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剣の楽土  作者: かが介六郎
第二部 現世の剣

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第108話

いやだ、いや……

待ってよお、置いて、行かないで……


「弔《とむら》う暇は与える。

しかし、娘よ。私の邪魔をしたな。」


「お、お前え……!」


目の前が、真っ赤に燃える。頭が沸騰して、蒸気が漏れ出る。

顔が裂けるように歪んで、歯が砕けるほどに激しく噛み締める。


「ふん、大した殺意。

その矮躯《わいく》、飲み込まれるほどの濁流か。」


「ぐっ…!殺す…!」


力を込める。柄を握り潰す。

手の骨が、軋む。構うか。


「娘、楽土の匂いだ。

…しかし、なにやら奇妙ではあるな。」


…視たぞ。

浅倉さんの言葉、思い出せ…


力で戦っても、勝ち目はない…!

でも、でも…!

殺したい、殺し、たい…!!


「…そうか、貴様が楽土の生者。

この場に私がいるのも、縁あってのことか。」


「私の、せいで、浅倉さんも…」


なにもかも、許せない。

皆、いなくなる。

私がちゃんと出来ないせいで…!


「娘、私は殺す相手を選別する。

この者は、私の目に適《かな》った。貴様は、どうかな。」


「…なにさまのつもり?

殺す相手を、選んで…!

神さまにでもなったつもりかっ…!」


こいつの言葉は、私の怒りを増幅させなかった。

むしろ、急激に思考が冷えていく。


「そういうものであろう。

選んで、殺す。貴様もそうするのではないか?」


「…そうだね。私も、選んで殺すよ。

……真白さや、お相手、仕る。」


冷たい空気を吸い込んで、それが肺の中で熱されて出ていく。

橘宗次、一緒にいて。

……勝つよ。


「ナブ・エテリ。

さて、半人前か一人前か。」


相手の両足からは、まだ血が滴っている。

彼が残してくれた、私の利。

そして、充分に視た。


両腕をだらりと下げ、脱力しているナブ。

鞭のようにしなる四肢、攻守どちらも隙がない。

――でも、こいつは全力を出せない。


「来ないの?」


「そちらこそ。見せてみよ。」


お互い、後手に動くスタイル。

来ないのなら、まだ視れる。


右足の裏と、左脚の太腿に傷。

脚で防御する動きは、満足にはできないはず。

青銅剣は分厚く、重いだろう。それにあの短い柄では、両手持ちは難しい。


「私は、先に動くつもりはない。」


「困ったな。私もそうなのだよ。」


…信用ないな。一時も私から目を離さない。

油断していれば、付け入る隙があるのに…

いっそのこと――


「…なんだ。

先ほどの殺意はどこへやら。」


太刀を下ろし、浅倉さんの大きな身体のそばへ遠慮なく近寄る。

うつ伏せになった彼を、仰向けに起こす。

……痛かったね、浅倉さん。

ごめんね…助け、られなくて…


もうひとつ、謝らせて。

あなたの遺体を、道具にする。

勝つためなら、人でなしにもなる。

きっと合理的だって、言ってくれるよね。


「…生者の娘、牙が抜けたか。」


――もう少し。


「…悼《いた》むくらい、いいでしょ。」


「…では、もう一人の剣士を当たるとしよう。」


…あの、凄腕か?

