第104話
水月楼から久喜北高校の皆が出発するのは、九時半だそうだ。
目を覚ましたちーちゃんのスマホに、着信とトークが押し寄せている。
行方不明の前科がある私のスマホにも、通知は止まらない。
彼女のご両親にも、学校の皆にも、謝っても謝り切れない。ちーちゃんは、私が道連れにしたようなものだ。
「怒られる時は、一緒ね!」
不安の裏返しのように見えて、私の手を人の道に引っ張ってくれている。
…雷が落ちたように怒られるだろうけれど、二人で受け入れよう。
「じゃ、お留守番。よろしくね。」
「…気をつけて。」
「さや、私からの電話は着信できるように。」
二人の怪我人を置いて、私は空き家を出た。
浅倉さんの姿は、既にない。
コートを着て、橘宗次を彼に預け、武装もせずに歩き出す。
昨夜、浅倉さんが巡回したのは、空き家より北側だったらしい。
ここから東には、伏見稲荷大社がある。
そのため今日のルートは、南から大きく回って東までの捜索とした。
私は、できる限り目立つように街を行く。小走りで、音を立てて。
水月楼はここよりも北側、京都駅はさらに北だ。南に回るのはルート的にあり得ない。
新幹線の時間は今更変えられないし、私たちの捜索は打ち切るだろう。
「はっ、はっ。」
寒さを打ち消すくらいに、身体が温まって来た。
浅倉さんが言っていた通り、人通りは皆無だった。
――見つけろ、私を。
小走りとはいえ、数十分走り続ける体力が、私には付いていた。
街中を片っ端から探していくつもりだったけれど、ここまで人がいないのなら、大通りで目立つ行動をする方が、確率は高そうだ。
浅倉さんの気配は感じない。
橘宗次を身に付けていないとはいえ、私の神経は鋭く研がれている。
しかし私程度では、彼がどこに潜伏しているか読めない。
胸元で振動があり、着信音が鳴る。
私のスマホは現在、茉琴さん以外の電話を通知しない設定にしている。
なにか追加の情報だろうか。
「はあ…はっ、もしもし?」
『さや、正式に情報が降りた。
昨日、殺害された人はおらん。』
「ほんと!?」
警察か行政が、不要不急の外出禁止など、対応策を出してくれたのかも。
このまま、ラナ・サナを釣り出して、被害者を増やさないように始末する。
それが最善だ。
『さや、気を付けや。
…それと、牧田先生からも電話があって、二人を見てへんかって。』
「あー…
ごめん、嘘吐かせちゃって…」
『はは、別に嘘は吐いてへんよ。
”電話してみる”って言うただけ。』
なるほど…
さすが、茉琴さん。
「これから、伏見稲荷大社の方を目指してみる。
なにかあったら、また。」
『――さやちゃん、早く帰って来てね!』
音が遠いけれど、確かにちーちゃんの声だった。
…うん、帰るよ。
スマホで地図を確認する。
この大通りをもう少し進むと、大きな交差点がある。
ここから北側に曲がれば、伏見稲荷大社へのルートに繋がるようだ。
あの周辺は、特異点があるからなのか、剣士の目撃例が多い。
自然と、引き寄せられているのだろうか。
息がかなり荒くなって、もう走っていられない。冬とは思えない汗の量だ。
上空から、ヘリコプターのプロペラ音が鳴り響いている。
見上げると、ほとんど真上を通過するところだった。
私は、電柱の陰に隠れて、少しだけ息を整えた。
撮影されていたとして特定はされないだろうけれど、念のためだ。
現時刻は、十一月 二十五日 十時 四十分。
空き家を出たのが、八時半頃だ。
もう二時間も経っていたのか。
地図によると、真っ直ぐに伸びるこの道を北に進むと、伏見稲荷大社の前に出るようだ。
距離は、二キロメートル程。
ふと、振り向いた。なにか、聞こえたような…
プロペラ音が、また響く。
「――!」
まただ。…なにか、聞こえた。
どんどん、空からの雑音が遠ざかる。
「――さや、来てみい!」
「っ、浅倉さん、どこ!?」
来た道を戻りながら、彼の姿を探す。
