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   今日の成果

   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ひびきとミラルがレスターの家へ戻ると、先に帰っていたイグニスが居間のソファーに座ってくつろいでいた。


「二人ともお帰り。ひびきちゃん、ミラルの相手ご苦労様――」


 振り返った瞬間、イグニスの動きが固まる。と、血相を変えてこちらへ駆け寄ってきた。


「何だよ、この荷物の量は! ミラル、いくら何でも買い込み過ぎだろ。せめて半分くらいは持ってあげろよ」


 男たちを撃退した後に入った酒屋でも地酒を購入したため、ひびきの荷物は新たに酒瓶の詰まった木箱が1つ追加されていた。自分の背丈よりも積み重ねた荷物の方が、一つ頭高くなっている。


 真剣に批難するイグニスに対し、ミラルは胸を張って向き合う。


「手が塞がっていたら、ネタを書き留められないじゃないの。それに、ひびきの鍛錬にもなるし……ねえ、ひびき?」


 同意を求められ、ひびきは慎重に荷物を下ろしてから頷いた。


「はい、これぐらいの荷物なら負担になりません。……ただ、このお酒の量は多過ぎだと思います」


「そうだ、そうだ。もう少し自重してくれよ。酒代が取材の経費の半分を占めてるなんて異常だぞ」


 イグニスが深く頷いてミラルを見下ろすと、彼女はプイッと横を向いた。


「お酒を飲むからこそ、執筆がはかどってるのよ。これは良い話を書くための義務みたいなものなんだから」


 そう言うとミラルはさっさとソファーの方に行ってしまう。

 イグニスが口を開きかけたが、諦めたようにうなだれ、ため息を吐き出した。


「そんなこと言うなら、一回断酒してその違いを見せてくれよ……あんな酒狂いのワガママ大王に付き合わせてごめんな。この荷物は俺が運んでおくから、ひびきちゃんはソファーで休んでなよ」


 こちらの返事を待たずにイグニスは荷物を持ち上げ、二階へと運んでいく。その横顔に影が落ち、呆れと気疲れが漂っていた。


(イグニス先輩……今まで会ってきた人の中で、一番の苦労人かもしれない)


 同情と尊敬の眼差しをイグニスに送ってから、ひびきはソファーに近づき、ミラルの隣に座った。


 今日集めた情報を整理しているのか、ミラルは手帳と睨めっこしながら、時折ペンで新たに書き込んだり、小さく唸って思案したりを繰り返している。

 仕事の邪魔をしないようにと、ひびきは口を閉ざし、心持ち息を潜めた。


 二階から、ドン、ガタッと物音がしてからイグニスがソファーに戻ってくる。

 ミラルの向かい側に座ると、彼は肘を大腿の上に置き、前屈みになった。


「そっちは色々と収穫があったみたいだな」


 一通り書き終えてペン先を紙から離すと、ミラルは顔を上げて不敵に笑った。


「当たり前でしょ……ってイグニス、まさか手ぶらで帰ってきたの?」


「そういう訳じゃないんだが……今日は手応えがイマイチだった」


 わずかに息をついてから、イグニスが話を続ける。


「午前中にパドの森の遺跡へ行ったが、目ぼしい物は特に無し。で、午後から街で聞き込みしたんだが、教えてくれるのはオススメの観光地や店ばっかり。豊穣の女神や『傾国の女神』の話をしても、「そんなのもあったわね」ってあっさり流されるか、余所者って警戒されるかの二択で、有益な情報は聞けなかったんだ」


「それ、多分前者は移住してきた人で、後者は先住民だと思うわ。かなり先住民は余所者に腹を立ててるから、聞き出すのは容易じゃないわね。まあ私は順調に聞けたけど……ねっ、ひびき」


 得意げに声を弾ませたミラルから同意を求められ、ひびきは一瞬躊躇してから「はい」と頷く。

 こちらを見たイグニスの眉根が、申し訳なさそうに寄った。


「まさか、もう厄介事でも起こしたのか?」


「そんな訳ないじゃない。大人しく情報収集して、美味しい物食べて、買い物してきただけよ。アタシは何もやってない。でも、いきなり男二人組に『さっさとこの街から出て行け』って因縁つけられたわ。ひびきが守ってくれたから被害は無かったけどさ」


 イグニスから「げっ」という声が漏れた。


「つまり、ひびきちゃんに重い物を持たせ続けた挙げ句に、もしかしたら変質者かもしれない野郎どもの相手をさせたってことか。どうせミラルのことだ、『ネタになるから』ってわざと逃げずに戦わせたんだろ?」


 ……さすが担当だ。ミラルのことをよく分かっている。

 ひびきが無言で頷いていると、ミラルはぷっくりと頬を膨らませた。


「ネタになるってだけじゃないわ。『傾国の女神』を狙ってる輩の動きを炙り出したかったのよ」


「それって……ハーマン伯爵のことか?」


 真顔で尋ねるイグニスへ、ミラルは「そうよ」と言い切った。


「アタシが先に『傾国の女神』を手にしそうだから、怖がらせて逃げ帰らせようとしてるみたい。これから街に出たら、あの手この手で嫌がらせしてくるかもねー。ひびきの強さは伝わっただろうし、イグニスは見た目で強そうだって見なすだろうから、標的になるのは間違いなく一番か弱いアタシになるわ」


 自分が傷つくかもしれないという内容なのに、ミラルの顔はどこか楽しげで、誕生日の贈り物を心待ちにしているような顔だった。


「ということで、しばらくアタシはレスターの家から出ないわ。元々、文献の確認とシアから話を聞き出すことに専念したかったから予定通りよ。必要な取材と買い出しは二人に任せたわ」


