第102話
ラナ・サナに裂かれた右肩の痛みは、既に引き始めている。
多分、明日の朝には動けるようになっていると思う。
茉琴さんが買って来てくれた食べ物のおかげで、身体の調子もゆっくり回復しているようだ。
現時刻は、十一月 二十四日 二十時 十五分。
…とても、辛い話をお母さんにしないと。
茉琴さんには、席を外してもらった。
『もしもし?
さや、明日大宮まで迎えに行くから。
新幹線、何時に着くの?』
「…ごめん、お母さん。」
『いいよいいよ。
時間、まだわからないの?』
「そうじゃ、なくて…
私、帰るつもりは、ない…」
『…どういう意味?
新幹線、チケットが取れたって学校から…』
「あのね、聞いて…
私のせいで、人がたくさん死んだ。
だから、責任を取らないといけない。」
『さやのせいで、って…
危ないことしてるの?
お母さん、帰って来て欲しいよ。』
「うん、危ないこと、してる。
もう………
お母さんには、会えないかも、しれない…」
お互い、声が途切れた。
私がふざけているわけじゃないって、お母さんは理解している。
『だめ、帰っておいで。
お母さん、そんなの許さない。
なにがあったか知らないけど、さやが悪いんじゃない。』
「…悪い、とかじゃないの。
私にしか、できないことだから。」
『言うこと聞きなさい。
…明日、直接京都まで行く。
首根っこ掴んででも帰らせるからね。』
それは、そうだよね…
お母さんからすれば、そうするのは当然だもん。
「私、ね。人を、殺した。」
息を呑む声。
お母さんは、言葉を失ったようになにも言わない。
「正確には人間じゃないけど…
もう、お母さんの知ってる私じゃないの。」
『……私の知らないさやって、なに?
さやは、私がお腹を痛めて産んで、お父さんと二人で育てて、お父さんが亡くなってからも、二人で力を合わせて生きて来たんだよ。
お母さんの知らないさやなんて、いない。』
涙が溢れてきた。
家族三人で過ごした、愛しいあの時間を思い出して、喉が震えた。
お母さんも、涙声で訴えかけている。
私を、取り戻そうと。
ああ、私が人でなしなら良かったのに。
お母さんに酷いことでも言って、諦めさせたっていい。
電話を切って、GPSでも追えなくすればいい。
でも、どうしてもそんなことできない。
お父さんが亡くなって、ずっと二人で助け合って、笑い合って、懸命に生きて来た。
『…人を殺しても、親子の縁は切れないよ。
なにかの間違いであって欲しいけど…
どんな時でも、お母さんは味方だから。』
「帰りたい…
本当は、かえ、りたいよお…」
でも、それは叶わないのかもしれない。
ここで帰って、誰かが犠牲になるなんて嫌だ。
戦い続ければ、犠牲者は減る。
私が死ねば、お母さんの心も死ぬ。
なんで、こんなに弱いのかな。もっと、皆みたいにちゃんと出来たら…
『帰っておいで、さや。
来年、一緒に京都行くんでしょ?
