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剣の楽土  作者: かが介六郎
第二部 現世の剣

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第111話

どうして今まで、考えもしなかったのだろう。

私は、もう普通の生者とは言えない状態だったのに。

都合良く解釈して、見ないふりをしていた。

つるさんはきっとこれを…そっか、本当に凄いな……


「どういう意味……?」


ちーちゃんが震える声を上げた。

茉琴さんは、口元を手で押さえ、目を剥いて私を見ている。


「……忌助さん、やろう。」


「そなた…

こうも潔《いさぎよ》いとは、拍子抜けよ。」


…諦めるわけじゃない。

最後の最後の、最後まで。

生き抜いて、それからだ。死ぬのは一回きりなんだから。


「ね、勝負しようよ。」


「…なに?」


私が死ぬしかないなんて、本当にそうなのか。

つるさんと忌助さん、二人の意見を覆《くつがえ》すなにかが、まだあるのではないか。


「私が勝ったら、一緒に他の方法を探して。

……負けたら、好きにすればいい。」


「さやちゃん、だめだよ!」


刀を下げたまま、思案する様子の忌助さん。

その瞳は、熱を持っている。


「…無為《むい》なる勝負だ。

元より、私はそなたを誅戮《ちゅうりく》するつもりで…」


「…そっかあ。

雷蔵さんと二人でないと、私と勝負もできないの?」


忌助さんの顔に青筋が走る。

次第に、強い敵意の色に染まっていった。


「吐いた言葉は、もう呑めんぞ…」


「雷蔵さんも、あなたみたいな人に使い捨てられて、可哀想。

私なら、彼の愛に答えてあげたのに。」


「そ、なたっ!口を閉じよ!!」


忌助さんの大きい挙動。

一気に目前まで迫った彼女の、大上段からの振り下ろし。

精彩を欠いて、刃先がブレている。

その縦振りを左に躱し、隙を突く。

彼女の右手、狙いはその一点。

しかし狙い澄ました太刀の軌道は、急カーブした刀で弾かれる。


後退し、また間合いを離す。彼女の姿勢は、低い。忌助さんは私の足元を狙う、横振りの構え。

対して私は太刀を下げ、迎撃の軌道に置く。

真っ直ぐに突進が来る――


そう思った瞬間、忌助さんの身体が更に沈んだ。

前へ倒れるように、姿勢が崩れる。


違う。倒れたんじゃない。


忌助さんは片手を石畳につき、前転するように身体を回す。

私の足元を掠めるほど低く、黒い影が右側から背後へ抜けた。

視界から、彼女が消える。


反射的に振り向いた。

その時にはもう、刀が振り抜かれていた。


膝から力を抜く。

自分から地面に落ちるように、両膝を石畳へ打ち付けた。

横薙ぎに、刃が頭上を掠める。


痛みを無視して、接地した膝を軸にし、身体を回す。

腰を先に回し、肩を遅らせ、橘宗次を最後に走らせる。

遠心力を乗せた一撃を走らせていく。


振り抜いた直後なら、防げない。

そう思った。


けれど、いない。

太刀の軌道上に、もう忌助さんはいなかった。


更に低い。私の回転の下へ、潜っている。


地を這うように身体を回した忌助さんの刃が、橘宗次の下から跳ね上がる。


「っ……!」


重い一撃が、太刀を弾いた。

スニーカーのつま先が、石畳から離れる。

身体が浮くほどの衝撃。


柄から手へ、振動が突き抜けた。

肘まで、電気が走ったように痺れる。


太刀が上がる。

腹が、無防備に空く。


そこへ迫る、冷たい直線の突き。

咄嗟に、身体を横に折って躱す。

けれど、私の身体の左側、脇腹に刀が貫通した。


「うああっ!」


焼けた鉄を押しつけられたような痛み。

――でも、一か八か。

彼女の予想を裏切らないと、勝ち目はない。


背中側から切っ先が抜けた、彼女の刀。

痛みはもう、恐れない。

刃を掴み、前へ。より深く、近く。

鍔が腹に触れるまで、間合いを潰す。


「なっ…」


もう、間近だ。

橘宗次の刃を上に向ける。

そのまま、彼女の左腋の下から上へ、手前に引くように斬る。

反りが、彼女の腕を肩口から落とした。


「ぐっ…ええいっ!」


腹を蹴られ、刀が強引に引き抜かれる。

血が、一本の帯のように、彼女の刀と繋がっている。


ゆっくり、地面に倒れ込んだ。

身体を打ちつけたのに、衝撃を感じない。

呼吸が上手くできない。音が、遠い。

…だめ、か。


ぼんやりとした視界の先に、誰かが立っている。

忌助さん、じゃない…

私の身体は起こされ、涙を流すちーちゃんの顔が、視界いっぱいに広がる。


