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第6話 公爵令嬢の苛立ち

 その日の午後。

 アイゼンリート公爵邸のサンルームは、優雅さの象徴であった。

 磨き上げられた大理石の床に陽光が射し込み、薔薇を浮かべた水盤が涼やかに光を返す。

 白磁のティーセットには芳香を放つ茶が注がれ、銀の菓子皿には繊細な焼き菓子が並べられていた。


 だが、そこに集う若い令嬢や令息たちの視線は、菓子ではなく、ただ一人に注がれていた。

 公爵令嬢ドロテア――氷の皇子の隣に立つにふさわしいと誰もが信じて疑わなかった少女。


 その彼女の表情はいま、怒りに彩られていた。


「殿下が……あんな小娘に」

 扇を握る指先が白くなるほど力がこもり、低く吐き捨てられた言葉に、場の空気が震えた。


 取り巻きの令嬢たちは顔を見合わせ、小さく頷き合った。

 だが同時に、その瞳には怯えが混じっていた。

 ドロテアが積み上げてきた努力と誇り、そして彼女の気性を知っているからこそ、誰も軽々しく慰めることができなかったのだ。


 彼女は幼いころから、皇子の隣に立つ自分を夢見てきた。

 氷の皇子にふさわしい気高さを備えるために、礼儀作法を徹底し、舞踏の一挙手一投足を磨き抜き、さらには剣技までも身につけた。


 ――すべては、アイゼンリート公爵家の名に恥じぬために。

 そして、帝国の期待を背負う彼に並び立つ唯一の令嬢であると証明するために。


 公爵家は常に重圧の中にあった。帝国を支える柱として、他家に隙を見せることは許されない。

 とりわけドロテアには「皇子の妃となるべき」という暗黙の期待が注がれていた。

 だからこそ彼女もまた、その役目を当然と受け入れてきたのだ。


 それなのに――。

 その努力も、重圧も、皇子の瞳には一度たりとも映らなかった。

 冷たい眼差しは、彼女を通り過ぎるばかりだった。


 それが今さら、田舎の娘に。

 今朝、剣を交えただけで微笑みを向けたという。

 更には、武功祭でのエスコートを申し出たというではないか。


 十余年をかけても得られなかったものを、ぽっと出の娘が一瞬で奪った。

 ドロテアの胸に走ったのは、嫉妬というには生ぬるい、焼き焦がすような怒りだった。


「辺境の小娘が、殿下を惑わせている」

 彼女の吐き捨てるような言葉に、令嬢たちは怯えながらも小さく同調する。


「放置すれば、帝国の秩序を揺るがしますわ」

「身の程をわきまえさせなければ」


 その囁きに、ドロテアの扇がぱたりと閉じられた。

 瞳の奥に燃える暗い炎は、ただの少女の嫉妬心を超えたものだった。


「明日は武功祭。格の違いを、あの娘に思い知らせてやる」


 その声音は低く、甘やかさを欠いた鋭さを帯びていた。

 薔薇の香りが漂うはずのサンルームは、いつしか重苦しい空気に包まれ、取り巻きの令嬢たちは息を潜めるように視線を落とした。


 彼女たちの胸に浮かんでいたのは、同情でも共感でもない。

 ――恐れだった。


 ドロテアの笑みは冷たく、刃のように美しい。

 その笑みに宿る執着と狂気の片鱗を、誰もが見逃すことはできなかった。


 ――午後の茶卓に広がる薔薇の香りの下で、確かに空気は変わり始めていた。

 優美な仕草の奥で、彼女の瞳には暗い炎がちらついている。

 その不穏な気配の中心に座る姿は、もはや優雅な公爵令嬢ではなく――獲物を狙う捕食者に似ていた。

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