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『十八歳の通訳、明治を歩く―伊藤鶴吉とイザベラ・バードの旅日記』  作者: C・T・ITOU


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第四話 旅の依頼―イザベラ・バードとの出会い



横浜の外国人居留地。


伊藤鶴吉は、一冊の手帳を握りしめていた。


今日は、イザベラ・バードという英国人女性に会うことになっている。


日本を旅したいという彼女が、通訳兼案内人を探しているらしい。


鶴吉は、これまで横浜で外国人と接しながら英語を覚えてきた。簡単な会話ならできるようになったが、長い旅に同行するとなれば、話は違う。


相手の言葉を理解し、自分の考えを伝え、必要なことを取り決めなければならない。


それに、旅の途中で何が起きるか分からない。


「大丈夫だろうか……」


鶴吉は、手帳を開いた。


そこには、覚えた英単語や短い文章が並んでいる。


何度も読み返した。


やがて、面談の場所へ案内された。


部屋には、すでに何人かの候補者がいた。


鶴吉は、少し離れた椅子に腰を下ろした。


自分より年上の者もいる。


外国人との仕事に慣れているように見える者もいた。


「自分で大丈夫なのだろうか」


そう思ったとき、部屋の扉が開いた。


「Good morning.」


女性の声がした。


イザベラ・バードだった。


鶴吉は立ち上がった。


「Good morning, Miss Bird.」


「Good morning. Please sit down.」


「ありがとうございます」


鶴吉は、少し緊張しながら椅子に座った。


バードは、鶴吉の様子を見て、穏やかに微笑んだ。


「あなたが伊藤さんですね」


「Yes. My name is Tsurukichi Ito.」


「鶴吉という名前なのですね」


「Yes. Tsurukichi.」


バードは、その名前を確かめるように繰り返した。


「Tsurukichi.」


自分の名前を英語で呼ばれ、鶴吉は少しうれしくなった。


面談が始まった。


「横浜では、どのような仕事をしていたのですか?」


「外国人の方のお手伝いをしていました。用事を聞いたり、必要な場所へ案内したり、買い物を手伝ったりしました」


鶴吉は、知っている英語を選びながら答えた。


「英語は、どこで学んだのですか?」


「仕事をしながらです。分からない言葉があれば、意味を尋ねました。覚えた言葉は手帳に書いています」


「手帳に?」


「Yes. I write new words in my notebook.」


バードは興味を持ったように、鶴吉の手帳を見た。


「見せてもらえますか?」


「もちろんです」


鶴吉は手帳を差し出した。


そこには、英単語だけでなく、日本語の意味や、実際に使った短い文章も書かれていた。


バードは、ページをめくりながら尋ねた。


「これは、誰かに教えてもらった言葉ですか?」


「そうです。外国人の方に意味を聞いたり、仕事の中で覚えたりしました」


「実際に使ってみるのですか?」


「はい。覚えた言葉を使って、話してみます。通じるとうれしいです」


鶴吉は、少し照れたように笑った。


バードも微笑んだ。


「それは、よい勉強方法ですね」


鶴吉の緊張は、少しずつほぐれていた。


バードは、横浜の暮らしについても尋ねた。


「外国人居留地では、どのような人たちと接していましたか?」


「商人の方もいますし、船に関係する方、仕事で日本に来ている方もいます」


「日本人と外国人では、暮らし方に違いがありますか?」


「あります。でも、同じように困ることもあります」


「困ること?」


「言葉が通じないと、買い物ひとつでも大変です。場所が分からなかったり、必要なものが手に入らなかったりします」


「あなたは、そういうときに手伝っていたのですね」


「はい。相手が何を必要としているのか、よく聞くようにしています」


バードは、鶴吉の顔を見た。


「言葉を訳すだけではないのですね」


「そうですね。言葉だけでは、分からないこともあります」


鶴吉は、少し考えてから続けた。


「相手が何をしたいのか、何に困っているのかを知ることが大切だと思います」


バードは、うなずいた。


