三章 手枷の少女
一行がレスターの家に戻ると、すでに辺りは暗く、星々が我先にと光り始めていた。
「お帰りー……って、何で人が増えてるの? 来客があるなら先に言ってよ兄貴。今から追加で夕食一人分を作るの、大変なんだからな」
家へ入って早々、セロが新たな来客を見るなり腕を組んで口をすぼめ、レスターに耳打ちする。
そんな弟のぼやきに、レスターは「ごめん」と申し訳なさそうに笑った。
「僕たちもまさかこうなるとは思わなくて……夕食は僕の分を彼女に回してくれればいいよ。今から調べ物をするから、食べる余裕が無くなるしさ」
「アタシも同じく。みんなで先に食べててよ」
ミラルとレスターは誰の返事も聞かず、そのまま二階へ上がっていく。
彼らの背を目で追いながら、セロが呆れ半分のため息をついた。
「はあ……そう言うとは思ったけどさ、もうちょっと落ち着いてくれよなー二人とも」
ぼやき続けるセロの隣で、イグニスが何度も頷いた。
「夢中になったら周りが見えなくなり過ぎなんだよ。夕食くらい食べる時間あるのに……今までセロが二人の世話をしていたんだろ? 尊敬するぞ俺は」
「この苦労を分かってくれる人がいるのは嬉しいな。まあ、やんちゃな兄貴が一人増えたと思えば、そんなモンだけどね」
互いにうな垂れながら、もう一度ため息を吐き合う。
ひとしきり共感し終わったところで、セロは新たな来客を見た。
「えーっと、そちらのお姉さんは?」
「ミラルとレスター博士が追っていた『傾国の女神』でもあり、豊穣の女神でもあるシアです。……私には未だに信じられませんが」
さっぱり現実味がないひびきの紹介に、セロは目を丸くしてシアを見る。一方、当のシアは首をしきりに動かし、物珍しそうに部屋を眺めていた。
視線に気づいたシアは動きをとめ、セロに向かって手を挙げた。
「世話になるぜ少年。オレのことは、気軽にシアって呼んでくれ」
一瞬シアの口調に目を見張ったが、セロは平然とした顔を作って応えた。
「遠慮なくそう呼ばせてもらうよ、堅苦しいのは嫌だからね。すぐに食事って言いたいところだけど、その髪ジャマにならない? 良かったら切るよ」
「おう、そうしてくれると助かる。レスターが言うには、三百年くらい寝ていたらしいからな。こんなに髪が伸びたのは初めてだ、動きにくくてかなわん」
髪を切ると聞いた瞬間、イグニスが何も言わずに両袖をまくった。
「だったら俺に任せてくれ。美しいものはより美しく、そうじゃないものは適度に美しく。それが俺のモットーだ!」
イグニスが熱く語っている最中に、セロは一度奥へ引っ込み、鋏と櫛を持ち出してイグニスに手渡す。同じ苦労を背負っている者同士のせいか、二人の息はよく合っていた。
「家を汚す訳にはいかないから、外で切らせてもらうぞ。シア、俺について来てくれ」
歩き出したイグニスの後ろを、シアは一歩遅れてついていく。
「ああ、バッサリ切ってくれ。地肌が見えるくらいに切っても構わんぞ」
「それは俺の美学に反する」
男同士のようなやり取りをしながら、イグニスとシアは外へ出て行った。
二人の足音が遠ざかるのを見計らい、ひびきはセロへ頭を下げた。
「ご迷惑ばかりかけて、申し訳ありません」
「気にしなくていいよ。兄貴と二人だけじゃあ『傾国の女神』のことばかりだからさ、他の話ができるだけで嬉しいもの。それにミラルたちが兄貴の調査に行ってくれるから、俺は調査の手伝いをせずに家で休めるし」
おどけて「持ちつ持たれつだよ」とセロは軽く笑ってから声を潜ませる。
「で、本当にあの囚人みたいな人が『傾国の女神』なの?」
「遺跡にあった石棺の中に彼女がいました。わざと隠れていた可能性もありますけど、石棺のカギは隠されていましたし、あんな蛇だらけの森にいる理由が……」
ひびきは口元に手を当て、言葉を詰まらせる。
女神なんて見たことがない。
けれど、あんな物語の世界にしか存在しないような大蛇がいたのだから、女神もいるのかもしれないという淡い期待もある。
ほんの少しだけ浮つきそうな心に蓋をして、ひびきは小さく咳払いをした。
「ミラルとレスター博士の調査が進めば、いずれ真偽は判ります。どちらにしても、女性をあんな森へ置き去りにする訳にはいきませんでしたから」
こちらの意見に、セロは即座に頷いた。
「それは確かに。手枷があったし、何か事情があるんだろうな」
「ええ、おそらく……帰り道に手枷のことを尋ねましたが、本人は『昔のことだから忘れた』の一点張りで、何も聞けませんでした」
シアの手枷だけ見れば痛々しいが、元気な彼女を見る限り、悲愴感は全く感じられない。しかも「装飾品と思えばそんなモンだろ」と気にしていない様子だった。
あの大ざっぱで極太の神経が、人外の証かもしれない。
ひびきがそう思っていると、玄関の扉が勢い任せに開いた。
「あースッキリしたぜ。どうだ似合うか? オレとしては、もっと短くしたかったけどな」
そこには生気に満ちた、凛々しい顔立ちの少女がいた。
金の前髪は目にかからない程度に、後ろは背中で切り揃えられている。髪が短ければ少年にしか見えないだろうが、長くして女性に見せているところがイグニスの意地なのだろう。
シアの後ろから一仕事終え、満足げに笑うイグニスが戻ってきた。
「少しは見られるようになっただろ? ひびきちゃんも髪が伸びたら俺に任せてくれよ」
「いえ……何をされるか分からないので、遠慮します」
本気で嫌がるひびきの横を、シアが素足でぺたぺた足音を立てて通り過ぎようとする。その途中で、ポンと肩を叩いてきた。
「痴話ゲンカはそれぐらいにして、早くメシ食おうぜ」
……このやり取りをどう見れば、痴話ゲンカだと思うのだろうか?
