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死神様は生贄の娘を離さない  作者: 武村


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五話 死神と薬師


男は言った通りに、

透子が目覚める前に戻ってきた。


 静かな廊下を歩く。


 透子。


 あの女を思い出すたび、

妙に胸の奥が落ち着かない。


「…何なのだ、これは。」


 小さく呟いた男は、眉を寄せた。


 人間など、これまで嫌というほど見てきた。


 泣き喚く者。

 命乞いをする者。


 皆、自分を恐れた。


 当たり前だ。

 自分は、死を司る者。

 当然の反応だと言えた。


 だが、あの女だけは、違った。


 冷たい手で握られても、逃げなかった。


 恐れなかった。


 怖いのは人の方だと、そう言った。


 そして。


 ――あたたかいですね。


 女の声が頭の中で木霊する。


 男は苛立って、頭をかいた。


「あれは、俺の手だぞ…」


 じっと自身の手を見る。

 

生者から恐れられるこの手を、

 あたたかいなどと言う人間は、初めてだった。


 気づけば、男は薬師の部屋まで来ていた。

 

  

「入るぞ。」


 返事を聞く前に襖を開けた。

 それを咎めることもなく、

気だるげに主を見やる白髪の男。


「主。

 …どうされた?」 

 

 部屋には所狭しと、

薬草や見たこともない瓶が並んでいる。

 

奥では小さな火が薬缶を揺らし、

独特な薬草の香りが部屋を満たしていた。

 

 薬師はじっと主を見つめた。


「…で、誰を拾った?」


 男は眉を寄せた。


「なぜ分かる……」


「あんたのことならたいてい分かるよ。

長い付き合いだからね。

 それで? 誰を拾った?

 

 それにどうやら。」


 薬師は細い目をさらに細めてにやりと笑った。


「随分と気に入ってるようだ。」


「違う。」


 男はムッとした。


「ははっ。即答か。」

 

 薬師は笑みを薄めた。


「それで?

 その拾った人間に、何があった。」


 男は少し黙って、透子の姿を思い返す。

 

脳裏に浮かぶのは、痩せ細った腕。

 血色の悪い肌。

 冷えきった手に、あの弱々しい体。


 自然と眉間にシワが寄った。


「……人間にしては、痩せすぎている。

 目も、見えていない。」


 薬師の目が、すっと細められた。


「…本人を見ないとなんとも言えないが。

 ただの病じゃ、ないかもしれないねぇ。」

 

 薬師の言葉に、男の纏う空気が変わった。


「…どういう意味だ。」


 おや?


 男の空気に薬師は細い目を僅かに開いた。


 どうやら相当気に入ってるらしい。


「…とりあえず、その娘を見てみよう。」

 

 薬師の部屋を出た男は、

そのまま透子の元へ歩みを進めた。

心なしか、歩調が速まる。 

 普段は静かな廊下に、自身の足音が響く。

 その音が妙に耳についた。

 

 透子が眠る書庫の前で足を止め、

扉に手をかけた。


「入るぞ…」


 透子は既に起きていた。

 男の羽織に顔を埋めて。


「あ!あの、こ、これは!」


 バッと勢いよく顔を上げた透子は

薄っすらと頬を染めていた。


 男は無言で、透子のそばに膝をついた。

 頬に手を伸ばす。


「どうした。顔が赤いが。

 …熱か?」


 真顔の男に、透子はさらに顔を赤くした。

 

 

 男が書庫へ来る少し前のこと。

 透子は目を覚ました。

 ゆっくりと起き上がると、

肩から何かが滑り落ちた。


 私、眠ってしまったのね…


 せっかく、黄泉守様が本を読んでくださったのに。


 気を落とした透子は、滑り落ちたそれを手に取った。


 大きな羽織。


「これ、黄泉守様の?」


 それは男の羽織だった。

 思わぬ男の優しさに触れ、

透子はそれに顔をうずめた。


 黄泉守様のにおい。

 それは透子を安心させた。

 

 

 

 ああ!

 見られてしまった!