 ミラルがチャッと素早く手を上げ、にっこりと笑う。有無を言わせる隙がまったくない。

 決定事項ならもう何を言っても変える気はないのだろう。それなら可能な限り従うだけだと、ひびきは「分かりました」と頷いた。


 イグニスは即答せずに少し唸ってから、「一つ提案」と手を上げた。


「滅多なことはないと思うけれど、相手に不意打ちを突かれて俺やひびきちゃんが捕まる可能性もあるから、できれば俺とひびきちゃんを一緒に行動させてくれ」


「アンタを捕まえられる人間なんて、まずいないだろうけれど。でも、どっかに閉じ込められちゃって、仕事に支障が出たら困るわね……分かった、その提案受けるわ」


 苦笑を浮かべてからミラルは了承すると、おもむろに顔をひびきへ向けた。


「これから色ボケ担当の相手ばかりになるけれど、異論はない?」


「はい、大丈夫です。足手まといにならないよう、イグニス先輩がら色々と学ばせて頂きます」


 一緒にいる時間が長くなれば、それだけ口説かれる機会が増える気がする。正直、まともに相手をするのは疲れる。

 でも、仕事に関しては真面目で、ミラルを相手にし続けられる精神力は賞賛に値する。ひびきは彼を見習いたいと心底思っていた。


 この答えが意外だったのか、ミラルは目を丸くした。


「あらあら、意外と脈ありなのね。この調子なら、そう遠くない内にイグニスに押し倒される日も来そうじゃない。んふふふふー、楽しみねえ」


 そう言うだろうと思った。想定内だ。

 焦れば火に油を注ぐだけだと気を引き締め、ひびきは毅然とした口調で返答する。


「そういう対象では見ていません。勝手に妄想を膨らませないで下さい」


 ミラルに言いながら、間接的にイグニスを突き放す。

 しかしイグニスは落ち込むどころか、むしろ嬉しそうに笑っていた。


「断られなくて良かった……一緒にいる時間が増えるってだけでも大収穫だ。ああ、この幸せが長く続いてくれますように」


 言葉の終わりの方でイグニスは虚空を見上げ、両手を組んで祈り始める。

 そんなことだけで、あんなに幸せそうになれるなんて……と、ひびきが意外に思っていると、ミラルが「あっ」と声を上げた。


「イグニス、明日から二人で行動する気なら、今すぐにこれをやっといて」


 手帳に挟んであったメモ紙を取り出すと、ミラルはササッと素早く何かを書き込み、イグニスへ差し出す。

 腕を伸ばしてメモ紙を取ってすぐに、イグニスは書かれたものに目を通す。


 見る見るうちにイグニスの眉間にシワが寄り、口元が引きつり始めた。


「ミラル……今回って、これが必要になってくる案件なのか?」


 ペンに蓋をしてからミラルが顔を上げる。

 微笑を浮かべながらも、その目は笑っていなかった。


「絶対とは言い切れないけれど、これからの展開によっては必要になると思うわ。まっ、そうそう簡単に必要になることはないでしょうけど、一応用心のために、ね」


 一体何をするのだろうかとひびきが首を傾げていると、おもむろにイグニスが立ち上がり、大きく背伸びをした。


「じゃあ、まずは社長に連絡してくる。帰りは遅くなるから、セロに玄関閉めないでくれって伝えてくれよ」


「了解。ついでにカルツに「心配しないで」って伝えてちょうだい」


 ミラルの注文に、イグニスは親指を立てて了解を示す。

 二人のやり取りを見ながら、ひびきは少しでも状況を把握しようと思考を働かせる。


 まず、遠方と連絡を取るためには、都市部の大きなホテルに設置されている電話を使わなければならない。今から市街地に行くだけでも時間はかかるし、そこからさらに何かするとなれば深夜に及ぶかもしれない。


 遺跡の再調査と街の聞き込みだけでも激務なのに、夜もゆっくり休めないなんて……。

 大丈夫なのだろうかとひびきが心配していると、玄関へ向かいかけたイグニスと目が合う。すると、彼は申し訳なさそうに微笑んだ。


「戻って来るのは真夜中だと思う。なるべく静かに部屋に入るけれど、起こしちゃったらごめんな」


「え、ええ……気をつけて戻って来て下さい」


 事態を読み切れずに困惑しながらひびきが答えると、イグニスはふわりと表情を和らげる。そして「行ってきます」と手を振りながら、外へ出て行った。


 玄関の扉がガチャリと閉じた音がした後、食堂の入り口からセロが顔を出した。


「あれ? イグニスさん行っちゃったの? 晩ご飯できちゃったんだけど……」


「ごめんねー、ちょっと急用が出来たの。イグニスの分、良かったら夜食にとっておいてくれる?」


 流石にミラルもイグニスを気遣っているようだ……と思っていたら、


「やっぱりお酒飲むなら、おつまみは必要だものね。セロの料理って美味しいから、どんなお酒でも合いそうな気がするわー」


 状況を知らないセロは、快く「分かったよ」と返事をすると、食堂へと戻って行った。


 ……ひょっとしなくても、自分用の夜食なのか。

 いつもこんな扱いを受けていると思うと、ますますイグニスが不憫になってくる。


 酒が飲めると小躍りするミラルを見つめながら、ひびきはセロの後を追って食堂へ向かう。


(せめて自分の食事の半分だけでも、イグニス先輩の夜食に回してもらおう)


 それで誤解されで口説かれる割合が増えたとしても、聞き流せば済む話だ。

 今はとにかく彼を労いたい気持ちでいっぱいだった。

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