第95話
寒い夜だ。一条さんの顔が、頭から離れない。
あの人が、私を見る目。嫌悪と、悲しみの色。あんな顔、させたくなかったな…
「…浅倉さんは、相手を殺す時、なに考えてる?」
「なんも。
死んだか確かめるだけや。」
…どこまでも合理的だ。
私に芽生えた暗い感情を、彼には知っていて欲しい。
「…楽しいって、思うことない?」
「お前…」
浅倉さんは、歩みを止めた。やっぱり、おかしいよね…
私は、自分が優位に立った途端に、あの男をいたぶって楽しんだ。
こんなの、ジャヤラヴァのような下劣な剣士と、なにも変わらない。
「…お前の歳やと、そうなるんも無理はない。」
「…」
「その歳で、そんだけの暴力を持つもんは少ない。
相手が弱かったら、付け上がるのはわからんでもない話や。」
「浅倉さんも、そういう時期あった?」
「おう。
蒙古どもの寝込みを襲うんは、痛快やった。」
抵抗できない相手を殺していくのは、楽しいもの。それが自分の敵や悪人なら、尚更だ。
私は、正義を振りかざして私刑を行っているだけ。あの時、伏見の神さまに謝罪したはずなのに、また繰り返した。
…自分が嫌になる。
「楽しむなとは言わん。
奥白石も、それは否定せんやろう。」
「え?」
つるさんは…
楽しんで人殺しをしていたのかな…
「…お前を連れて、あの寺から昇ってすぐ。
囲まれたやろう、覚えとるな?」
「うん…」
楽土に流れ着いて間もない頃のこと。忘れられない恐怖の時間だった。
イーゴンさんと、セラと、浅倉さんは、私を庇って手傷を受けていった。
それで、皆が傷付くのが怖くて、置いて行ってくれって叫んで…
その後すぐに、白い手が――
「あの折、お前は見とらんやろうが、奥白石は嗤っとった。」
「え…」
「男の頭を掴んで、放り投げたやろう。
その後、腰を抜かしたならず者を相手に、嗤いながら太刀を振るったんや。」
そんな…
高潔な武人である彼女に、そんなイメージはない。
つるさんも、暴力を楽しんで…
「あれだけの”暴”を持つ女が、大の男が怯える様を見て嗤いもんにする。
…自然なことや思うがな。」
「…どんな人でも一度は通る道、って言いたいの?」
私の憧れ。遠すぎるあの背中を、私は未だに追いかけている。
つるさんがこうだったから、私もこうしよう、という単純な話ではないけれど。
…浅倉さんなりに、励ましてくれてるのかな。
「人は、暴力を楽しむようにできとる。それは切り離せん欲や。
やけどな、それを抑え込むんが、”武”や。」
「身体と心、両方の強さが、武…」
「そうや。
おれが最後に会った奥白石は、完成した”武”やった。
お前がおったから、あの人は更なる高みへ昇ったんや。」
「つるさんも、成長したんだ…」
お互いに影響し合って、私たちは楽土を昇った。
信じられない話だけれど、私と会ったばかりのつるさんは、まだ成長途中だったのだろう。
私を守るために、あの人はたくさん傷付いて、その度に立ち上がった。
鋼が鍛えられるように。
「…お前は、まだまだこれからや。焦るな。」
「優しいね、浅倉さん。」
言葉は帰って来なかった。でも、救われた。
私はまだ、人でなしじゃないと、そう思いたい。
水月楼に戻った頃には、もう日付変更直前だった。
現時刻は、十一月 二十三日 二十三時 四十九分。
ちーちゃんにトークで連絡して、非常階段の扉を開けてもらう。寝間着姿で目を擦るちーちゃんが、扉の向こうで待ってくれていた。
「おかえり~。」
「あはは…
ごめんね、遅くに。」
気の抜けた彼女の声に、荒んだ心が癒されていく。
さっきまで悩んでいたのが、嘘のようだ。
「寝とったんか、茅陽。」
「ううん、起きて待ってたよ。お風呂、行こ~。」
寝るどころか、お風呂まで待っていてくれたのか。
屋根に登るという浅倉さんに挨拶し、旅館の中へ戻る。
…疲れたな。
「刀、持ったまま?」
「…うん。」
「……そっか。
ね、お風呂、行くでしょ?」
「…今日は、長風呂。」
ちーちゃんは、眩しい笑顔で応えてくれた。
部屋に荷物を置き、太刀を押し入れに隠す。
着替えを持って大浴場へ行くと、当然貸し切りだ。
一日の終わりに、ゆっくりお風呂に浸かる。疲れも悩みも、清算できる気がした。
「え、さやちゃん…」
「ん、なに?」
脱衣所で服を脱いでいると、ちーちゃんが困惑した声を上げた。
「なにって…怪我、どうしたの…?
