不穏な動き
ようやく鎮まった食堂を出ると、日は大きく動き、今にも山際に入りそうな状態だった。
……ただ見ていただけなのに、鍛錬を終えた後よりも疲れた気がする。
ひびきは荷物を持ちながら、細長い息を吐き出す。
こちらとは対照的に、ミラルは上機嫌に鼻歌を唄っていた。体力は負けない自信はあったが、心のたくましさは敵わないことを痛感する。
しばらく大通りを進んで小道に入った時、ミラルは歩きながら手帳を取り出してペンを動かし始めた。
「先住民の生の声を聞くのが目的だったけれど、思っていたよりも収穫あったわー」
ミラルの独り言に、ひびきはハッとなる。
「もしかして、先住民の方々が本音を吐き出してくれるように、わざと店内を盛り上げていたのですか?」
「そうよ。まさか、アタシがただ楽しんでいるだけって思ってた?」
顔を上げずに話すミラルの隣で、ひびきは気まずそうに目を細める。
「すみません。単に面白がっているだけじゃないかと思っていました」
チラリとこちらを見やると、ミラルが片目を閉じた。
「謝らなくても良いわよ。実際あの時、面白がっていたんだもの。……まあアタシにとっては、世の中の全てがネタだから。嬉しいことも嫌なことも、真面目なことも遊びも全部、ね。この世に無駄なものなんて一つもないんだから」
そう言われると、今まで仕事とそうではないことを分けようとしていた自分が浅はかに思えてくる。
ひびきが目から鱗を落としていると、
「だからお酒を飲み歩くのも仕事なのよ! さっき食堂で、この近くに地元民ご用達の酒屋さんがあるって聞いたわ。まだまだ持ってもらうからね」
……お酒の話が加わると、どうしても心が反発してしまう。
釈然としない気持ちだったが、全てがネタだと言われてしまうと納得せざるを得ない気もする。ひびきは引き止めるのを諦めて、とにかくミラルについていこうと腹を括った。
と、不意に背後から刺々しい気配を感じた。
(これは……殺気?)
ひびきは少しだけ歩みを遅くし、わずかに振り返って様子を伺う。
そこにいたのは、こちらを睨みながらついてくる目つきの悪い男が二人。どちらも体格が良く、腕の筋肉の付き方が素人ではない。
男たちに気づかれないよう、ひびきはミラルを肘でつついて注意を促す。
しかし書くことに没頭してしまい、何の反応も返ってこない。護衛は任せた、と信頼を寄せている――つまりはこちらに丸投げする――気配が伝わってきた。
この期待に応えなければと、ひびきは意識を集中していく。
感覚が研ぎ澄まされ、後ろを見なくても、男たちの動きが手に取るように分かった。
少しずつだが、歩みを早めて距離を縮めようとしている。
このまま飛びかかられては、荷物のせいで対処が遅れてしまう。それならいっそ――。
「ミラル、すみません。少し待っていてもらえますか?」
ひびきが小声で伝えると、ミラルは書き続けながら「良いわよー」と足を止めた。
道の脇に荷物を下ろして手首を軽く振ってから、ひびきは男たちの前に立ちはだかった。
「何か私たちに用があるのですか?」
意外だったのか、男たちは目を見張ってひびきに注目する。
そして失笑しながら左右を囲むように近づき、こちらを見下ろした。
「街であれこれ聞き回ってるようだな? 目障りなんだよ。痛い目にあいたくなかったら、さっさとこの街を出て行くんだな」
ただの小さな女の子供と思って、かなり侮っているようだ。不愉快だが、油断してもらえるのは有りがたい。
ひびきは顔色を変えずに、男たちを真っ直ぐに見据えた。
「申し訳ありませんが、それは出来ません。ただ街の人たちの話を聞くことの何が駄目なのですか?」
「あー……お嬢ちゃん、良い子だからあっちに行ってな。それとも、その可愛い顔をボコボコにするのが望みなのか?」
右側の男が、ひびきの肩を掴もうとする。
指が触れる間際、ひびきはその手を払い――がら空きになった胸へ目がけ、腕を伸ばす。
一歩踏み込むと同時に、平手で男の胸を強打した。
「な……!?」
彼は息を詰まらせながら後ろに飛び、体勢を崩して腰を打ち付ける。
そして、その反動でひびきはもう一人の男の懐に迫り、腕を捕らえて投げ飛ばした。
少しは武術の心得があるだろうと思っていたが……飛ばされた男は受け身すら取れず、無様に地面を滑った。
息も乱さず、表情も変えず、ひびきは男たちに近づき静かに見下ろした。
「まだやりますか? 次は本気で行きますよ」
悔しそうに男たちが歯ぎしりする。しかし反撃する意思はなく、足をふらつかせながら「覚えていろよ!」と捨て台詞を吐いて去っていった。
遠ざかる彼らを見ながら、ひびきは軽く拳を握った。
(今の投げは、無理なく技が入ったな。……イグニス先輩のおかげだ)
また機会を見て手合わせをお願いしたいと思いながら、ひびきは踵を返す。
いつから見ていたのか、ミラルは手帳とペンをしまい、満足気に笑っていた。
「さっすが武術道場の娘ねー、いい動きするじゃない。今のやつ、今度の本に書かせてもらうから」
……止めて欲しいと言って、止めるような人ではない。
作家として使える物は使うという姿勢は大切だと自分を納得させ、ひびきは諦めて話を切り替える。
「今の人たち、何だったのでしょうか……?」
「確証はないけれど、多分アタシに『傾国の女神』のことを調べられると困るからだと思うわ」
腕を組み、ミラルが男たちが消えた路地に視線を送る。
「余所者が女神様に近づくなっていう地元の人の可能性もあるけど、恐らくハーマン伯爵がアタシに先越されないよう、雇った用心棒を使って脅してきたんだと思う。レスター博士からアタシを引き離して、最小限の費用で『傾国の女神』を手に入れたいってところかしら」
確かにその通りかもしれないと得心してから、ひびきはふと昨日のミラルの言葉を思い出す。
「昨日の時点でそれが分かっていたから、変なヤツに絡まれたら殴れと言ったのですね」
一体彼女はどこまで先を読んでいるのだろうかと、ひびきはミラルを見る目を変える。
ただ好き勝手やっている人ではないのだと感心していると、ミラルは少し不満そうに唇を尖らせた。
「そうよ。女二人で行動すれば動きがあるだろうと思ってたけど、ちょっと予想通り過ぎて面白くないわね。もっと意外性が欲しいのに……これから盛り上がるように、こっちから何か仕掛けようかしら?」
……わざわざ自分から厄介事を起こして、事を大きくするつもりなのか。
物騒な呟きにひびきが面食らっていると、ミラルは肩をすくめて「冗談よ、冗談」と笑って流した。




