三千世界同時債務不履行
弥勒が市場を歩いていると、屋根の下に集まった人々が、それぞれの端末を見ていた。
荷を送るために集まったのではない。
共有画面には、照会結果と支払いの知らせが次々に映っている。
案内役の女も、共有画面のそばにいた。
「何をしているのですか」
弥勒が尋ねると、女は顔を上げた。
「約束の内容を、少し確かめています」
「何かあったのですか」
「閻魔庁の新しい仕組みが使われ始めました。照会が早くなったので、皆、自分の記録を見直しているのです」
女の声は、落ち着いていた。
共有画面の前で、荷札を持った男が、自分の照会結果を見ていた。
「同じ因果として重なっていた記録が、一つにまとめられました。評価も再計算されています」
照会を手伝っていた者が答えた。
「担保評価が下がったんですね」
「はい。追加担保が必要です。今日中に入れれば、契約は維持できます」
男はすぐにうなずいた。
「分かりました。倉の品を一部、先に売ります」
弥勒は、女を見た。
「記録を見直したから、品を売るのですか」
「その方が結んでいる約束では、そうなります」
女は答えた。
「約束を守るために、足りない分を出すのです」
男は、怒っていなかった。
結果を確定すると、荷を運ぶ者へ通知を送った。
「急ぎで頼みます」
*
昼を過ぎるころには、同じような通知を確かめる人が増えていた。
荷を売りたい者が増えると、買う者は値を少し下げた。
値が下がると、別の契約にも、担保が足りないという通知が届いた。
「こちらも、もう一度照会していただけますか」
「結果が届き次第、ご相談を受けます」
女と、照会を手伝う者たちは、休まずに届く結果を確かめていた。
新しい仕組みは、どの問いにもすぐ答えた。
前なら、古い記録を探して、照らし合わせる時間があった。
いまは、尋ねればすぐに分かる。
「早く分かるのは、よいことではないのですか」
弥勒が言うと、女は少し困ったように笑った。
「はい。皆が早く確かめられます」
「では、なぜ相談する方が増えるのですか」
女は、共有画面の前に集まる人々を見た。
「分かった方から、約束を守るために動くからでしょう」
その言葉どおりだった。
記録を確かめた者は、足りないものを出す。
出せない者は、持っている品を売る。
売る者が増えると、品の値が下がる。
下がった値の通知を受けて、また別の者が契約を確かめる。
誰も、間違ったことをしているようには見えなかった。
*
夕方になるころには、別の世から来る荷の到着も遅れ始めた。
道が悪くなったわけではない。
向こうでも、同じように通知と契約を確かめる人が増えたのだという。
「別の世で、何か天災でもあったのですか」
弥勒は尋ねた。
荷を待っていた者は、首を振った。
「いいえ。凶作も、災害もありません。工房も動いています」
「では、なぜ」
「こちらで品の値が下がりました。向こうで約束をしている方にも、足りないものが出たそうです」
女が、急いで端末の通知を確かめながら言った。
「困ったときには、互いに支える約束があります」
「前に聞いた、助け合う約束ですね」
「はい」
女はうなずいた。
「こちらで足りないものが出ると、向こうへ支援を頼みます。向こうも自分たちの余力を確かめます。足りなければ、さらに別の世へ知らせます」
それは、助けるための約束だった。
一つの世だけでは支えられないとき、ほかの世と力を合わせるための約束だった。
けれど今は、その知らせが、さらに別の照会通知を出していた。
*
夜になっても、市場の灯りは消えなかった。
端末の結果を見ている者。
品を運ぶ者。
遠い世へ知らせを送る者。
皆が、誰かとの約束を守ろうとしていた。
女のところへ、一人の男が走ってきた。
「保証先から追加担保の請求が来ました。こちらも資産を出さなければなりません」
「期限を過ぎた契約が出始めています。債務不履行です」
男は言った。
「こちらだけではありません。三千世界の各地で、債務不履行が同時に発生しています」
「分かりました。順に確かめます」
女は答えた。
「新しい仕組みなら、すぐに分かります」
弥勒は、その言葉を聞いた。
新しい仕組みは、何も止めていない。
記録を探し、重なりをまとめ、尋ねられたことに答えている。
正しく、早く。
だから、皆も早く動ける。
「誰が、このようにしたのですか」
弥勒は尋ねた。
女は、答えに詰まった。
「誰かが、というわけではありません」
照会を手伝っていた者が言った。
「皆、約束を守ろうとしているだけです」
市場には、助けようとしている人々しかいなかった。
それでも、相談を求める人は増え、品の値は下がり、遠い世からの知らせは増えていく。
弥勒は、屋根の下に集まる人々を見た。
誰も、誰かを苦しめようとはしていなかった。
それでも、苦は増えていた。




