兄妹の二人 1
あたしがまだ幼いとき。
お兄ちゃんと約束したんだ。
「あたち、おにいちゃんとけっこんする!」
「うん、けっこんするぞー!」
お兄ちゃん、あの時、“うん”って言ってくれたのに。
お兄ちゃんに、彼女ができた。
約束…したじゃん。
「お兄ちゃんのバァカ」
今日、久しぶりにお兄ちゃんに電話した。
前は、あたしから電話するよりも向こうからかかってくるほうが多かったのに。
「もしもし?お兄ちゃん?」
『あ、杏奈か?どうした珍しいな』
受話器から聞こえてくる、なんだか嬉しそうな声。
「えっとね、ちょっと悠太の声がききたくて…」
『そーか。ていうかなぁ、そろそろ“悠太”言うのやめてくれへんか?お兄様と呼びなさい』
お兄様なんて呼ぶかアホ。
死んでも悠太って呼んでやるんだから。
お兄ちゃんなんて呼びたくないもん。
『先輩、誰と電話してるんですか?』
…あいつの声。
あの泥棒猫の声や。
じゃあ、お兄ちゃん今、あいつと一緒にいるん?
『杏奈から電話やねん…っともしもし?杏奈?』
ずっとお兄ちゃんはあたしだけのものだったのに、どうして奪うの。
あたしだけの優しいお兄ちゃんだったのに。
『聞こえてるか?おーい杏奈』
「聞こえてる。お兄ちゃん今デート中なん?」
『ででで、デートやなんて…陽依がな、放課後一緒に帰ろうって誘われてん。で、今帰ってるとこや』
時計を見ると、5時過ぎ。
そっか、高校生は今が帰宅時間か。
あたしは中学生だし、帰宅部やし1時間ぐらい前には家に帰ってる。
『ほな、切るで』
「ちょっ…待って!」
『なんやねん。俺と陽依のスウィートタイムを邪魔せんでくれ。んじゃな』
ブツッ……
陽依、陽依、陽依、陽依……そればっかり。
あたしの気持ちなんか全然知らないで、悠太のお兄ちゃんのバカ!
あたしは、急いで自分の部屋へ入り荷造りを始めた。
いまから準備したら、電車に乗って21時ぐらいにはお兄ちゃんの住んでる所に着ける。
藤井悠太はあたしのお兄ちゃんなんやから。
こんな簡単に奪われてたまるかい。
オトンも今日は遅くなる言うてたし、置き手紙でも残しておいたら大丈夫やろ。
キャリーバックを押し入れから取り出して、箪笥から服を詰められるだけ詰めた。
あとはお泊りセットや。
そうこう準備しているうちにすっかり日は暮れてしもた。
「おっとヤバい、もうこんな時間や、そろそろ家出なあかんわ」
キャリーバックをごろごろと引きながら、玄関まで行き、戸締りなどを確認してから家を出る。
外に出ると、北風がびゅうっと吹いて、あたしの体を震わせた。
「よし、駅に出発や」
駅まで歩いて15分。
そんなに遠くはない。
……でも本当に真っ暗やな。
いつもは星がきらめいて、夜道を明るくしてくれるのに、今日に限って星が出ていない。
「なんや、不気味やな」
腕時計で時間を確認すると、電車が来るまであと30分を切っていた。
うそ、もう少し早く家でればよかった。
急がな。少し早歩きになる。
暗い道をずーっと歩くと、前から人が歩いてくるのが見えた。
「坂上…渉?」
坂上渉は、あたしの中学のクラスメイト。
成績優秀、運動神経抜群、眉目秀麗、三拍子整った誰もが認める爽やか美男子。
この男、話すときは、常に標準語。
あ、でもいつもクラスにいるときは、全く口を聞いたことないけど。
そんな優等生がこんな夜遅くに一体何してるんだろう。
おっと、他人のこと考えてる場合やなかった、電車電車!
キャリーバックをごろごろと転がし、足早に坂上渉の隣を通り過ぎる。
「藤井さん?」
背後から声をかけられた。
もう、時間がないっていうのに。なんやねんもう!
「な、なに?」
振り返ると、高貴な顔立ちの男子、坂上渉殿。
「旅行?…でも明日学校だよね。…もしかして家出?」
「ちゃう、ごめん。急いでるから」
そう言って、足早に駅を目指そうとするが動かない。
「坂上くん、その手離してくれへんかな。動けへんねんけど」
坂上渉は、私の肩をがっしりとつかんでいた。
「俺一応、風紀委員やねん。これ学校に報告したろかなぁ」
いま、ものすごい聞きやすい方言が聞こえてきたような。
今しゃべったん誰や?
