厄介なヤツ
道の先に開けた場所が現れる。そこだけポッカリと穴が空いたように木々はなく、日が神々しく降り注いでいる。
その下には、苔むした石造りの建物が静かにたたずんでいた。森の木よりも低い建物だが、大きく横に広かっている。
遺跡の周りには茶褐色の巨木が横たわっており、外部からの侵入を頑なに拒んでいた――が、よく見ると巨木には隙間どころか切れ目さえもなく、延々と一繋ぎになっている。
ひびきが目を凝らすと、巨木の表面はごつごつした皮ではなく、一つ一つ均等に並んだ鱗が見えた。
(あれが森の主! なんて大きな蛇)
気づいた瞬間、ひびきの息が詰まる。大蛇だと想像はついていたが、こんな巨大な蛇だとは思わなかった。緊張と恐れで寒気がするのに、額からにじんだ汗が頬を伝う。
しかし目前の人々は緊張どころか、三人三様に笑っていた。
「長さだけなら竜よりも大きいわね。大蛇が守る森の秘密……なんか期待できそうじゃない? ネタとしてもオイシイし」
胸元で手を組んで朗らかな声を出したミラルへ、瞳に輝きを増したレスターが頷く。
「伝承だと三百年前からこの場所にいるらしいよ。女神の奇跡を感じるなあ」
そんな期待に胸を弾ませる二人を余所に、イグニスはひびきに向けて片目を閉じた。
「俺に期待していてよ、ひびきちゃん」
……ああ、作家バカに学者バカに色バカ。
ひびきは目前の三バカを呆れながら見つめた後、もう一度大蛇へ視線を戻す。
胴体ばかりで、大蛇の頭部と尻尾は見当たらない。
どこにあるのかと視線を動かしていくと、遺跡の後ろに広がっている森へ胴体が続いているのが見える。そこから先は影になっており、よく分からない。
さらにひびきが目を細めて大蛇の影を見ようとした時、わずかに影の蠢きをとらえる。
突如、土砂崩れのような轟音が迫った。
(何か来る!)
咄嗟にひびきはミラルとレスターの所へ飛び込み、二人の腕をつかんで道から横へ逸れる。
しかしイグニスは先を見据えたまま、動こうとはしなかった。
「さすが、いい判断だ。二人はひびきちゃんに任せるよ」
すれ違い様にイグニスはひびきへ耳打ちし、三人の盾になるよう迫る音へ立ち臨む。
思わずひびきがイグニスを振り返る。
刹那、長身のイグニスよりも大きな蛇の顔が接近していた。無機質な目はこちらをとらえ、確実に狙っている気配が伺えた。
大蛇が木をなぎ倒しながらイグニスへ突進した。
「イグニス先輩!」
あれは人が敵うものではない。ただ大きいというだけで、その重さが凶悪な武器となる。まともに受けとめれば弾き飛ばされるだけだ。
しかしイグニスは逃げようとしない。
思わず駆け出そうとしたひびきの肩を、ミラルが掴んで止めた。
「大丈夫よ。たかが大きいだけの蛇に負けるようなヤツじゃあ、アタシの担当は務まらない――」
ミラルの言葉が終わらぬ内に、イグニスは高々と跳躍していた。
大きく開かれていた大蛇の口先を、イグニスは上から素の片手で押し、地面へ抑え付ける。いつの間に外したのか、彼の口には手袋が咥えられていた。
低く地を揺する大音が辺りに響く。
大蛇は自由になろうと頭を左右によじって暴れる。隣接していた辺りの木々がなぎ倒されても、イグニスの手は離れない。
その時、一本の木がミラルたちの所へ倒れてきた。
「危ないっ!」
咄嗟にひびきはミラルとレスターを突き飛ばす。しかし、直撃は免れそうだが、倒木の先端が二人に届きそうだった。
(避けきれない。それなら!)
