第93話
殺人犯の捜索中に、別の剣士を発見した。
暗がりの中に、死体がひとつ。
一条さんの顔はよく見えないけれど、気分が悪そうだ。壁に手をついて、身体を支えている。
「一条さん、大丈夫?」
「ちょっとだけ、具合悪い…」
納刀していく音がして振り向くと、浅倉さんが死体のすぐそばで屈んでいるようだ。
器用に、慣れた手つきで身体を持ち上げ、首にかけるようにして運んでいく。
「どこに隠すの?」
「そこの川や。」
川、ではなく水路らしいけれど。
…なにか、重要なことを忘れているような。
「待って。…ちょっとだけ、考えさせて。」
「どうした。」
浅倉さんは、急かすような態度ではない。落ち着いて考える時間はある。
ロレンツォの死体の隠し場所…
人工の水路だと、流れの先が必ずしも海や川に繋がってはいない…?
…なにが引っかかっている?
そもそも、この一帯の生活用水に使われるかもしれない水路に、死体を投げ込むのはいかがなものか。剣士の死体は腐る前に消えるらしいけれど、実際に見たわけではないし、血で水が汚れてしまうのは生理的に――
「あ。」
「…なんや。」
「……浅倉さん、約束して。
剣士の死体を、水に浸けるのは絶対だめ。
取り返しのつかないことになる。」
――楽土の穢れ。
死体が水に浸かると、穢れが拡散して、生者を蝕む猛毒が広がっていく。
…今までこんな大事なルールを忘れていたなんて。気を抜きすぎだ。
「さや、それってどういう…」
「一条さんも、ちょうどいいから聞いて。
楽土の住人の死体には、”穢れ”が付着してるの。
それが水に触れると、物凄い勢いで拡散していく。私は、一回だけそれに触れて…」
「…奥白石も、知ってたんやな。」
「うん。
つるさんの神話の知識による推測も含まれてるけど、多分これで間違いない。
浅倉さんとか、死者が穢れに近寄っても、怪我の治りが遅くなる程度で済むけど、生者にとっては猛毒になる。」
下手をすれば、この現世が穢れに覆い尽くされる可能性だってある。
あの真っ黒な、闇に。
「…万が一、その穢れが広がったら、止める手段は?」
難解なルール説明に、眉をひそめる一条さん。
「多分、穢れの発生源を取り除いて、大量の水で洗い流すしかないと思う。
…やったことがないから、確かとは言えないけど。」
楽土では確認できなかったけれど、プララヤの遺体があるあの小部屋から、闇の水は広がり続けている可能性が高い。
もし、あの遺体が現世と同じように消えるなら、残った穢れは水で洗い流せば清められるのかもしれない。
「汚れを洗うみたいに、水で流すいうこと?」
「そういうこと。
水は、穢れを清める性質と、運ぶ性質を持つらしいの。
汚染された水は、真っ暗な闇の水になって、どんどん拡散していく。
それを薄めるように流せば、いつか正常な状態に戻ると思う。」
これは、憶測に過ぎない。
実際には、死体と水を触れさせないことを徹底して、拡散を未然に防ぐのが一番だ。
…偶然。ただの幸運に過ぎない。
この数日、雨が降らなかったという、奇跡的な幸運だ。
石剣の男、ジャヤラヴァ、マラフ、そしてロレンツォ。
少しでも雨が降れば、野晒しの死体から穢れが広がっていたはず。
思わず、身震いしてしまう。
「一条さん、これも覚えておいて欲しい。
もし、生者が穢れに触れてしまったら、その人物の全身を、大量の水で洗い流して。
それが終わったら、名のある神職の方に、正式な禊を授けてあげて。」
…正式な禊。
私はまだ、つるさんとの約束を果たせそうにない。
ともかく、ロレンツォの死体をどこかに隠して、時間の許す限り殺人犯を捜索しないと。
通り沿いに、数年は手入れされていないであろう空き家らしき家屋を見つけた。ここへ隠すのがいいかと思う。
「…さや、本気?
私、それは許可できへんよ。」
「すぐ消えるらしいし、身体を置いておくだけ。
殺人犯を探す方が大事だと思うけど。」
一条さんの言葉が詰まる。
でも、今は死体より生きている人が優先だ。
こうしている間に、無関係の一般人が襲われている可能性もあるのだから。
「…明日、状況を確認しに戻ります。」
しぶしぶという態度で、一条さんの方が折れてくれた。
空き家の敷地内には倉庫があり、鍵は開いている。
中に押し込むように死体を隠した。
浅倉さんは再び別行動となり、女二人で人気のない道を捜索していく。
ロレンツォの件は空振りだったけれど、問題を起こす前に排除できたと思うようにする。
街は静まり返っていて、家屋から漏れる照明の光すらない。
現時刻は、十一月 二十三日 二十二時 三十一分。
日付変更まで一時間半。
一条さんとの約束で、零時までには水月楼に戻らないといけないので、帰り道のことも考えると、もうあまり時間はない。
「事前に決めていたルートは、これで全て通ったことになります。
時間的に二周目は無理です。」
「…ぎりぎりまで探したいけど、一条さんの指示に従う。」
街灯の真下で二人、悔しさを滲ませる。
私たちが通ったルートでは、人通りは極端に少なかった。
犯行時刻的にも状況的にも、女性二人が襲われる可能性は高かったはず。どこに潜んでいる…
「…仕方ない。戻ろか、さや。」
「うん…」
その時、重苦しい空気の中で、唐突に着信音が鳴り響く。
私のスマホからだ。見ると、着信はお母さんからだった。
「あ…
連絡、してなかった…」
電話に出ると、安心したようなお母さんの溜め息。
『お母さんと、約束したよね?』
「ごめん…」
『なにか事情があって電話できなくても、トークは入れてくれないと心配だからね。
今、ちーちゃんと一緒?』
お母さんは、ちーちゃんのことも知っている。
親友の一人として、以前家に遊びに来た際に紹介した。
「ううん。今は一条さん…前に話した、警察のお姉さんと一緒。」
一条さんの視線がこちらへ向く。
『あ、そうなの?