「もう…やらせない。」


「……お下がりくださいますよう。

天下泰平の為には、真白さやの命を要するのです。」


…肩口を押さえながら、青白い顔でそう答える忌助さん。

引き分け…

それにしては、私の方が重傷か。


「さやちゃん、さやちゃんっ!!」


泣かないで…

ごめんね。私は、勝負に負けた。

忌助さんの、勝ち…


だめ、だ。時間がない。

残った力で、茉琴さんに声をかける。


「リュックを…ま、ことさん…」


すぐさま、私のリュックが手元に届く。

その中から、自分のスマホを取り出して、茉琴さんに手渡す。

血塗れになったそれは、昨日からロックを解除してある。

どうか、役立てて…

茉琴さん…


「…私の、勝ちで、よいな。

そなたの役は、終いだ…」


「うん…

最後に、ひとつ、いいか、な…」


金属音が鳴り響いた。

刀を捨てた忌助さんが、近くに寄ってくる。

茉琴さんが身体で庇おうとするのを、手で制した。

追い討ちをかけるような人ではないと、もうわかっていた。


「…申せ。」


「…これが、なんだか、わかる、でしょ。」


目線を、ふたりに向けた。

傷口を押さえてくれるちーちゃんと、必死に電話をかける茉琴さん。

なにも知らない忌助さんには、知っておいて欲しい。でないと、安心して楽土に行けないから。

この人は、きっと現世を守ってくれる。

街を守る、剣に…


「忌助、さんは…知ってる…はずだよ…

感じたこと、ある、はず…」


苦い顔で、歯を食い縛る彼女。

だめだな。私も、上手く言葉にできない…


「……わからぬのだ。

私がどれだけ求めても、誰もっ…!

誰も……」


「雷蔵、さんは…

そ、ばに、いてくれ、たでしょ。」


「あの者は、我が道具に過ぎぬ!

道具が愛など、知るものか…」


ちーちゃんの手が震えて、傷口から血が漏れ出ていく。

ああ、でも、温かいなあ…


「さやちゃん、もう、いいよ…

一条さん、速く、救急車を…」


茉琴さんは電話口で、早口で状況を伝えている。

…時間は、そう多くはない。

自分の身体のことは、不思議とよくわかってしまった。


「もう、だめ…なんだ…

痛く、ないの。」


ちーちゃんの呼吸が止まる。

茉琴さんが、膝から崩れ落ちた。


「忌助さん…

雷蔵さんの、こと、よく思いっ…出して…

あなたに、だけ、向けていた顔を…」


「そなたに、雷蔵のなにが…!」


彼の名前を口にすると、怒り出す。

自分が一番、彼のことを理解していたんだって、むきになって。

それが、どういう意味なのか、きっとそのうちわかるよ。


なあんか、変な気持ち。

死ぬのがわかってるのに、自分よりも、誰かのことをこんなに心配してしまうなんて。


「それが、愛。街を、守って…

そこに住む、皆の愛を…うっ、ごぼっ…」


血の塊が、喉の奥から流れ出た。


困惑した忌助さんの心の内は、わからない。

もう、あなたにしか頼れないの。

私がいなくなった後のこと、勝手だけれど、お願いね…


「……京の人々は、我が剣にて守り通す。

そなたは、なにも心配せずともよい。」


彼女の顔から、敵意はとっくに消えていた。

決意をした、強い瞳だ。


「あはは…

それも、愛。はあ…あっ…わかって、きたね。」


茉琴さんが私の手を握る。


「だい、じょうぶ、さや…

大丈夫、やから!」


「いっぱい、我がまま言って…

全部、聞いて、くれたの、嬉しかった。

ふ、う…歳の…離れた、友達みたいで…」


「そこは…お姉さん、やろっ!」


「あ、はは…好き、だよ。

そういう、とこ。」


もう、時間がない。

身体が冷たくなっていく。


「ちーちゃん。」


顔をくしゃくしゃにして、私へ向く瞳。

いっぱい、泣かせちゃったなあ。


「よかった…

まも、れて。よか、ったあ…

ひどいこと、言ったのはっ。ふっ…うう。

全部、うそ…」


「わかってる、よお…!

親友だもん…!」


ぽたぽたと、涙が顔に落ちてくる。

ああ、もう…お別れだ。


「…恐れるな。

奥白石《おくのしらいし》が、そなたを待っておる。」


少しだけ、怖かった。

楽土へ行けなかったら、どうしようって。

なんだ、優しいとこ、あるんだ…

ありがとね、忌助さん。


また会えるね、つるさん…

私の……


「……お姉、ちゃん。」


「さや!

―――!」


声が遠ざかっていく。

冷たくなった手に残る、温かい感触。


「――!

―――!」

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