ひびきは間近にあった木を駆け上り、倒木に向け――全力で蹴りを入れた。
硬く重い感触が靴底に伝わる。足に痛みは走ったが、構わずに力を加える。
木は向きを変え、ミラルとレスターを避けて倒れてくれた。地響きに二人はよろめいたが無事だった。
着地したひびきが二人へ駆け寄ると、ミラルは胸元で手を組み、宝物でも見つけたように瞳をきらめかせていた。
「すごいじゃないの、ひびき! 絶対このシーンは使わせてもらうわよ。ネタ提供、ありがとねー」
間に合わなければ、ケガをしていたかもしれないのに……。
一瞬ひびきはあ然となったが、すぐに気を取り直して大蛇と格闘を続けているイグニスへ視線を送る。
行く手を阻む者を跳ね飛ばそうと、大蛇が必死に力を入れてくる。
首から下は激しく暴れ回り、木々を破壊し、大地をえぐり取る。巨大な落石が絶え間なくも落ちているような振動が、足の裏から伝わってきた。
しかしイグニスは微動だにせず、大蛇の頭を地に押し付け続ける。
そして次第に動きは鈍くなり、ついに大蛇は瞳を閉じ、身じろぎ一つしなくなった。
イグニスは手を離し、大蛇の鼻頭を軽く小突く。
まったく反応がないことを確かめると、大きく息をついた。
「よし、これぐらいやれば丸一日は起きないハズだ。……もっと早く片付くと思ったのに、意外と根性あったな」
イグニスは手を払って汚れを落として踵を返すと、ひびきに向かって手を振った。
「ひびきちゃーん。俺の勇姿、しっかり見てくれたー?」
今までと変わらない、浮かれ気味の軽い調子。かすり傷一つない上に、疲れた気配も感じられない。
初めてイグニスに底知れぬものを感じて、ひびきの鼓動が大きく脈打った。
「あの、一つ聞きたいのですが……どうやって大蛇を倒したのですか?」
妙に緊張してしまい、声がかすれてしまう。
イグニスは大蛇の頭を押さえていただけで、一切攻撃はしなかった。それなのに大蛇は意識を失っている……この目で一部始終を見ていたのに、何が起きたのかさっぱり理解できなかった。
手袋をはめてから、イグニスは胸を張って答えた。
「別に特別なことはしていないよ。ただアイツを押さえ続けて、勝手に暴れてバテるのを待っていただけさ。どう? 俺の勇姿に惚れてくれた?」
……最後の台詞さえなければ、心から尊敬できるのに。
いつもの軽いノリを目の当たりにして、ひびきの頭が少し冷える。しかし、それが今見た光景が現実なのだと実感させてくれた。
ひびきはイグニスの目を真っ直ぐに見つめた。
「あんな巨大な蛇を押さえ続けられるなんて、余程の鍛錬を積まれたのですね。私もいつかはイグニス先輩のように強くなりたいです」
心からの賛辞を送ると、なぜかイグニスが後ろめたそうに目を逸らした。
「いや、俺の場合は鍛錬じゃなくて、生まれつきなんだけれど……」
「生まれ持った才能、ということですか。でも、その才能も磨かなければ光りません。こんな人並み外れた力を身につけ、制御する……かなりの努力を要したハズです」
淡々とひびきが力説していると、後ろからミラルの押し殺した笑いが聞こえてきた。
「確かに色々と努力はしてきたし、苦労も多かったわねー。良かったじゃないイグニス、今までのアンタが報われて」
「……そうだな。今の俺で良かったって、初めて思えたかも。ずっと化け物どもの囮になり続けた甲斐があった」
イグニスは前髪を掻き上げながら、息をついて微笑を浮かべる。その顔がひびきには、嬉しそうというよりは、心なしか憂いを帯びているように感じた。
武術の強者の中には、己が持つ凶悪な力を忌む者もいる。もしかすると彼もそうなのかもしれない。
それは裏を返せば、己の力を知り、力を振るう場面を見極められるということ。
もしかしたら、今まで見てきた武芸者の中で一番強い人かもしれない。そう思うと、彼の強さが光り輝いて見えた。
体が落ち着かなくなり、ひびきは思わず右拳を左手の平にぶつける。
「今の私では力及びませんが、もっと鍛錬を積んで是非イグニス先輩と手合わせしたいです。お願いできますか?」
イグニスの目が虚を突かれたように点になる。そして満面の笑みへと変わった。
「そんな先じゃなくてさ、今日からでも相手になるよ。これから仕事中じゃなかったら、遠慮なくかかってきても構わないから」
「い、良いんですか?!」
思わず声が大きくなったひびきへ、イグニスは大きく頷いた。
「もちろん。ひびきちゃんと触れ合えるなら、どんな形でも望むところだ。一緒にいる時間も増えるし、やりながら口説くこともできるし……俺にとって良いことだらけだ」
「では、口説く余裕が無くなるほどに技を繰り出していきます。これからご指導よろしくお願いします」
こんなに強い人と手合わせできるなら、口説かれるなんてどうってことはない。聞き流せば良いだけだ。
ここまで心が高揚するのは久しぶりで、気がつくとひびきの口端が上がっていた。
晴れやかな気分に浸っていると、隣に並んだミラルがひびきの肩を指で叩いた。
「……? 何ですか?」
ひびきが振り向くと、ミラルは上機嫌な笑みを浮かべていた。
「アタシさ、あちこち行ってるから今まで色んな人に会ってきたけどさ……ひびきほどの格闘バカって初めて見たわ。このまま極めていけば、もっと良いキャラになれるわよー」
バカにバカと言われて、ひびきはようやく平静を取り戻した。