お母さん、挨拶したいな。』
落ち込んだ気持ちが、お母さんの声で前向きに変わっていく。
お世話になっている彼女のことは、絶対に紹介したいと思っていたところだ。
「一条さん、お母さんが挨拶したいって。お願いしてもいい?」
「ああ、代わります。」
スマホを顔から少し遠ざけて、一条さんに確認してみる。快く受け入れてもらえたようだ。
「あ、伏見警察署の一条茉琴と言います。
はい。あ、いいえ、当然のことをしたまでで、はい。」
お母さんからの感謝の言葉が、嵐のように吹きすさんでいるというのがわかる。
かしこまって電話対応をしている一条さんは、なんだか面白い。
「はい、そばに付いておりますので。
今は…外です。はい、旅館に送るところでして。」
警察官が付いてくれているとはいえ、この時間に外にいるというのは、お母さんからすれば心配だろう。
事情が複雑なのに、一条さんは誤魔化すこともせず、真摯に対応してくれている。
「はい、責任を持って送り届けます。
…ああ、そうですか!ええ、是非お越し下さい。案内させて頂きますよ。」
「さや、用意せえ。」
「え?」
すぐ隣に、浅倉さんの大きな身体。
薄く殺気を放つ彼の視線の先には、夜の闇が広がるのみだ。
「茉琴、喋るのはそこまでや。もう、近いぞ。」
「は、え?」
「っ、お母さん!
ちょっと、切らないといけなくて、ごめんね!」
一条さんの手からスマホを取り、強引に通話を終わらせる。
この細い路地には、街灯は私たちの周りにしかない。浅倉さんは、この先にいる相手の姿を確認しているのか。
「どんな相手?」
「黒服で被り物しとる。
得物は首切り役人のもんと似とるな。」
首切り役人ザムエルの得物は、処刑用のロングソード。被害者の死因は大型の刃物による刺創。女性を殺害した犯人の物と一致するところではある。
今度こそは本命か…?
「一条さん、ちょっと下がって。浅倉さんも、まだ隠れてて。」
男がいれば警戒されるかもしれない。
まだ、逃げられる可能性はある。太刀の間合いまで引き付けないと。
重い靴底の擦れる音が、ようやく聞こえてきた。正面、ゆっくりと近寄る黒い影をやっと目視し、観察を始める。
つばの広い帽子、足元までマントが垂れていて、腰にはロングソード。
胸元には、小さな十字架がぶら下がっていて、街灯の淡い光を反射している。
「……罪、ありき。」
「…話は、通じないっぽいね。」
低い声を放つ剣士は、痩せ細った顔と、落ち窪んだ目でこちらを見ている。
あの目、ピラミッドの裁定者、アムネムイアの視線とよく似ている。厳しく見定めるような、力強い視線だ。
「なんの、罪かな。」
「…堕落。
そこのお前、魔女であると断定する。」
震える指を真っ直ぐに突き出し、わけのわからない言葉を喋る男。
しかしその指先は、私には向いていない。
「…なんです?
さや、あの人はなにを言うてるの?」
指を差されて理解できない言語で喋られれば、困惑するのは当然だ。
「一条さんを魔女だって言ってる。
言葉はわかるけど、意味はわからない。」
「…魔女狩りってこと?
中世の、魔女裁判とか…」
相手の剣士とは、もう十メートルの距離だ。
浅倉さんには退路を塞いで欲しかったけれど、今回それはだめだ。今は、一条さんの安全より優先するものはない。
「浅倉さん、一条さんをお願い。私がやる。」
そう言うと、すぐ隣で足音がした。
目の前の剣士は、突如現れた浅倉さんに驚いたように目を見開いた。
「男といるとは、やはり堕落の証。断罪する…」
「その前に、相手してよ。」
じりじり近寄る男は、ずっと一条さんを見ている。
その瞳は、怒りに燃えているような色をしていた。…なにが罪だ。
「さや、いけるんか。」
「大丈夫。浅倉さん、この人に傷ひとつでも付けたら怒るから。
一条さん、前に出ないで。…それから、止めないでね。」
「でも、さや…」
リュックを降ろし、竹刀袋を封じた結束バンドをニッパーで切断し、太刀を抜き出す。
男の表情に、変化はない。
…そんな目で、彼女を見るな。
「真白さや、お相手仕る。」
「…マティアス。
マティアス・フォン・アルデリヒ。」
太刀を抜刀し、冷たい感触の柄巻きを握り締める。敵は、釣れた。




