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第8話 胸の奥の響き

 翌日。

 帝都の大通りには旗が翻り、武功祭を告げる太鼓が朝から鳴り響いていた。晴れやかな音色は石畳を震わせ、人々の胸を高鳴らせる。


 王都の外れ――辺境伯ヴァルトハイム家のタウンハウスは、帝都の華やかな貴族邸の中で異彩を放っていた。厚い石壁に飾り窓もなく、彫刻もない。実用一点張りのその構えは、北の要塞を思わせる威容を備えていた。


 その正門を、帝国の“双翼を広げた戦鷲”の紋章を掲げた黒塗りの馬車がくぐった。

 玄関前に停まると、扉が開き、第二皇子レオンハルトが姿を現す。


 金糸を織り込んだ礼装軍服は長身を際立たせ、肩に輝く徽章は皇子の威光を余すことなく示していた。鋭い氷の気配を纏いながらも、その姿は神殿に祀られる彫像のように凛烈で――屋敷の従者や侍女たちが自然と背筋を正してしまうほど神々しかった。


 だが、その視線が玄関の奥をとらえた瞬間――氷は揺らいだ。


 そこから現れたのは、エリナ。

 昨日まで鎧を纏っていた彼女は、今日は若草色のドレスに身を包んでいた。

 その色は瞳と同じ澄んだ緑を映し、ミルクティーブラウンの髪が肩で揺れるたび、光を掬ってきらめく。飾り気のない清らかさは、宝飾を超える美しさを宿していた。


 レオンハルトの胸が大きく跳ねる。

「……綺麗だ」


 思わず言葉になった。敗北を喫した武道大会の時も、朝の訓練場で微笑みを向けられた時も、胸は震えた。だが――今の衝撃は、それ以上に甘く鋭かった。


 エリナは顔を上げ、その声を聞いて一瞬驚き、頬を赤く染めて微笑んだ。

「殿下も……とても素敵です」

 言葉を切り、視線を伏せる。

「……でも、素敵すぎて……殿下の隣に並ぶのは、少し恥ずかしいです」

 

 その姿に、レオンハルトは思わず胸を詰まらせる。

「他がどう思おうと、俺は君がいい」

 ぶっきらぼうに聞こえる言葉だったが、瞳は真剣そのものだった。


 エリナは目を瞬き、やがて小さく笑みを浮かべた。

「……ありがとうございます」


 まただ。その微笑みに、胸を撃ち抜かれる。


 馬車の扉が開かれる。

 レオンハルトは自然に手を差し伸べた。

 エリナは一瞬ためらったが、その大きな手を取って足を踏み入れる。

 ドレスの裾がわずかに揺れ、若草色が陽光を受けてきらめいた。


 続いて彼も乗り込み、扉が静かに閉じられる。

 馬のいななきと共に、車輪が石畳を叩き、馬車はゆっくりと動き出した。


 窓の外、帝都の大通りには人々が集まり、武功祭を待ちわびる声が波のように広がっていく。

 だが、レオンハルトの視線は外には向かなかった。

 ただ隣に座る少女――エリナの横顔に釘付けになっていた。


 群衆の視線も喧騒も、彼にとっていつも取るに足らぬものだった。

 けれど今は、それ以上に。

 彼女が隣にいる、その事実だけが胸を満たしていた。


 馬車の中、距離は近かった。

 胸の鼓動が大きすぎて、まるで心臓の音が彼女に聞こえてしまうのではないかと錯覚する。

 吐息の気配、袖先が触れそうな距離。

 こんなにも静かなのに、なぜこれほど胸が熱いのか。


 窓の外では祝祭を待ちわびる声が響いていた。

 だが彼の耳に届くのは、自分の鼓動だけだった。

 その音が、これほど鮮やかに胸を揺らすのは――初めての感覚だった。

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