第92話
夜の街を歩く、私と一条さん。
背中に感じる太刀の重みが、私の思考を戦闘モードに移行させている。
夕食後、ちーちゃんを部屋に残し、私たちは予定通り水月楼を出た。
この時間、人通りはそこそこで、まだ事件が起こる気配はない。
静かなはずの街の上空から、ヘリコプターのプロペラ音が響いている。街の様子を報道しているのかもしれない。
…久喜北高校の生徒が亡くなった件は、既に全国ニュースとなっているそうだ。
私は、敢えて記事や動画を見ないようにしている。
……今、考えることではないか。
「…被害に遭われた女性が、襲われた時刻は?」
「三人の内二人が、二十一時前後です。
もう一人が、二十三時頃。」
胸ポケットから即座にメモを取り出し、一条さんが答える。
検死結果から、殺害された時刻が割り出されている。
二十一時から二十三時の間に、人通りの少ない道を女性二人で歩いていれば、殺人者を誘き寄せられる可能性はあるだろう。
土地勘のある一条さんが、三人の女性が被害に遭った現場の周辺で、人気のない通りをいくつかピックアップしてくれている。
犯行現場は、水月楼からは歩いて三十分くらいの距離らしく、今まさに目指している最中だ。
「さやは、浅倉さんがどこにおるかわかる?」
「そこまではわからない。
でも、どこかで必ず見てくれてる。」
私は感覚を研ぎ澄ましているけれど、人通りの多さとヘリコプターの雑音で、浅倉さんの気配は感じられない。
しかしそれだけではなく、夜中に蒙古の船に忍び込んでいた彼の隠密能力は高い。
浅倉さんなら既に剣士を発見して、単独で仕掛けた可能性もある。
どうあれ、これ以上被害者が出る前に、殺人者は止める。
しばらく歩き続け、事件現場付近まで来た。
通りには一方通行の標識があり、大型車が通るにはかなりぎりぎりの道幅だ。
現場近くだというのに、この付近に警察の姿はない。
捜査とか、検証は終了しているのだろうか。
「ここは犯行現場そのものではありませんから。」
「じゃあ、近くに警察はいないってこと?」
「伏見の各所で、殺人が起き過ぎている。
捜査員は有限。交代する人員を考えれば、数はそう多くは出せません。」
伏見署はフル稼働しているそうで、捜査員の休憩や休暇も削られているそうだ。
一条さんは怪我のことで、伏見署の同僚の皆さんに負い目を感じている節があった。
三角巾で釣った左腕を、無意識に撫でるような癖が出ている。
ちーちゃんを命懸けで守ってくれて、負ってしまった傷だ。これ以上、負担は掛けない。
現場付近の道を巡回していく私たち。
現時刻は、十一月 二十三日 二十時 四十三分。
街灯があるとはいえ、やはりこの時間だと暗くて視界が悪い。
暗所で目立たない、暗い色の服装の相手だと、少し厄介かもしれない。
マラフと戦った公園は、そういう条件をクリアするために選んだ場所だったけれど、今回はどこで剣士を発見するかの運次第になるだろう。
楽土には、完全な暗闇は存在しない。
円形闘技場を抜けた先で、そんな話をしていたのを思い出す。
暗殺者のようなタイプの剣士は、楽土ではさぞ肩身が狭いだろうと、あの時の私は呑気に考えていたな。
いつの間にか、人の声がしない。
その代わり水の流れる音がしていて、周囲を見渡してみるけれど、暗くてよくわからない。
川でもあるのだろうか。そこそこの水量と思われる音だ。
「水路やね。
鴨川から分岐して、人工的に引っ張ってきてるんよ。」
「警官モード、終わり?」
「ちょっとだけ、気い抜かして。」
私のリュックから、一条さんの分のお茶を取り出し、ペットボトルのキャップを開けて手渡す。
片手では、こんな日常的動作も満足には行えない。
「…人気のない道で、女が二人。
犯人が襲ってきても不思議やないんやけど、静かすぎる。」
「長物を警戒してるのかな…」
「犯人が現代に来て何日か知らんけど、それに近いサイズのバッグを背負った学生は、意外とおるよ。スポーツバッグとか。」
犯人が夜間に行動するような、まともに考えるタイプだからこそ、この予想は的を射ているかもしれない。
考えているなら、現代の社会を観察しているはず。
その観察は、標的を定めるために必要不可欠だろう。
いつからか、上空からの雑音は消えていた。
静かに眠る街の中で、私たちの息遣いと、水路を流れる水だけが音を立てている。