でも、それはいい。背を向けたな、私に。

殺意を抑え、武で心を圧し潰す。

待ちわびた好機。だけど、命に関わる場所は狙わない。

殺意が、漏れ出ないように。


「ふっ、はっはっは!面白いな、娘!」


切っ先は、右肩を貫通した。捻《ねじ》って、引き抜く。

さあ、仕掛けて来い。


「首を狙えばよいものを。その殺意は飾り立てか。」


「来いよ。先に動いてやったぞ。」


狭い室内で、大振りな一撃が走る。

青銅剣の横薙ぎ。それを低く構えて躱《かわ》す。

次、戻りで胴を狙う軌道。

恐れちゃだめ。前に出て、剣の軌道の内側に。

迫る右腕を待つように、刃を”置く”。

来る。

――いや、止まる。


急停止した右腕を無視し、受けの姿勢だった太刀の切っ先を鳩尾に向け、一直線に。

刃を下に向け、突き上げた。


横から膝が迫る。柄から力を抜いて、手首で受けた。弛緩《しかん》した両腕が膝に押し流されていく。

体勢は保ったまま。

ナブの方から間合いを切り、三歩退いた。仕切り直しだ。


肩の傷、痛みは相当なはず。

でも、無視しているな。剣士のやり方だ。


「守るだけか。」


「喋るだけ?」


相手は薄く笑い、次が来る。

ナブ・エテリの無手の左腕が、斜め上から迫る。

刃を盾のように置き、青銅剣を注視した。

打撃は本命ではないはず。


――いや、そうか。

今だけ、左腕が本命か。


広げられた左手は、太刀に触れる寸前で勢いを止めた。

フェイントに反応すると読んだか。

…侮《あなど》って、くれないな。


ナブの右腕に力がこもる。

大振りな一撃は、袈裟斬りの軌道。

飛び退いて、避ける。

視えたぞ。明らかに、さっきよりも鈍い。


わかった。左右の腕、連続では動かせない。

――痛いんだ。

傷口だけじゃなく、関節そのものが。


「よい、貴様も選別の対象である。」


この喋りも、時間稼ぎ。

異様な可動域の関節は強力だけど、制約付き。

好きなだけ待たせてもらう。


ナブ・エテリの右腕を狙う、太刀の一突き。

相手は腰を回して上半身を捻り、大袈裟に躱した。

至近距離、軋む左肩が目の前に――

左腕が来る。うなじを狙っているのか。

柄から離した右腕を、ナブの腹に押し当て、無理矢理横に飛ぶ。


「ぐうっ!」


倒れ込んだ先で、家具に激突した。


僅かに、ナブ・エテリの表情には変化がある。

肩の関節は、酷使すると熱を持って痛む。

――東郷さんの言っていた通りだ。


お前の関節が音を上げるか、私が死ぬのが先か、どっちだろうな。


「ふむ。冷静だな。手強い剣士よ。」


平静を装うも、だらりと力なく下げられた両腕。

上げていられないんだ。


立ち位置を調整して、刃を上向きにして突きの構えを取った。

ナブ・エテリの下がった腕は、防御の意志の現れだ。

一気に踏み込む。


へそを狙う直線軌道、馬鹿正直に攻めると見せかける。

――今、刃を上に。


右足で床に噛み付き、急停止。

刃を跳ね上げ、太刀が喉元へ迫る。

右手で柄を送り、横からの膝は左肘で受ける。


目の前で褐色の胸が脈打ち、肩が隆起する。

軋む左腕が、外側から回り込んで来た。


狙いは――うなじ。


「…それはもう、視た。」


喉元へ向けていた切っ先を急停止させ、刃を横に寝かせる。

そのまま柄頭を掌底で叩いた。


「ほう!」


太刀が斜め上へ跳ねる。

うなじへ迫っていた左腕、その内側へ切っ先が潜り込んだ。


肉を貫く感触。

続いて、骨に当たる鈍い抵抗。


そのまま、引く。

力じゃない。技で、斬る。


ナブ・エテリの左腕が、肘の先から離れた。


直後、頭に強い衝撃。

視界が赤く弾け、頭蓋の内に星が飛んだ。

腹に重い圧が来る。

蹴り飛ばされた――


「腕を取られるのは経験がない。」


「ごほおっ…遅いん、だよ…

痛いなら、そう言いなよ。」


左目を覆い尽くすほどの血が、眉の上から垂れてくる。

腹の中が、かき混ぜられるような衝撃。

生きているなら、関係ない。


相手の左腕は断った。

右腕は、どれだけ連続使用に耐えるかな…?


