四話 何処にもいない
屋敷に戻った男は、僅かな違和感を覚えた。
透子……
脳裏にあの女の笑顔が掠める。
「あ、主様。おかえりなさいませ!
透子様は書庫にいますよ。
少し前に猫又が連れていったんですけどって、
主様!?」
透子が書庫にいると聞いたとたん、
廊下を駆けていく男に驚いたいち。
ハクも焦ったようにその後を走っていく。
何かあったのかと、いちも慌ててついて行った。
バッと勢いよく扉を開けた。
「透子!」
窓が開き、風が本をぱらぱらとめくっている。
しかし、誰もいなかった。
「どうしたの?」
猫又が、書庫の入口で固まる三人に話しかけた。
「猫又。透子はどこだ。」
「え? そこで寝てるんじゃないの?」
猫又は部屋を覗き込んだ。
「あれ?」
誰もいない部屋に、猫又は眉を寄せた。
男は開いた窓辺に近づいた。
「クソ!」
バン!っと、男は窓辺を殴りつけた。
こんなに感情を露わにする主を
見たことがなかった他の三人は、
驚き、その恐ろしいほどの怒りに、
震え上がった。
男は瞳を閉じて、深く息を吐いた。
「…これで確定した。
今回の件、
間違いなく土蜘蛛が関わっている。」
男は窓辺で揺蕩う糸を、憎々しげに掴んだ。
「黄泉へ行く。」
男は静かに告げた。
「透子さんはどうする?」
「……土蜘蛛は
すぐにあいつを殺すことはないだろう。
殺すならば、ここでも良かったはずだ。」
「……連れ去ったのは何故か。」
「俺の反応を楽しむためだろうな……」
冷静に話す男は、拳を強く握りこんだ。
「ハク。いち。猫。
俺が黄泉に行っている間、
透子の居場所を探してくれ。
他の奴らにも伝えてくれ。
……頼む。」
男は三人に頭を下げた。
三人は、さっきの怒りに震える主の姿よりも、
今自分たちに頭を下げる姿の方がもっと驚いた。
ハクはポンポンと軽く男の肩を叩く。
「やめてくれよ、主。」
「そうです! 頭をお上げください!」
「透子は絶対見つけるから!」
「ああ。……ありがとう。」
顔を上げて礼を言った男に
ピシリと三人は固まった。
「え? 今なんか聞こえたかい? いち。」
「え? あ? ありがとうって言いました?」
「言ったね。透子のことになると素直だね。主様。」
男はそんな三人の反応に、
少し照れたように黙り込んだ。
そして小さく呟き、視線をそらした。
「う、うるさい……」
庭に出た男は、パン!パン!と柏手を打つ。
そして男はゆっくりと目を閉じた。
するとそこに、大きな鉄の門が現れた。
重々しい音を立てて、門が開く。
門の向こうから冷気が流れ込む。
男は門に足を踏み入れる前に、屋敷を振り返った。
ハク、いち、猫又。
そして多くの妖たちが自分を見ていた。
「では、行ってくる。」
「ああ。こっちは任せて。」
「頼んだ。すぐ戻る。」
そして男は、黄泉の門の中へ姿を消した。
冷たい風が頬を掠めた。
透子はゆっくりと目を覚ます。
土の匂いと、草木の青々した香り。
「ようやく起きたかい?」
すぐ近くで声がした。
声の先を見れば、
僧侶の格好をした男が穏やかな表情で
こちらを見ていた。
「あなたはいったい、誰なのですか!
それに、どうして私を殺さないのです。」
恐怖で声が震えた。
男は不思議そうに瞬きした。
「殺してどうする?」
「どうって……
私を食べるつもりではないのですか?」
やれやれと呆れたように首を振った男は、
地面に倒れたままの透子を優しく抱き起こした。
「そんな勿体ないこと、するわけがないだろう。」
懐から手拭いを出すと、
土で汚れた透子の頬を丁寧に拭った。
穏やかな声。
優しい仕草。
その全てが、透子の背筋を粟立たせた。
「まあ、もちろん最後には美味しくいただくが。
それはもっと後だ。
私は、死神が絶望で苦しむ姿が見たいんだよ。」
透子は自分がこの先死ぬことよりも、
黄泉守に何故そこまで執着するのかが気になった。
「どうしてそこまで……
あの方は優しい人です。
あの人を苦しめて、何が楽しいのですか!」
男は、恐怖するでもなく、
死神を侮辱された怒りを露わにする透子に、
少し驚いた。
「優しい?
あの男が?」
死神が優しく透子に触れる姿を想像して、
可笑しくなった。
「ハハッ。
これは面白い!
お前にとっては優しいのか……
ククっ。いやぁ、実に面白い。」
楽しそうに笑う男を、透子は睨みつけた。
「何が面白いのです!」
「これほど楽しくなったの久方ぶりだ。
……あの男はな、私を殺して、
地獄に堕とした男だ。」
「……地獄に?
それほど悪いことをしたのでしょう!
黄泉守様は、人にも、妖にも、
慈悲深い方です。」
「慈悲深い、ねぇ。」
男はどこか遠くを見るように語りだした。
「……少し、昔話をしてやろう。
昔のあいつと、私の話だ。」
四話 何処にもいない【完】




