第二章:嵐のあとの解凍
「……オールグリーン。パケットロス解消、正常な通信トラフィックへの復帰を確認しました。障害、完全復旧です」
咲が震える息を吐き出しながらエンターキーを叩くと、モニターの赤いアラートが静かに緑色へと変わった。
時刻は深夜二時。怒涛の対応を終えた執務室には、遠くで響くサーバーの駆動音と、二人分の呼吸音だけが残されていた。
張り詰めていた緊張が一気に切れ、咲は深く椅子に身体を預ける。それと同時に、自分のミスで周囲を巻き込んでしまった罪悪感が、冷たい波のように押し寄せてきた。
「……あの、上北さん」
咲が姿勢を正して頭を下げようとした瞬間、視界の脇から温かい缶コーヒーが差し出された。
「……飲め。少し休め」
振り返ると、周がジャケットを脱ぎ、シャツの袖を少し捲り上げた姿で立っていた。ネクタイも微かに緩められ、普段の完璧な「上北主任」とはどこか違う、無防備な雰囲気が漂っている。
「っ……ありがとうございます。……あの、本日は本当に申し訳ありませんでした。私の確認不足のせいで……」
恐縮しながら缶を受け取ろうとした咲の指先が、コーヒー缶を握る周の指に触れた。咲の指先は、焦りと緊張で氷のように冷たくなっている。周はその冷たさに微かに眉をひそめた。
「謝る必要はないと言ったはずだ。今回の通信障害は、ベンダー側の古いファームウェアの挙動が原因だった。お前が土壇場でログを拾わなければ、朝まで原因すら特定できなかったはずだ」
周は咲の隣のデスクに腰を掛け、静かにコーヒーを口に含んだ。
「よくやったよ、朝倉」
低く、けれどどこか柔らかい声。
普段なら「当然だ」と一蹴しそうな場面でかけられた素直な労いに、咲は目を見開いた。周の横顔を盗み見ると、いつもの冷徹な仮面はどこにもなく、そこには疲労混じりの優しい眼差しがあった。
(……上北さん、こんな顔もするんだ……)
厳しくて怖い存在だと思っていた上司の、思いがけない表情。それだけで、冷え切っていた咲の胸の奥がじんわりと熱くなる。
「……怖かったです」
ぽつりと、咲の口から本音が零れ落ちた。
「上北さんに失望されたらどうしようって……自分のせいで現場が止まるのが、すごく怖くて……」
一気に押し寄せた安堵感と情けない気持ちで、咲の大きな瞳に涙が溜まっていく。
それを見た周は、小さく息を吐くと、腰掛けていたデスクから立ち上がり、咲の目の前へと一歩踏み出した。
二人分の距離が、すっと縮まる。
周はゆっくりと手を伸ばすと、咲の頬に触れるか触れないかの距離で一瞬止め、躊躇うようにしてその肩へそっと手を置いた。大きな手のひらから、じわじわと温かい熱が伝わってくる。
「……俺がお前に失望するわけないだろ」
その声は、いつも咲が指導されている時の声よりもずっと低く、甘く、熱を帯びていた。肩に置かれた周の手に少しだけ力がこもり、咲の胸が高鳴り始める。