「それは、旅でも同じかもしれませんね」


「旅ですか?」


「ええ。私は、日本のいろいろな場所を見てみたいのです」


その言葉を聞いて、鶴吉は身を乗り出した。


「Miss Bird, where would you like to go in Japan?」


「日本では、どこへ行きたいのですか?」


バードは、少し驚いたように鶴吉を見た。


それから、うれしそうに答えた。


「東京だけではありません。地方の町や村にも行ってみたいのです」


「村にも?」


「はい。そこで暮らす人々の生活を見たいのです。家や食べ物、仕事、習慣。それから、自然の風景も見てみたい」


鶴吉は、真剣に聞いていた。


「山や川にも行きたいのですか?」


「もちろんです。日本の自然を自分の目で見たいと思っています」


「どのような道でも大丈夫ですか?」


バードは、少し笑った。


「簡単な旅ではないでしょうね」


「道が悪いところもあります。馬や人力車を使うこともあるでしょう。宿も、どこでも同じではありません」


「それでも行きたいのです」


その答えに、鶴吉は笑顔になった。


「分かりました。でしたら、行きたい場所をよく相談しましょう」


バードは、鶴吉の言葉を聞いていた。


鶴吉は、もう面談を受けているということを忘れかけていた。


目の前の女性が、どんな旅を望んでいるのか。


どこを見たいのか。


何を知りたいのか。


それを聞くことが、楽しくなっていた。


「Miss Bird, may I ask you another question?」


「もちろんです」


「日本の人々と、直接話してみたいですか?」


「ええ。できるだけ多くの人と話したいと思っています」


「それなら、私が手伝えます」


鶴吉は、少し胸を張った。


「言葉を訳すだけでなく、相手の話も聞きます。必要なら、話の意味も説明します」


「それは心強いですね」


バードは、笑顔で答えた。


その様子を、少し離れたところから見ていた医師は、あまりよい顔をしていなかった。


面談のあと、医師はバードに意見を述べた。


「彼は若すぎます。長い旅を任せるには、経験が足りないのではありませんか」


「確かに若いですね」


「ほかにも候補者はいます。もっと経験のある者を選ぶべきでしょう」


バードは、すぐには答えなかった。


「彼は、私の質問によく答えてくれました」


「英語が話せることと、長旅を任せられることは別です」


「それは分かっています」


医師は、さらに続けた。


「旅は、楽しいことばかりではありません。道中で問題が起きたとき、彼に対応できるでしょうか」


バードは、少し考えた。


「それでも、私は彼との会話を楽しみました」


「会話ですか?」


「ええ。彼は、私の質問に答えるだけではありませんでした。私が日本で何を見たいのか、どんな旅を望んでいるのか、自分から尋ねてきたのです」


バードは、鶴吉の手帳を思い出した。


「彼は、言葉を覚えることに熱心です。それに、相手が何を求めているのかを知ろうとしている」


「しかし、経験が……」


「経験は、これから積むこともできます」


バードは、静かに答えた。


「長い旅をするのです。道中、ずっと一緒にいる相手ですから、話をしていて楽しいことも大切だと思います」


医師は、納得できない様子だった。


一方、鶴吉は面談を終え、建物の外へ出ていた。


緊張は、もうほとんど消えていた。


それどころか、バードと話した時間を思い返すと、胸が弾んだ。


彼女は、日本の町や村を見たいと言っていた。


山や川、そこで暮らす人々にも会いたいと言っていた。


横浜で外国人の手伝いをしてきた自分に、できることがあるかもしれない。


鶴吉は、手帳を取り出した。


そして、新しいページに書き込んだ。


「Miss Bird」


その下に、今日聞いた旅の希望を、忘れないように書き留めた。


まだ、採用されるかどうかは分からない。


それでも、鶴吉の心には、ひとつの思いが生まれていた。


この人と一緒に、日本を旅してみたい。


手帳を閉じると、鶴吉は空を見上げた。


横浜から始まった自分の英語が、これからどこへ連れていってくれるのだろう。


その答えは、まだ分からない。


けれど、彼の旅は、もう始まりかけていた。

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