 透子は恥ずかしくて目を伏せた。


「やはり、どこか悪いのか。」


 男は透子の手を握った。

 

 「いえ、あの!

 違うのです……」

 

 冷たいはずの手に触れられるたび、

透子の胸は高鳴る。


 透子の様子に眉を寄せた男。

 取った手を引き寄せたかと思うと、

透子を横抱きにして立ち上がった。


「薬師の所へ行く…」

 

 透子はとっさのことに呆気にとられるが、


瞬時に慌てた。


「あっ、歩けます!

 歩けますから!」


 あわあわと慌てふためく透子をよそに、

男は真顔だった。


「駄目だ。」


 男はそう言うと、薬師の元へと急ぐのであった。

 

 

 「おい。開けろ。」


 薬師が部屋で薬を煎じていると男がやってきた。

 

いつもなら勝手に入ってくるくせに

と思いつつも、薬師は襖を開けた。


「は?」


 つい声が出た。


「なんで、抱いてきてるの?」


「…顔が、赤かった。

 見てやってくれ。」


 真顔で言う男を横目に、

薬師は運ばれてきた女を見た。


 両手で顔を隠す女は、

どうやら顔が赤いらしい。

耳まで真っ赤だった。


 ふーん。そういうことね。


 いろいろ察した薬師は何も言わずに

診察の準備に取りかかった。

 

 男は透子をゆっくりと降ろすと、

薬師の前に座らせた。

 

 透子は恥ずかしさのあまり、

小さく座布団の上に座っていた。


「あの…お騒がせしてしまって、すみません。」 

 

 薬師は謝る透子にいやいやと手を振る。


「騒がしいのはそっちじゃなくて。」


 男の方をちらりと見る。


「珍しく慌ててるこっちの方だから。

まっ、気にしないで。」


 男は無言だった。

 

「俺のことはハクと呼んで。」


「…はい。では、ハクさんと。

 私は透子と申します。

 どうぞよろしくお願いします。」


 透子は薬師に頭を下げた。

 ハクは透子をじっと見つめた。


 痩せた体。

 白い指先。

 声も弱々しい。


 だが、佇まいは凛としていた。


 なるほどねぇ。

 主が気にかける理由が分かった気がするよ。

 ハクは優しく声を落とした。


「さて。

 少し診せてもらうよ。」


「…はい。」

 

 緊張して固くなった透子に、

ハクは優しく微笑んだ。


「そんなに緊張しないでって言っても、

無理だよね。

 大丈夫。

 まずは脈を診てみよう。」


 ハクは透子の細い手首をそっと取った。


 驚くほど細い。


「…ちゃんと、食べてなかったんだね。」


 静かな声だった。

 責めているわけではない。

 ただ、その事実を確かめた。

 

 男は黙ってその様子を見ていた。

 

 そうだろうなとは、思っていた。

 だが薬師の言葉で確信に変わる。

 

 透子はまともに食べていなかった。

いや、食べさせてもらえなかった。

まともな人間の生活とは、

かけ離れていたのだろう。


「……」


 男の纏う空気がいっそう重くなった。 

 

 診察を続けながら、ハクはちらっと主を見た。


 本気で怒ってる。


 長年の付き合いだが、ここまで怒るのは珍しい。

 

「…でもまぁ、ここに来たのは幸運だったね。

 この屋敷には世話好きが多いから。

 あ、透子さん。次は口を大きく開けてくれるかい?」


「はい。」


「おい。誰がだ。」


「はい、もういいよ。

 そんなの主に決まってるでしょ。」


「……」

 

「はい。とりあえず診察は終わり。

体は、栄養失調だね。

まっ、ここにいれば河童が美味い飯を

作ってくれるし、心配ないでしょ。」


「そうですか。

 ありがとうございます。」


 頭を下げて診察の礼を言う透子に、

ハクは透子の頭を軽くポンポンと叩いた。


「何かあれば主にでも言いな。

さっきも言ったけど、世話好きだから。」


「おい。」


「なに? 本当のことじゃないか。」


 透子はそんな二人の掛け合いが面白かったのか、 くすくすと小さく笑った。

 

