第90話
話し終えた浅倉さんと、沈黙する私たち。
戦のお話は、イーゴンさんに聞いた以来だけれど、私には想像もつかない悲惨さがあったのだろう。
浅倉さんは表情を変えずに話していたけれど、後悔の念が垣間見えていた。
私に見られていると落ち着かなかった、か。
…それは、今も一緒なのだろうか。
「…私、対馬に行ってみたい。」
「おう、そうしたってくれ。」
俯き加減だったちーちゃんがそう言って、私もそれに同意する。
浅倉さんが愛した島。彼の愛した人たちが暮らしていた風景を見てみたい。
「あの、浅倉さん。
お話聞かせてくれて、ありがとうございます。」
「礼を言われるようなことやない。」
ちーちゃんは、浅倉さんと積極的に交流している。
吊り橋効果じゃないけれど、土壇場で命を救ってくれた彼に、信頼を寄せているのだろう。
彼と交流することで、ちーちゃんの精神が落ち着くなら、それが一番だ。
そうだ、浅倉さんとパトロールする旨、一条さんに確認しておかないと。
トークを送ろうとした時、昼食の時間を知らせる放送が鳴り始めた。
浅倉さんは、声のしたスピーカーを訝しげに見つめている。
「あれも、でんきの仕業か?」
「そう!わかってきたね、浅倉さん。」
「お弁当、取ってこよっか。」
今日はちーちゃんが一階まで取りに行ってくれると言い、それに甘えることにする。
襖をそっと開けたちーちゃんは、足早に出て行く。
他の生徒も一斉に廊下に出たのか、足音がいくつも聞こえてくる。
「浅倉さん、他に剣士を見た?」
この何日か、彼は夜の京都を見回りしていた。
もしかすると、まだ私が遭遇していない剣士の情報があるかもしれない。
「いや、見とらん。
お前が倒した腰抜けと、昨夜の短刀使いだけや。」
腰抜けとは、ジャヤラヴァのことだ。
私たちの周りに、昨日の時点では他に剣士はいなかった、というわけか。
楽土に存在する"渦"、それらを守ってつるさんたちが戦ってくれていても、別の渦から剣士が漏れ出る可能性はある。
渦を閉じて、漏れ出た殺人者を全員倒すまで、私は家に帰るつもりはない。
問題は、どうやってそれを実行するかだけれど…
つるさんは、私ならわかるかもと言っていたらしい。
やはり彼女は何か知っていたのかな。…私ならわかる、か。
トークの通知が鳴り、スマホの画面を見ると、一条さんからだ。
『今日から二週間、休暇をもらいます。』
「え!?」
…確かに、あの腕ではお仕事は無理だろう。
一条さんには、これまで何度も融通を利かせてもらった。
なのに最後は怪我をさせてしまって…
大きな傷だったけれど、奇麗に治るといいな。
『一条さん、今までありがとうございました。
腕の怪我、伏見稲荷大社の神さまなら、奇麗に治してくれるかも。お大事に!』
『お稲荷さんに免じて、あんたの生意気っぷりは勘弁しといたろ。』
片腕がしばらく使えないというのは、生活する上で相当不便だろう。
なにか、助けになれることはないだろうか。
そう考えていると、廊下に足音が戻って来る。
「お待たせ、さやちゃん。」
「こんにちは、さや。」
「ん?」
ちーちゃんと一緒に部屋に上がったのは、あれ、一条さんだ…
警察の制服ではなく、グレーのパンツスーツ姿で立っていた。
首に掛かった三角巾で、包帯が巻かれた左腕を吊っている点を除けば、フォーマルな大人の女性といった印象で、とてもよく似合っている。
「ね、一条さん、超良くない!?」
「うん、カッコいいね。
でも、一条さん、今日はどうしたんですか?」
「どうしたって、あんたが買い物頼んだんやろ。
ちょっとからかったろ思てトークしたら、えらい殊勝な反応やから拍子抜けやわ。」
一条さんは私が希望した品が入ったレジ袋を手渡し、溜め息を吐きながらも笑っている。
休暇なのに出てきてくれるなんて、正直申し訳なさが勝ってしまう。
「昨日の娘か。」
浅倉さんが声をかけると、一条さんは静かに畳に上がった。
「昨晩は、本当に助かりました。
あなたが来てくれたおかげで、茅陽も無事で済んだ。
ありがとうございました。」
「構わん。
おれは、さやが危ななったら出るつもりやった。礼を言われるわけにはいかん。」
私が危なくなるまで介入しないつもりだったと、昨日彼は言っていたな。
でも、一条さんとちーちゃんに危険が迫った、まさにあの瞬間、浅倉さんは現れた。
…素直じゃないなあ。
「そうだとしても、やはりお礼を。
…茅陽に傷のひとつでもあれば、私は一生後悔するところでした。」
「ふん。……茶がええな。」
そこまで言うなら仕方ないといった態度の浅倉さんは、一条さんの申し出に応じた。
さっきのお茶が気に入ったのかな。
「お茶、ですか?