反論したい気持ちでいっぱいだったが、いつになく疲れてそんな気力は無かった。
ひびきは何も言わずに、シアとセロに続いて食堂へ向かおうとする。と、
「ひびき、イグニス!」
二階から名を呼ばれ、ひびきとイグニスは足を止めて見上げる。
階段の手すりから身を乗り出し、ミラルが声を張り上げていた。
「どうしたんだ、ミラル?」
同じようにイグニスが声を出すと、ミラルは一枚の紙をヒラヒラと振った。
「今からメモを渡すから、書いてあることを明日中に終わらせてよ」
「はいはい。こき使われてやるから、早くメモをよこせ」
イグニスに急かされ、ミラルはメモを落とす。何度も紙は翻り、落ちながら軌道をずらし、ひびきの手元へ届いた。
ふとメモを見ると――勢い任せに書き殴った筆記体で、なんと書いてあるのか分からなかった。隙間なく絡み合っている文字が、ひびきには一瞬、昼間に見た蛇だまりの模写に見えた。
「どれどれミラルの奴、何を書いたんだ?」
後ろからイグニスがメモを覗き、文字を見た途端に苦笑した。
「うわっ、最低でも住民二十人に話を聞いて情報集めろってか? しかも、パドの森の遺跡にまた行って、見落とした所を再調査しろって? いくら俺でも、連日あの大蛇の相手をするのはキツいのに……まったく、人使いが荒過ぎだ」
どこをどう見れば、そんな風に読めるのだろうか?
ひびきは大きな瞳を丸くしてイグニスを見上げる。
「イグニス先輩は、これが読めるのですか?」
「ああ。アイツとは付き合いが長いから、今じゃあ書いた本人よりも俺のほうが解読できる」
ひびきからメモを受け取り、「げっ、まだある」とイグニスは心底嫌そうな声を出す。
どう考えても一日で終わらせられるような内容じゃないのに……。少なくとも自分は無理だ。
思わずひびきがイグニスに同情の念を送っていると、ミラルの声が新たに降ってきた。
「ひびきは明日の朝一番から、アタシと一緒にシャパド教の司祭の話を聞きに行くわよ。その後から街で聞き込みねー。あ、ついでに買い出しもしたいから、荷物持ちよろしくね」
「はい、分かりました」
話を聞くだけなら滅多なことはないだろうと、ひびきは密かに胸を撫で下ろす。ただ、イグニスに比べると明らかに負担が軽すぎて、申し訳ない気分になってくる。
しかし、ミラルから物騒な言葉が続いた。
「もし変なヤツが絡んできたら、遠慮なく殴っちゃって構わないから。ってゆーか、殴れ。アタシにネタを提供してちょうだい」
まさか、絡まれるような所へ行くつもりなのだろうか。
不安で両手に冷や汗を滲ませるひびきを余所に、ミラルはレスターの部屋へ行ってしまった。
イグニスが心から同情した声で「お互い頑張ろうな」と、ひびきの肩に手を置く。
ぽむ。
反射的にその手を退かさなければと、ひびきはイグニスの手首を掴み、捻り上げようとした。
だが、捕らえる寸前でイグニスの手首はしゅるりと逃げ、再び肩へ戻ろうとする。
ひびきも手首を翻し、逃げる手首を追いかける。
技をかけるか、防ぐか――これも一種の手合わせだ。
負けてたまるかと応酬を続けていると、食堂の入り口からセロが顔を出して「おーい」と呼びかけた。
「じゃれ合うのはそれくらいにして、早く食事にしようよ。後でいくらでも仲良く遊べるんだしさ」
……体力と時間が許すなら、本格的に手合わせするのに。
不本意な誤解を受けて釈然としないまま、ひびきは食堂へと向かった。