「さて、透子さん。

 次は君の目について、

いくつか聞きたいんだけど、いいかい?」

 

 透子は肩がぴくりと揺れた。


「…はい。」


 小さく頷いた声は、

先ほどよりもわずかに硬くなった。

 

 

 男は眉を寄せた。

 透子の空気が変わったからだ。


「その目は、僕たちが見えているよね。

それは元からそうだったのかな。」


「それが…。

 分からないのです。

 …今までは死者が見えていました。

 ただ見えるだけで、何もできません。

 いつからそうだったのかは、覚えていません。


生まれつきではなかったようですが、

覚えている限りでは、

もう目は見えていませんでした。」 

 

「そっか…。

 まっ、でも妖まで見えるってのは、

俺は嬉しいけどね。じゃなきゃ

こうやって透子さんと

お話もできなかったわけだし。

 まずはいっぱい飯を食って

寝ればもっと元気になるから、心配しないで!」


 ハクは主と目配せをした。


 男は立ち上がって、透子の手を取った。


 そして、抱き上げた。


「よ、黄泉守様!?」

 

 

 そして男は部屋を出ていった。

 ハクは手を振りながら二人を見送った。


「透子さん、またねぇ。」


 透子は慌てて礼を言った。


「ハクさん!

 ありがとうございました!」


 廊下を男に抱えられながら移動していると、

周りからたくさんの視線を感じた。


 皆さんに見られている!


「あ、あの。黄泉守様?

 私、歩けます!」


 恥ずかしさのあまり、

いつもより声が大きくなった。   

 

周りの妖たちはヒソヒソと

声を潜めながらも、

珍しい光景を楽しんでいた。


「主様が、人を抱えているぞ。」


「なんと!珍しい!」


「しー! 声がでかい!

 主様に気づかれるぞ!」


「あれは人か?」


「いちが騒いでおったのはあの女か。」


 透子には全て聞こえていた。


 いたたまれなくて、両手で顔を隠した。

 

透子に聞こえたということは、

男にも聞こえているということなのだが、

妖たちは気づいていない。

 

男は気にするふうもなく、

部屋まで透子を運んでいった。

 

 

 透子が最初にいた部屋に着いた。

 そっと降ろされた瞬間、

透子はほっと胸を撫で下ろした。

 

でも少し、寂しいと感じた。

 

 

「今日はもう休め。」


 ぶっきらぼうだが、その声は優しかった。


 部屋を出ていこうと背を向けた男に、

透子は咄嗟に手を伸ばした。

  

 無意識だった。

 とっさに握った手は冷たかったが、

透子は安心した。


 手を掴まれた男は、ピタリと硬直した。


 透子ははっとして、手を離した。


「すみません。あ、あの。」


 なんと言えばいいのか透子にも分からなかった。

 どうして手を掴んだのか。


 初めて安心を与えてくれた男から、

離れたくなかった。

 

 男は振り返ると、透子の横に座った。


「…疲れてはいないのか?」


「いえ…。

むしろ村にいた頃より体調は良いです。」

 

 村での生活は、それほど酷いものだったのか。


 男は黙り込んだ。


 それがどれほど異常なことか、

 透子は分かっていないのだろう。


「…そうか。

 腹は減ってないか?」

 

「あ…。

 少しだけ…」


 少し眉を寄せて困ったように言う透子に、

安心させるように手を握った。

 

「なら、何か持ってこさせよう。」


 スパーン!


「お呼びですか! 主様!」


「…まだ呼んではいない。」

 

 男は透子の手を握ったまま、

呆れつつもいちを見た。


 透子はいちの登場に驚きながらも

小さく笑っていた。


 そんな二人を見つめるいち。


 あ、お邪魔だったかしら。


 そんなことを思いながら、

いちは二人のそばへ寄った。


「いち。今呼ぼうと思っていたのだ。」


「はいはい、なんでしょう?」


「昨日の団子があったろう。

あれを持ってきてくれ。」


「はーい!しばしお待ちを!」


 そう言うと、いちは颯爽と部屋を後にした。

 

 

 いちは廊下を走りながら、

さっきまでの二人の仲睦まじい光景を

思い出して、にやけていた。


「ふふっ。」


 ついつい声がこぼれた。


「いち。何をそんなににやけてるのかな?」


 廊下を歩くハクに声をかけられ、

いちは立ち止まった。


「あ!ハク様!