お酒は飲まれないのですか。」
「酒?酒も容易く手に入るんか?」
未成年である私とちーちゃんには買えないけれど、簡単に手に入ると言われれば、その通りだ。
スーパーでもコンビニでも、お酒は販売している。
日本酒とか、焼酎とか、私には種類がよくわからないけれど、昔飲んでいたお酒に近いものがあれば、喜んでくれそうな気がする。
「はい。
少し時間を頂ければ、買ってきます。」
「浅倉さん、昔はどんなお酒を飲んでいたんですか?」
質問したちーちゃんは私と同じく、お酒に関する知識はまるでないだろう。
日本酒がお米から作られていることぐらいは知っているけれど、時代によってなにが飲まれていたのか、考えたこともなかったな。
「どんな、て。
酒は米の入った、あの酒や。」
「日本酒ですね、買ってきます。」
すぐに出て行く支度を済ませる一条さん。
お礼の品にお酒を選ぶというのは、大人がよくすることなのだろうか。
靴を履いた一条さんは、振り向いて私を見た。
「お酒はお礼やけど。
さや。買い物代、二三〇六円な。」
「は、はい!」
希望した品の代金だ。
一条さんが帰るまでに用意しておこう。
ちーちゃんとお弁当を食べていると、浅倉さんは物珍しそうに見ている。
現代の食事は、彼からすれば見たこともない食べ物ばかりだろう。
今日のお弁当は、ミニハンバーグと魚のフライがメインで、ポテトサラダやきんぴらごぼうなど、脇役も存在感を出している。
「これは、お肉を丸めて焼いた外国のお料理で、こっちはお魚を油で揚げてるの。」
「ふん、特別な祝いの席の品でもなさそうやな。それにしては、豪勢に見える。」
「浅倉さん、お魚好きですか?
このフライ、食べてみますか?」
メインのおかずを、惜しげもなく提供する意志を見せているちーちゃん。
でも確かに、博多も対馬も海がすぐそこだというし、日常的にお魚を中心とした食生活ではあっただろう。
「いや、お前が食べい。
魚は好きやが、それは魚には見えん。」
きつね色のパン粉をまとった白身魚のフライは、浅倉さんには未知の食べ物だ。
日本に洋食が定着したのは、鎌倉時代より遥かに未来の時代だし、不気味な料理に見えても不思議はない。
食べ終わって少しした頃、一条さんが戻ってきた。
縦長の紙袋を右手に下げている。
ちーちゃんが小走りでそれを受け取り、一条さんが靴を脱ぐのを補助している。
「京都のメーカーの日本酒です。
浅倉さん、気に入ってもらえると幸いです。」
「…酒なんか、これ。
この入れもん、なんで透けて見えるんや。」
紙袋から取り出された薄緑色のそれは、四合瓶と呼ばれるサイズで、容量は七二〇ミリリットル。
ガラス製の瓶は当時、とても珍しかったのか、存在しなかったのかわからないけれど、浅倉さんは初めて見るようだ。
部屋のテーブルには陶器の湯呑みが四つ用意されていて、それに一条さんがお酒を注いでいく。
私たちは三人とも、浅倉さんをじっと見つめている。
彼は居心地の悪そうな顔をしながら、僅かに湯呑みを傾けた。
「…甘いな。」
「昔のお酒と違いますか?」
ちーちゃんはそう尋ねるけれど、私たちにはそもそも現代のお酒の味もわからない。
「おれの時代の酒はもっと濁っててな。
米粒も残っとるもんや。
透き通っとる割に、この酒は妙に強いな。」
現代と鎌倉時代とで製法が違うのか、浅倉さんは湯呑みに顔を近づけて、じっくりと観察している。
しかし、すぐさま一杯目を飲み干し、一条さんがお酌をしていく。
三度繰り返して、浅倉さんがつまらなそうに呟いた。
「酔えん。
…死者が酒にありつけるだけ、贅沢やがな。」
楽土の死者は、代謝をしないということだろう。
私も、生者でありながら、あの土地では代謝の一部が省略されていた。
体内で消化と吸収が行わなければ、いくら飲んでも酩酊状態にはなれないのか。
「浅倉さん、生きてるようにしか見えないのに…」
「言うたやろ茅陽。
おれは鉄砲で死んだ。何百年も前にな。」
「……ほんま、不思議な光景やな。」
一条さんとちーちゃんにとって、楽土の剣士と親交を深めるのはこれが初めてだ。
私があの場所で出会った大切な仲間たちと、多くの恐ろしい敵。
その全てが一度は死を経験した人たちで、だからこそ私に優しい皆もいれば、生者だから狙って来る剣士もいた。
でも、もう私には生者か死者かなんてどうだっていい。
…私はきっと、どちらでもないから。