次で決める。

行こう、橘宗次。

行くよ、浅倉さん。


離れた間合いを、同じ軌道で踏み込む。


ナブ・エテリの左膝が、僅かに動いた。


防ぎに来る。さっきと同じ。

太刀を逸らして、私を流すつもりだ。


全力で、止まることは考えない。

抱き締めてもらうつもりで、進む。


「はああっ!」


「芸がないな。」


膝の外側で、橘宗次が逸らされた。

身体ごと流される。

ナブ・エテリの横を抜け、その背後へとたたらを踏んだ。


そのまま、壁へ叩き付けられた。

橘宗次が木目に深く食い込み、両手首が悲鳴を上げる。


目の前には、壁。

背中の向こうには、ナブ・エテリ。

そして、足元には――浅倉さん。


もう届いた。

橘宗次から手を離す。

もうひとつの得物を取る。


浅倉さんの身体の陰に、置いてあった打刀。

さっき、私がそこへ置いた刀。

主の仇を、この子が討つ。


「なっ……!」


「終わり。」


振り返りざま、褐色の背中へ踏み込む。

その腰に、背後から突き刺した。


刃は、横向き。

殺意と一緒に、外側へ斬り開いた。


「見、事…」


はらわたを露出させた、ナブ・エテリの身体。

力無く倒れ、崩れ落ちた。



…

……っ

うっ、ぐうっ…


「あさ、くらさん…

浅倉さあん!!」


なにも、答えてくれない。

もう動かない。


「勝ったよ…二人でっ…」


大きな身体に顔を埋めて、大声で泣き叫んだ。

涙と涎が、空色の羽織を汚していく。うるさいぞって、言ってよ…


「さや…!なっ…」


「う、そ……」



「…傷口を押さえて。」


茉琴さんの手にあったタオルを、左眉の上に押し当てる。

涙は、ずっと止まらない。


「うああああ…!」


ちーちゃんも、浅倉さんのそばでずっと涙を流している。

茉琴さんも、鼻をすする。

血塗れになった部屋の中に、彼を寝かせていたくなかった。

隣の部屋に布団を敷き直して、三人で重い身体を運んで寝かせた。


「茅陽…静かにせな、寝られへんよ。」


「でも、でもお!」


顔をくしゃくしゃにするちーちゃんの前で、茉琴さんが手を合わせて、目を閉じる。


「…お疲れさまでした、浅倉さん。

今まで…ありがとう、ございました。」


遺体に縋り付いていたちーちゃんも、それに倣《なら》う。


「あざ、くらさん…

ありがとう…ございました…」


彼の刀から血を拭き取り、鞘に収める。

あなたも、お疲れさま。…ありがとうね。


浅倉さんの胸の上に、彼の刀を置く。

そして、私の荷物の中に紛れていた、あの日本酒も。

正座して、手を合わす。


一緒にいてくれて、ありがとう。

信じてくれて、ありがとう。

全部、忘れないよ。


「浅倉、涛庵《とうあん》さん…本当に、本当に…

ありがとう、ございました!」



ずっと、遺体のそばにいた。

離れるのが、辛くて。

…今、何時だろう。


隣の部屋で、青い光が舞った。

ナブ・エテリの死体が、浄化されて消えていく。

でも、浅倉さんの身体には、変化がない。


泣き疲れて、ちーちゃんは彼に身体を預けるようにして眠っている。

茉琴さんは、壁にもたれかかって上の空だ。


「…あ。」


浅倉さんの身体が、薄っすらと輝いている。

けれど、あの青い光とは違う。

淡い金色の光の粒子になって、手足から解けるように消えていく。


「ちーちゃん!」


目を覚ましたちーちゃんは、彼を見て茫然《ぼうぜん》とした。


「まって、まってえ!」


「ちーちゃん、もう…

お休み、させてあげよ。」


刀と一緒に、大きな身体はどこかへ消えていく。

もう、いない。

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