お母さん、楽しみにしてる。』
「……ごめん。
親不孝者で、本当にごめん。」
『お、母さんを一人にしないで…』
「私が、いなくなっても…
遠くからずっと、見てるから。
私の大好きな人たちと、元気で過ごしてるから。」
『お願い…さやあ……』
「…また、電話、する。」
風が、空き家を揺らす。
ここは寒くて暗い。街灯の光だけが、うっすら部屋を照らしている。
ずっと使わせてもらっている、ベージュのコートを羽織る。
…今の内に、残しておかないと。
いつの間にか、また眠っていたようだ。
すぐ隣に、茉琴さんが座っている。
「体調、どうや?」
「良くなってると思う。」
「…ちょっと、話しよか。」
上体を起こして、茉琴さんと向き合う。
暗い部屋で、彼女の顔はよく見えない。
「さや、最後の最後まで、生きることを諦めたらあかん。
私と約束して。もう絶対、破らんって誓って。」
茉琴さんの右手が、私の手に添えられる。
…彼女との約束。
破らないと、そう言って水月楼を出た。
あ、私…死ぬことばっかり、考えてたな。
もう!やめたやめた。
剣士を片っ端から倒すか捕まえるかして、埼玉に帰ってお母さんにいっぱい叱られる。
そうしよう。
「私、死ぬつもりはない。
それは本当。茉琴さんのことは、絶対守る。
…答えになってないか。」
「…ううん、充分や。
…でも、未成年に守られる警察官の気持ちもわかって欲しいかな。」
「ふーん…
でも今は休暇中でしょ?」
「いけずなこと言いな。」
「にひひ。
あ、ご飯ありがとうございました。」
食べ始めると、どんどん食欲が湧いてきて、お腹はもう一杯だ。
レジ袋の中には、もう少しだけ食べ物が残っている。
「あとはお風呂どうするかやな。
近くに銭湯あったかな。」
ここ数日、毎日欠かさずお風呂に入っていた。
一日の疲れと悩みをリセット出来て、助かったな。
けれど、楽土にいた頃は水浴びも毎日はしていなかったし、入浴できなくてもそんなに気にならない。
「お風呂、今日はいいかも。」
「…え、風呂キャンいうやつ?
あんた…それあかんで…」
「違うよ!」
玄関から木の軋む音がして、目を見開く。
茉琴さんと二人、ゆっくりと音のした方を向く。
「おう。
具合はどうや。」
…浅倉さんか。
ここは空き家なんだし、それもそうか。
そういえば、これって不法侵入になるのかな…
「かなり良くなったよ。
お布団、ありがとうね。」
「そうか。
…ほれ、入らんかい。」
浅倉さんは、玄関の方を振り向いて声をかけた。
遠慮がちに小さな足音がして、現れたのは――
「……なに、してんの。帰って。」
「いや。
私、さやちゃんの命令ならなんでも聞くわけじゃないもん。」
ちーちゃん…
あんな酷いこと、言ったのに、どうして…
「ごめん、二人にして。」
ちーちゃんの方から、人払いを頼んだ。
二階に上がっていく茉琴さんと浅倉さん。
…なに、話せばいいのかな。
「……怪我、どうなの。」
彼女の左手は、包帯でぐるぐるにまかれている。直視するのが辛いほどに、痛々しい。
「心配?」
「一応、ね…」
嘘だ。
本当は、気になって仕方ない。
痛いよね。跡は、残るかな…
「…泣き出したいくらい、痛い。
手が…失くなっちゃえばいいのにって思う。」
「っ…
私といたら、また同じことが起きるかもしれないんだよ!」
泣き出しそうなのは、私も同じ。
でも、ちーちゃんは懸命に耐えているように見える。
「…怪我より、さやちゃんがいなくなる方が辛い。」
「傷跡が残るんだよ…
一生、消えないかもしれない…」
「……親友を、守るためにできた傷だよ。
私の……勲章だもん。」
「…ばか。」
…ああ、そうか。
私も、そうだったな。…私も、そうしたな。
イーゴンさん、あの時、こんな気持ちだったの…?
立ち上がれなくなるくらい、力が抜けるような虚脱感。
つるさん、怖かったんだね。
震えるくらい、恐ろしかったんだ…
「…傷付いたんだからね、私。」
「…危ないこと、するからだよ。」
「違うよ、心が傷付いたの!
嘘でも…さやちゃんに、あんなこと、言われるの…」
「嘘じゃ、ない。邪魔なんだもん…」
「…嘘、下手すぎ。
目、真っ赤にしながら言ってたもん。」
「え、マジ…?」
顔に、出ちゃってたのか…
だめだな、私…
「ぷっ…
今の、嘘。カマかけただけ。」
はあ、やられた…
賢いなあ、ちーちゃんは。
「はあ…私の負け。
…酷いこと言って、ごめん。」
「…いいよ。
嫌なこと、言わせちゃったのは、私のせいだもん。
あ、荷物持って来たから、運ぶの手伝って。」
この子には、敵わないな…




