第103話
「死ぬのが、怖くないからだよ。
……さやちゃんは、死んだ先に、なにがあるのか知ってるから。」
間近で戦いを見ていたちーちゃんに、心の奥底を覗かれた感じがした。
私の態度に、違和感を持っていたのだろう。
死んでも別にいいかって、意識の奥底でそう思っていたんだ。
――楽土には、あの人たちがいる…そう、自分勝手に考えていた。
…自分でも、気付かない内に。
「…でもね。死ぬのは、一回きり。
人生を、ちゃんと生きて…
その最後でいいんじゃないかな。」
「私……うん。
そうだね、生きないと。」
荷物を運んで、浅倉さんたちも一階に降りて来ていた。
茉琴さんは、とても寒そうにしている。
電気もガスも通っていない空き家には、暖を取れるものは少ない。
「竈はないんか。
火を焚けばええやろう。」
「ガスが通ってるかどうか…あ、石油ストーブとかは?
灯油さえあれば、使えるかも。」
この空き家は、まるで夜逃げでもしたように、家財道具が残っている。
布団もあと一セットあるらしく、私がちーちゃんと寝れば、茉琴さんの分も確保できる。
まだ探していない場所に、使える物があるかもしれない。
「はあ、甘いなあ、さや。
そんな都合のいいもんが残ってるわけ――」
「はあ~、暖かいわあ…」
…押し入れの下の段から、すぐに見つかったストーブ。
キッチンの方には、灯油の入ったポリタンクと、手動ポンプまであった。
茉琴さんは、暖を求める猫のように、ストーブの前から動かない。
部屋を暖めるのと同時に、灯りの役割もこなしてくれている。
石油ストーブは、味があっていいな。
「茅陽、お薬は?」
「飲んだ~。」
私が寝ていた布団のすぐ隣にもう一枚の布団を敷き、茉琴さんが上着を脱いでそこに入る。
浅倉さんは、睡眠の必要がない。
そのため、夜の間にも、街を巡回してくれることになった。
「見つからなかったんだよね…」
「…そうや。
派手に動いとるわけでもない。」
あのラナ・サナがどういう風に逃走したのか、私は思い出せない。
けれど、あの快楽殺人者が、大人しく夜の闇に潜んでいるとは考えられない。
…今も、どこかで誰かが理不尽に殺されているかもしれない。
「…今のところ、無差別殺人の被害者の続報は降りて来ていません。」
「あいつ、傷は負ってた…?」
私がどれだけ損傷を与えたのかも、よくわかっていない。
深手なら、今日一日くらいは動けない可能性はある…
「動けんような傷は負っとらん。
…あの外道、人を殺さな心を保てんように見えた。
行動を起こさんとは思えん。」
「…浅倉さん、見つけて。
これ以上、被害者が出ない内に…」
本当は、この手で見つけ出したい。
ちーちゃんの受けた痛みを百倍返しにして、殺された人たちの無念を晴らしたい。
…私は、本気でそう思っている。
でもこれは、本当に私の考えなの…?
それとも、殺意に支配されているだけ…?
胸のつかえをそのままにして、眠りに就く。
ちーちゃんの、怪我をしていない右手側に寝る。
痛み止めが効いているのか、その内すうすうと寝息を立て始めた。
「おやすみ、さや。」
「おやすみ、茉琴さん。」
*
「――私の、真似でしょうか。」
「あはは、そうかも…」
えっと、なんの話だっけ…
数歩先に、凛とした表情のつるさん。あれ、もっと近づきたいのに、足が動かない。
「はあ。あの折の我が獣の如き振る舞いは、忘れてしまいなさい。
我が背を追うのはよい。
されど、そなたには私などより優れた智慧があります。」
「でも…
自分で、自分をコントロールできない…」
つるさんは、私の手を握ってくれた。
いつの間にか、こんなに近くにいる。いい匂い。
「せら殿の言葉、忘れたわけではあるまい。
…確と視よ。相手より先に動くなど、そなたの業にてはならぬ。」
…私、どうかしてたな。
攻めないと殺せないからって、自分のスタイルを捻じ曲げて。
自分の強みを自分で消していることに、気がついていなかった。
「遠き時代の、我が妹よ。
我が言葉を、今一度そなたに授けます。
…容易く、戻るでない。」
「…うん、ありがとね、つるさん。」
目を細めて、つるさんは微笑んだ。温かい彼女の手が、離れていく。