すると、建物の陰から、水色の羽織が少しはみ出ている。
「はっ、はっ、ど、どうしたの――」
彼が見つめる先。そこには、地面に倒れ伏す男。首のない遺体だった。
「そ、そんな――」
「よう見ろ。この男…」
犠牲者…では、なかった。それは、明白だった。
倒れた男の手にあったもの。波打つ刃の、片手剣。
「こいつ…ラナ・サナ…?」
「死んだのは、しばらく前や。」
首から流れる血が、完全に乾いている。
アスファルトにへばりつき、不気味に日光を反射していた。
「ふん…練達の仕業や。
こいつでは、太刀打ち出来んかったやろう。」
切り口から、浅倉さんはそう推測する。
頸椎の僅かな隙間を断たれているようだ。
死体を調べてもらっている間、茉琴さんに電話をかける。
『もしもし、さや?』
「茉琴さん、報告。
無差別殺人の犯人、ラナ・サナは死んだ。」
『っ…
さやが、殺したの…?』
「…違う。浅倉さんが、死体を見つけた。
首を落とされてて、死後数時間経ってるみたい。」
『それって…他にも、剣士がおる…』
「…そう、なるね。
それも、相当の使い手みたい…」
浅倉さんが手放しで評価する相手、油断はできない。
状況から、人気のない通りでその剣士を発見したラナ・サナは、殺人衝動のままに襲い掛かった。
それで、返り討ちに遭ったと思われる。
「そうなると、大柄な相手やないかもしれん。
この外道、そういう手合いに仕掛ける度胸があったとは思えん。」
「でも、狂った殺人鬼なんだし、手当たり次第なんじゃ…」
この男が浅倉さんと殺し合ったのは確かだ。
けれどあれは、ちーちゃんか茉琴さんを狙う衝動に駆られていただけというのか…?
まだ通話は繋がっていて、浅倉さんにも茉琴さんの声は聞こえている。
紙をめくる音が、スピーカー越しに届く。
『無差別殺人の被害者四人の中に、成人男性はいません。
十九歳の大学生の男性が一名、公務員の女性が一名。
高齢者の女性が二名、です。』
「その、大学生の男性の体格は?」
『…えっと。
身長百六十六センチ。
教育学部で、スポーツ経験はなし。
体格は、特に優れていたわけではない可能性が高い。』
それなら、浅倉さんの推測通りかも…
襲いやすそうな人物を狙ったら、相手が凄腕の剣士だった。
……つまらない末路。
でも、やっぱり私が――
「さや!」
浅倉さんが声を出す直前、私は見た。
――ラナ・サナの身体が、砂のように崩れていくのを。
薄っすらと青く光る細かい粒子が、風が吹いているわけでもないのに舞っていく。
そのまま、血痕だけを残して、剣と死体は消えた。
『さや!?どうしたの!?』
「死体が…消えた。魔法みたいに…」
こういう表現もおかしいのかもしれないけれど、幻想的な消え方だった。
青い光が、まるで死者の穢れを清めたように思えてならない。
『九時間近く前に、殺されたってことやね…』
つまり、午前一時くらいか。
昨日の被害者はなし。なら、凄腕の剣士が殺したのは、ラナ・サナのみということになる。
…私の印象だと、真っ当に強い剣士は、意味もなく一般人を殺したりはしない。
その剣士が、罪もない人たちを殺さないことを願うばかりだけれど、手がかりのない内は捜索のしようもない。
「…戻るぞ、さや。
人の気配が出て来とる。」
「う、うん。
茉琴さん、これから帰る。」
『帰り道も、気を抜かんように。』
真っ直ぐ向かう分、ここから空き家までにかかる時間はそれほど長くない。
すぐそばまで来たことだし、伏見稲荷大社に参拝していってもいいかもしれない。
「剣士がおるかもしれん。
軽い気で行くもんやない。」
…それもそうだ。
しかし今、私たちは万全の状態といえる。
相手が一人なら、凄腕でも勝率は高い――
『――早く帰って来てね!』
…声色だけで、どんな顔をしていたかまでわかる。
でも、今は…帰ろう。約束だから。
「帰る。
ちょっと食べ物だけ調達するね。」
「おう。
今度は、魚がええな。」
「…はいはい。あはは。」




