもなき事実。
されど、この京の街と、人々を守る意は同じ。
…謀反の疑いあらば、即座に首を落としてよい。」
「…信用できるか。」
辻野くんは、相応の敵意を彼女に向けている。
逆に私は、不思議なくらい冷静に状況を見ていた。
宮本さんは、感情をまったく表に出していない。
「辻野殿、私には真白さやから継いだ役がございます。
何人も、それを阻むことは出来ぬ。
蓋し、茉琴殿が命ずるならば、その限りではない。」
「もう、ええわ。」
それだけ言って、会議室から辻野くんは出て行った。
「――正直、これは俺の手には負えん。
上に報告するにしてもな…
やけど、このお嬢さんが”勝手に”特異点を見張るんなら、止めるつもりはない。」
余りに前例のない事態に対する、人智を超えた対応策。
非公式に協力して、特異点の見張りと、剣士の対処を彼女にさせる。
そういうことだろう。
…あれから、もう一週間。
伏見で起きた一連の事件。
その被害者の総数は、四十名。
伏見事件と名付けられ、連日、報道番組のネタになっている。
キャスターとコメンテーターが、大声で議論を繰り返して。
…ばかばかしい。
そこで座っているだけのお前らに、なにがわかる。
誰が三十九名で押し留めたか、なんも知らんくせに。
部屋でひとり、やり場のない怒りに身を任せていた。
着信が鳴って、画面を見ると――
「茅陽!」
乱暴にスマホを取り上げ、すぐさま電話に出た。
一瞬、言葉が詰まる。
ずっと、音沙汰がないままで心配していた彼女からの電話。
『もしもし?』
「もしもし、茅陽?
怪我、どうや?なにか、あったんか?」
つい、質問攻めにしてしまった。
『怪我は、まだ良くならなくて…
あのね、一条さん。』
「うん、どうしたん…?」
『十二月の八日に、追悼式があるの…
一条さんにも、来て欲しい。
……あの人も、連れて。』
生徒たちの葬儀は、先週のうちに行われたらしい。
さやの葬儀に出たかったけれど、交通機関の規制でそれは叶わんかった。
「うん、わかったよ。
場所と時間、またトークでお願いな。」
「急で、ごめんなさい。」
茅陽の声は、沈んだまま。
…時間は、まだまだかかる。
「茉琴殿、如何にしました。」
「…刀、預けて。
現代の服に着替えてもらいます。」
忌助は、腑に落ちない顔。
黒っぽい古風な衣装は、闇に紛れられるかもしれないけど、現代では目立ちすぎる。
伏見稲荷大社から、車で自宅へ戻る。
自動車に乗るという体験に、落ち着かない様子だ。
「私は渦の監視が…」
「私の仲間が見てくれてる。不満?」
この人は、一条の名を持つ私にかしこまった態度を取る。
伏見を守るのに、せいぜい利用させてもらう。
「不満など、ありませぬ。
されど、命を落とすやも…」
「…あなたには、責任を取ってもらいます。
これは、その一環。」
自宅に着き、私の服を貸し与える。
体格はそんなに変わらないし、これから洋服店に行くくらいなら充分か。
…ところで。
「あなた、それが下着?」
「したぎ…?
申し訳ございませぬ。それは、存じ上げぬもので…」
黒装束を解いた彼女の身体には、簡素な麻布が巻かれているだけだった。
…室町時代にまともな下着はなかったんやな。
さすがにこのままにはしておけんか。
「…これから、下着と洋服を買いに行きます。
私と二人でない時は、下手なことは口にしないように。」
「は。
されど茉琴殿、私には金子もございませぬゆえ…」
「従いなさい、余計な心配はええから。」
わかってるわ、そんなこと。
…追悼式に出るのに、変な格好で行かせられるか。
仮で私の衣服を着せて、買い物に出かける。
動き辛そうにしてるけど、戦闘するわけではないから構わんやろう。
「茉琴殿、この拘束具だけは…
息が苦しいもので…」
…悪かったな、サイズが合わんで。
大型の洋服店で、フォーマルな上下を見繕う。
「…これは、女の着物では。」
「なにか問題?」
曲線的なシルエットの女性用ジャケットとスカート。
妙に難色を示す忌助。
「他のものを試されますか…?」
店員の提案で、少しサイズが大きいものを試着していく。
どうにも、戦闘時の着心地を考えているようで、動きやすさを重視した様子。
こればかりは譲ってくれない。
洋服店で、男性用のジャケットとパンツ、インナーとシャツ、ネクタイと革靴を購入する。
言いつけ通り、店員による採寸の際にも、忌助は妙なことは言い出さなかった。
現代の文化に迎合するつもりはあるみたい。
「どうにも…
刀がないというのは、落ち着きませぬ。」
帰りの車中、助手席でそう言い、胸元を手で押さえて苦しそうにしている。
「…さやの故郷へ行くのに、持ち込ませるわけにはいかん。
刀は家に置いて行きます。」
「それは…承知致しました。」
来週の月曜日には、合同追悼式がある。
そこでこの人には、芳乃さんと会ってもらう。
自分が殺した、なんて絶対に伝えさせるわけにはいかん。
茅陽はこの人を見て取り乱さんやろうか…
自分で望んだとはいえ、あの子には辛すぎる。
「あの者、茅陽は…なにゆえ私を…」
「…あなたは、私たちよりさやの最期をよく知ってる。」
自分で言って、妙に腑に落ちた。
さやのこと、私はわかったつもりになっていたけれど…
あの瞬間、もうあの子は……剣士やった。
さやの最期を語るのに、この人以上の適任はおらん、か。
……悔しいな。