 先ほど主様に、

透子様に団子を持ってくるよう

仰せつかりまして!」

 

「へぇ。主がねぇ。」


 ハクは楽しそうに目を細めた。

 いちはもう話したくてうずうずしていた。


「聞いてください!

 主様、透子様のこと、きっと!絶対!

好きで好きでたまらないんです!

 

さっきも、透子様の手を、

こんなふうにぎゅっと!握っておりました!」 

 

 そんないちを見て、ハクは思わず笑った。


「…まぁ、

本人は気づいてないんだろうけどねぇ。」


「そうですよね…。

 でもきっと、いつか気づくと思います!

 あんなに透子様を

気にかけていらっしゃいますもの!」

 

「うん。あの子も、かなり主に懐いているよね。

ただ…

 あの子もまだ気づいてはいないだろうねぇ。」


「ああ!もどかしい!」


「そうだねぇ。まぁ、俺たちは見守るだけさ。

 さっ、早く団子を持っていっておやり。」


「あっ、そうでした!

 それでは!失礼しますね!」


 走り去っていくいちの後ろ姿を、

ハクは微笑ましく見つめていた。

 


 ほどなくして、いちは団子とお茶を抱えて、

二人の待つ部屋へ戻った。


「失礼しまーす。」


 盆を持っているため、慎重に襖を開けた。

 

「お待たせしましたー!

 どうぞ!お食べ下さい!」


「ありがとうございます。いちさん。

いただきます。」


 透子は手を合わすと、

団子をひとつ手に取って、口に運んだ。


「美味しい。」


「…そうか。もっと食え。」


「はい。いただきます。」


 笑顔の透子に、男は少し安心して、

自分も茶を飲んだ。


「あの。黄泉守様は、食べないのですか?」


 そう言われて、男は茶を飲む手を止めた。


「……いや、俺は。」


「主様、昨日たくさん食べてましたよね?

 もう透子様にお出しした分しか

ございませんよ?」


 なんでもないように言ういちに、

透子は目をぱちぱちさせた。


 たくさんお団子を食べてる黄泉守様……

 想像できない……


「……」


「透子様。主様は甘いものが大好きなんですよ。

だからついつい食べすぎちゃうんですね〜。」

 

 黙り込んだ男を見て、クスッと笑いがこぼれた。

 

この人に出会う前は、

恐ろしい死神だと思っていた。

 でも、そうではなかった。


 こんなに、お優しくて……


 ずっとこの人と

 一緒にいたい……

 

 

「ご馳走様でした。」


 団子を食べ終えた透子は、少し眠気を感じた。


 それを察した男。


「眠いなら寝ろ。」


「お布団、準備しました!」


 いちがポンポンと布団を叩く。

 

 透子は申し訳なさそうに男を見つめた。


 ためらう透子を抱きあげて、

男は布団にそっと降ろした。

 

「……あ、ありがとうございます。」


 少し照れながら小さく言う透子に、

布団をかけてやりながら男は、

ぶっきらぼうに言った。


「礼を言うことではない。」


 しかしその声には優しさが滲んでいた。

 

 黄泉守様の声。

 安心する。


 透子は眠気に負けて瞼を閉じた。


 しばらくして、

静かな部屋に透子の寝息が聞こえた。

 

 男は透子の寝顔を見つめていた。

 自然と手が伸びて、透子の髪を静かに撫でた。

  

 


いちは透子を起こさないように

静かに襖を閉めた。


 男の後ろを歩きながら、

主の背中を見つめていた。


「いち。ハクと話すことがある。

お前も同席しろ。」


「かしこまりました!」


 きっと、透子様のことだろう。

 いちは表情を引き締めて、男について行った。

 

 五話 死神と薬師【完】

 


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