「さや、用意せえ。」
「…ニッパーを。」
いつの間に近寄ったのか、浅倉さんの声がすぐ後ろから届く。
前方、街灯に照らされた僅かな空間に、男が一人。
一条さんは少し戸惑う様子を見せていたが、すぐにニッパーを取り出して、手渡してくれる。
あの男、どこかで……
「一条さん、下がっててね。」
「あれが、殺人犯…?」
私は、じっくりと淡い光の中にいる人物を観察する。
壁にもたれて、誰かを待っているような雰囲気。
もう、こちらには気付いている。
……あ。そうだ、思い出した。
あの男は、楽土で会ったことがある。
「浅倉さん、ゆっくり近付くよ。
話のわかる相手かも。」
「なんや、知り合いか?」
「楽土で、私たちの前に立った相手。」
あれは、浅倉さんと別れた直後だった。
橋を塞ぐように佇んでいた、黒い布服とマントの男。
セラに闘いを挑み、けれど彼女は取り合わなかった。
細身のレイピアを持つ、中世の決闘者。
ロレンツォ・ヴァレンティ。
「どこかで見た娘か。」
「どうも。」
ロレンツォとの距離は五メートル程。
私の顔を覚えていたようだ。
「あなたは、現世で人を殺した?」
「いいや。
私は決闘者、無益な殺しはせん。
この世で剣士と出会ったのはこれが初めてのこと。」
選んで殺すという点では、殺人犯とロレンツォは共通している。
けれど、セラに決闘を挑んだ時の様子から、この男が無抵抗の一般人を殺めるタイプとは思えなかった。
決闘相手として相応しい剣士を求めて、あの橋で待っていたんだったな。
なら、女性三人を無惨に殺したのは、この男ではないのかも。
「うむ、そこの男!
私はロレンツォ・ヴァレンティ。
あなたに、決闘を申し込む!」
「あん?なんや、一騎打ちか。」
浅倉さんを指名して、大きく名乗りを上げたロレンツォ。
以前、決闘を断ったセラに対しても、危害は加えてこなかった。
両者の合意の上でのみ成立する殺し合い。なんとも、馬鹿馬鹿しく思えてならない。
浅倉さんは、こんな無駄なことはしないだろう。
「おう。構わんぞ。」
「え、マジで…?」
「あの、なんて言ってるんか翻訳してくれん…?」
この中で一条さんだけは自動翻訳の適用外なので、この反応は仕方ない。
私は簡単に説明しながら、浅倉さんの意図を読み取ろうとしていく。
決闘を承諾すれば、私と一条さんは蚊帳の外で観戦するのみだ。
浅倉さんが負けるとは思えないけれど、ロレンツォがどれ程の実力者なのか、私にもわからない。
「どうやるんや。」
抜刀して構える浅倉さん。
それをロレンツォは手で制して、決闘のルール説明をしていく。
「なに、お互い一定の距離から戦闘を始めるのみ。
あなたは、そこに立っていてくれれば良い。」
そう言い、ロレンツォは踵を返して、剣の間合いの外へと離れていく。
浅倉さんは――
「えっ。」
一条さんが呆けた声を上げる。
――そうか、これが合理的というものか。
浅倉さんは、背後を晒したロレンツォを、後ろから斬り付けた。ロレンツォが振り返るより前に、背中に大きな傷が走っていく。
浅倉さんの初動は、私にも見えていた。でも、止めるつもりはなかった。
「ぐっ…うう…
な、なにを、するかあ!」
「…決闘やと?
どんな理由であれ、人殺しが奇麗に死ねると思うな。」
「貴様…!」
続いて、容赦なく弱った相手に追い討ちを仕掛け、首の頸動脈を大きく斬り込んだ。
大量の出血だ。
間違いなく、致命傷。ロレンツォはアスファルトの地面に、背中を強打している。
「かっ…く…はあ……っぐう!」
「酔いどれが。
奥白石が殺さんかったのも頷ける。」
…ロレンツォは、最後まで自分のスタイルを崩さなかった。
楽土でも、この現世においても。
誰にも受け入れられず、生前のやり残しを続けていたのだろう。
「不意打ちなんて…」
一条さんの倫理観からすれば、看過できない行為なのだろう。
けれど、殺し合いに卑怯も何もない。奇麗も汚いも、ない。
結果、浅倉さんは無傷で完勝した。
どこにも居場所のない、孤独な男。
楽土に迷い込んだあの頃の私と、同じだ。
私も、なにかひとつでも間違えていれば、この男のように独りで野垂れ死んでいただろう。
暗がりで、彼の死に顔すら見えない。
浅倉さんの刀に付いた血を拭く音だけが、やけに大きく聞こえていた。