昨日はあんなに…」
ちーちゃんの視線を追うと、私の脇腹付近を見ている。
――あれ?
昨日マラフから受けたはずの打撲痕が、完全に消えている。
「楽土にいた頃みたい…」
私があそこで負った傷は、大小様々だった。
切り傷、擦り傷、指の切断まで…。
けれど、軽い傷なら一日足らずで回復していたし、指以外に傷跡は残っていない。
「じゃあ、さやちゃんもまだルールの中にいるってこと?」
「そう、なのかも…
でもこれ、かなり助かる…」
致命傷以外は、放っておけば治るのが楽土のルールだったはず。
…思えば、今朝の時点で痛みは感じていなかった。
一晩寝ただけで、真っ青に内出血した痣が完治している。あ、ということは…?
石剣の男から受けた傷も、結局はこのルールで…
――いや、あの出血は致命的だったはずだ。あれだけは、やはり神さまのおかげなのか。
ちーちゃんと二人、湯船に浸かる。いつもなら、おじさんみたいな声を上げるところだけれど…
今日はやっぱり、気分が落ち込んだままだ。
「今日も、戦ったの?」
「…うん。」
「一条さんと、なにかあった?」
「…警察官、向いてる。」
「誰にでもわかるよお。」
そんなに、顔に出てたかな…
この子は、私が剣士を殺した現場をまだ見ていない。見れば、同じように拒絶するだろうか。気持ち悪いって、思うのかな。
「剣士を、殺したの。」
「…そっか。」
「怖くないの?」
「今は、ね。
昨日は、本当に怖かったよ。」
命を守るために、ちーちゃんの心を蔑ろにした。
そうするしか、私にはできなかった。つまらない言い訳だ。
「じゃあ、一条さんは、悲しかったのかもね。」
「そうだと、思う。
子供が人を殺したら、それは――」
「さやちゃんだから、だよ。
ずっと…一条さんは、さやちゃんのこと、守ってた。
さやちゃんが、殺人なんてしなくてもいいようにするのが、自分の仕事だって。」
それは…初耳だ。
「……そう、言ってたんだ。」
「ううん。
見てれば、わかるもん。」
「すごいね、ちーちゃん…
私、全然見えてなかった。」
視野が狭くなっていた。
守ることに必死で。殺すことに、夢中になって。暴力に魅入られていたから。
ずっと、見て見ぬ振りをしていた。
親友を無残に殺されたあの瞬間から、私の脳裏にずっとちらついていた殺意。
一度火が付けば、もう二度と抑え込めない。
”武”だけが、それを…
「でも!
私は、さやちゃんとずっと一緒。
一条さんも、時間はかかるかもしれないけど、きっとまた戻って来てくれる。」
「ちーちゃん、強いね。」
俯いて、私から顔を背けるちーちゃん。
「…私、さやちゃんが、あの…
あの怖い人を殺して、二人の仇を討ってくれたって聞いた時、ね。
嬉しかった…んだと、思う。ざまあみろって、当然の報いだって…」
「え…」
それは、ついさっき私がマティアスに思ったことと同じ。
「二人が受けた苦しみを…さやちゃんがっ…
倍にして、返してくれたんだと、したら…胸がすくような、気分になったの…」
涙声の混じるちーちゃんの告白に、私の中にいたたまれない気持ちが湧き上がる。
自分の負の感情と向き合って、苦悩しているのはこの子も同じなのだ。
それをやっと吐き出せて、楽になれたのだろう。
…私は、お姉ちゃん失格だな。
「ちーちゃんは、そんなこと考えなくていい。」
「うっ…うう…」
人は、暴力を楽しむようにできている。
弱い剣士をいたぶるのに悦びを感じる。命乞いする怯えた卑劣漢を、拷問して悦に入る。
紛れもなく、私がやってきたこと。
…でも、もう終わらせないと。
大切な人にあんな顔をさせるなら、こんな衝動なんていらない。
殺意なんて、水をかけて鎮火させてしまえばいい。
「私が、しっかりしないと。」
「…いつもの、さやちゃんだ。」
「いい湯ですな、ちーちゃん。」
「極楽~。」
「ふふっ、あはは!」