きょろきょろと坂上の背後や、自分の後ろをさがす。
いないってことは…。
「誰探してんの?今話したんは俺や。俺だって学校以外では普通に大阪弁しゃべるから。標準語は学校専用やねん」
もしかせんでも…こいつ。
「猫かぶってんの?」
「うん」
満面の笑みで即答ですかー。
あの爽やかな優等生美男子が…。
学校中でキャーキャー騒がれてるアイドル的存在の男が…。
こんな腹黒キャラやったなんて。
「優等生キャラの方が何かとやりやすくてな。俺目立つの大好きやから~」
どんだけ~。
まぼろし~。
「で、藤井さんは何してんの」
「え…」
あたしはキャリーバックの取っ手をぎゅっとつかみ考えた。
…どうしよ。
そ、そうや。
「か、彼氏に会いに行くねん」
「は?こんな夜遅くにか?」
「そうや、今会いたい思ったから行くんや」
お兄ちゃんを取り戻しに行く言うたら、なんか恥ずかしいしな。
それにあながち間違った理由やないもんな。
坂上を見ると、疑惑のまなざしをこちらに向けている。
よし、こうなったら話を別方向にそらすしかない!
「さ、坂上はなにしてたん?こんな夜遅くに」
「俺は、コンビニにジュース買いに。って話そらすな」
くそ。バレたか。
坂上はあごに手を置いて、なにやら考える人のポーズになった。
「そうや。それがええな。うん」
ひとりで何か納得してるけど、嫌な予感。
「俺も一緒に行くわ」
「はぁっ!?何言うてんねん!」
一緒に行くやとぉ!??
「俺、藤井さんの彼氏がどんな人か興味あるし」
なんか、コイツ…あたしが嘘ついてんの知ってるんちゃう。
めっちゃ笑ろてるし。
この笑顔めっちゃ腹立つー!
ここで本当のこと言ったら、私のプライドずたずたや。
ここは死んでも彼氏ということで貫きとおさなアカン。
「来なくていい。あたしと彼氏ラブラブやからついて来たら邪魔やわ」
お願い。引き下がってくれ。
「へぇ、じゃあ聞いていい?」
「なによ」
「その人、こんな夜遅くに彼女呼び出して暗い夜道歩かせるような男なんですか?」
急に標準語&敬語。
そして、真顔。
この坂上渉という男は、何者なんでしょう。
「あたしが会いたいから会いに行くって言うたんよ」
「へぇ、でも普通、こんな寂しい夜道歩かせるなんてその男最低だと思いませんか?」
そりゃあ、あたしが勝手に会いに行こうとしてるだけだし。
というか、うちのお兄ちゃんは最低ちゃうもん。
なに失礼なこと言ってんねんコイツ。
「ふーん、藤井さんは最低な男と付き合っているんだね」
むかっ!!!
「お兄ちゃんは最低ちゃうもん!」
あっ!………しまった。
やばいやばいやばいやばいやばい。
「なんや、藤井さん。彼氏やなくて“お兄ちゃん”に会いに行くんや」
「……カマかけたな?」
「ひっかかる藤井さんが悪い。藤井さんに彼氏いるって聞いたことないし。おかしいなって思って正解やった」
コイツのことカッコイイ言うてる学校の女子達に叫びたい。
坂上渉は悪魔ですよーって叫びたい。
「その様子やと、その“お兄ちゃん”にも連絡してへんやろ」
「うっ…」
するどい。
コイツ頭もいいんやったっけ。
「へぇ、藤井さんてブラコンなんやね」
「ブラコン言うな!」
ただお兄ちゃんが大好きなだけや。
一人占めしたいだけやもん。
「そんなキャリーバックもっていきなり押しかけても、“お兄ちゃん”困るんちゃう?」
……痛いところついてくるなぁ。
「お兄ちゃん優しいから大丈夫やもん…それに」
それに、このままお兄ちゃんをあの女に渡してたまるか。
阻止せなあかんねん。
「それに?」
「絶対に負けられない戦いが私を待ってる」
“そーなんです”
川平慈英さんの名言が脳裏を渦巻く。
「なにそれ」
鼻で笑う坂上渉。
ムカつく!!
「でさ、藤井さん。電車いいの?」
「あーっ!」
腕時計を確認すると、乗るはずだった電車はとっくに過ぎていた。
藤井杏奈ちゃんのお話です。
時系列でいうと、本編完結後のお話ですね。