暗赤の着流しを翻して、つるさんは去っていく。一本に結われた長い黒髪が、左右に揺れている。
遠ざかる背中を、今は追わない。
*
「むぐ~。」
――あ、夢、か。
誰かの声で、目が覚めた。
「さ、さやあ…」
「へ?」
声のした方を見ると、茉琴さんが苦しそうな表情で呻いている。
彼女の身体の上には、誰かが覆いかぶさっていた。
こちらにお尻を向けて、茉琴さんを圧し潰しているのは…
「ちーちゃん、寝相悪すぎ…」
ちーちゃんの腋に手を入れて、茉琴さんから引き剥がす。
包帯でぐるぐる巻きの左手を触らないよう、慎重に。
力尽くで布団に戻したはずだけれど、目が覚める気配はない。
気持ちよさそうに眠っている。
「ありがと、さや…」
目を閉じながらそれだけ言って、茉琴さんもすぐに眠った。
石油ストーブの火は消えていて、部屋の中は寒い。
現時刻は、十一月 二十五日 七時 十四分。
予想通り、右肩の傷にはもう痛みはない。
包帯を解いてみると、血で汚れてはいるものの、薄く傷が残っているのみだった。
「…よく視て、待つ。いつも通りに。」
夢の内容を忘れない内に、声に出して頭に刻んでいく。
私らしく、敢えて後手に回り、対応して勝つ。
きっと出来る。
あの歳黒とだって、そうやって勝負したのだから。
制服を着て、髪を梳かしてローポニーに縛る。
今日は、久喜北高校の皆が埼玉に帰る日。この制服でうろついていると、見つかってしまう可能性が高い。コートを着て、それを覆い隠す。
スマホには、何件も着信履歴が残っている。
お母さんと、えりちゃん先生からのものがほとんどだ。
浅倉さんは、まだ戻っていないようだ。
彼が捜索した範囲がわかれば、まだ手を付けていない地域を探すのがいい。
このまま、戻るのを待つべきか…
じっと待っているのも、性に合わない。
橘宗次を竹刀袋から取り出し、二人が寝ている隣の部屋で素振りをする。
右肩に違和感はなく、戦闘になっても問題はなさそうだ。
太刀が空気を切る音が、静かな部屋の中で聞こえている。
早朝とはいえ、静かすぎる…
この空き家の前には、大きな道路がある。
けれど、車の音は全くしない。それが不気味だった。
素振りを数百回繰り返した時、扉の軋む音が鳴った。
「見覚えのある光景や。」
「はは、私も思った。」
浅倉さんの報告を聞きながら、素振りを続けることにした。
「あの外道、見つけられんかった。
町には、昨日より人の通りがない。静かなもんや。」
「…殺人事件が起き過ぎてる。
出歩きたい人なんて、いないか。」
ラナ・サナは、殺人衝動を燻らせたまま、街を徘徊していただろう。
けれど、外に出ている人がいなければ、それは叶わない。
あの男の時代にはなかったであろうセキュリティが、家屋への侵入を防いでいるのかもしれない。
「じゃあやっぱり、囮を歩かせるしかないね。」
「…ええんか。」
「勘違いしないで。囮は、私。
橘宗次は預けるから、後ろから見てて。」
怪我人を二人も抱えて、剣士の捜索に出るなんて馬鹿げている。
武装していない女が一人で歩いていたら、狂ったあの男は寄って来るだろう。
今度こそ、逃がさない。
茉琴さんたちが目覚めたら、この話を共有しよう。
「これ、なんや?」
「ん?」
手を止め、浅倉さんの方を見ると、不思議そうな顔で瞬きを繰り返している。
彼の手には、三角形の黒い物体。
それは、茉琴さんが買ってきていた、おにぎりだった。
海苔とビニールに包まれたそれを、浅倉さんは食べ物だとは思っていない様子。
「おにぎりだよ。貸して。」
包装されたそれを、食べられるように剥いていく。
ぱりっとした海苔が白いご飯を包んだおにぎり。具材は昆布だ。
「はい。食べてみて。」
「白米か…」
白いご飯が昔は貴重だったというのは、知識として持っていた。
浅倉さんは、食べたことがないのかな。
一口かぶりつき、浅倉さんは目を見開いて唸っている。
「美味いもんや。」
「えへへ、そうでしょ!」
自分が握ったおにぎりでもないのに、妙に嬉しくて誇らしい。
浅倉さんはあっという間に完食してしまった。
「米があれば、人は飢えん。
この国が豊かな証や。」
「食レポ、向いてるね。」
首を傾げる浅倉さん。
今度は、また違うものを食べさせてあげよう。




