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第一ノ参話「裏のものは、表のように動かない:蠢き草」

 篠田さんに茶を一杯ご馳走になって、二時前に篠田家を辞した。

 

 下野線で東都に戻る電車の中で、南が、ノートを見返していた。窓の外を、田畑が後ろに流れていく。

「三輪さん」

「どした」

「漂流物に魅惑性がある、っていう話、本当ですか」

「篠田さんが言ってた話?」

「ええ。漂流物が手元に置いておきたくなる、っていう」

 

「そうだな、学術的に確認されてるかどうかは、知らない。ただ、業界の人間ならよく聞く話だ」

「業界、というのは」

「漂流物を扱う人間ね。研究者とか、骨董市の業者とか、コレクターとか」

「持っている人が口を揃えて言う、と」

「そんなところだ。今日のあとに会う研究者にも、聞いてみるといい」

 南はうなずいて、何かを考えるような顔をした。

 

 武蔵帝大の最寄り駅で降りて、構内まで歩く。六月の午後の日差しは強く、木陰のないところを歩くと、首の後ろが焼けた。

 

 武蔵帝大は、東都の第十二地区にある。十二、というのは、十三ある地区の中で、外側から2番目ということだ。中心の第零地区から渦巻きの外側に向かって数字が大きくなる東都の構造で言えば、武蔵帝大はかなり外れたところにある、ということになる。それでも戦前から続く帝国大学の1つで、広いキャンパスを持つにはこのくらいの場所が都合がよかったのだろう。古い煉瓦造りの本館、新しいガラス張りの校舎。領域学部は、本館から少し奥に入った、新しいほうの校舎の三階にあった。

 

 校舎の入り口で待っていた女性が、俺たちを見て、軽く手を上げた。

 

「『余白』の方ですか」

「三輪です。本日はありがとうございます。同行の南です」

「小野です。まずは、三階まで上がってください」

 

 小野彩さんは、メールでやり取りした文面から想像していたより、ずっと若く見えた。

 同世代だろうか。Tシャツの上に薄手のシャツを羽織って、その上に白衣を引っ掛けていた。

 白衣の前ボタンは留めていない。ジーンズを履いている。研究者というより、研究室の白衣を持って出てきたサークルの先輩のような格好だった。話し方も、敬語ではあったが、どこか砕けていた。

 

 階段で三階に上がる途中、小野さんが振り返って言った。

「メール、いただいたとき、ちょっと意外でした。『余白』さんって、もっとオカルト寄りの雑誌だと思ってたんで」

「裏情報のコーナーは、もう少し真面目にやってるつもりです」

「そう、それで意外だったんですよ。最近の号、読みました。太郎草の記事」

「ありがとうございます」

「ああいう書き方、好きですよ。植物として観察してる感じで」

 

 三階の廊下を歩きながら、小野さんは、いくつかのドアを通り過ぎた。1つのドアの前で立ち止まって、開けた。

「散らかってますけど、どうぞ」

 

 研究室は、想像していたより狭かった。三人がけのテーブルが1つ、その周りに四人分の椅子。壁一面が書棚で、論文のファイルと書籍が、隙間なく詰まっていた。窓際には観葉植物が二鉢、それから、隅のほうに、ガラス瓶がいくつか並んでいた。

 

 俺は、ガラス瓶のほうに、自然と目が行った。

 ホルマリン漬けの植物が、入っていた。

 

「それらは、裏由来です」

 小野さんが、俺の視線に気づいて言った。

 

「ホルマリンで保存してるんですけど、本当はあまり良くないんですよね。漂流物の保存方法って、まだ標準化されてないんで。研究室ごとにバラバラです」

 

「触っても」

 

「あ、瓶ごとなら大丈夫です。蓋は開けないでもらえると」

 

 俺は瓶の1つに近づいて、手に取った。中の植物は、葉が紫色で、形は普通の単子葉植物のようだった。けれど、葉の根元のあたりが、不自然に膨らんでいた。

「これは、どこで採れたものですか」

「去年の春、東都の第九地区の郊外で。領域が一時的に発生して、その境界線あたりに生えていたものを、研究室で採集しました」

 

「領域の境界線、というのは」

「領域が発生してる場所と、表の世界の境目です。完全に裏の中に入ったわけじゃない、ぎりぎりのところ」

 

 小野さんは、隅のテーブルの上に置いてあった、別の鉢を持ってきた。中に、小さな植物が1つ、植わっていた。

「これは、生きてる漂流物なんです。今の私のメインの研究対象です」

「鉢植えで、ですか」

 

「ええ。意外と、普通の土で育つんですよ、漂流物の植物って。土壌は表のものでも問題ない場合が多くて。これは、二年前に採集して、今のところ大きさはほとんど変わっていません」

 俺は鉢の中の植物を見た。背丈は五センチほど、葉は緑色だった。一見すると、普通の小さな草だった。

 

 ただ、よく見ると、葉が——動いていた。

 

 ゆっくりと、ほんのわずかに、葉が呼吸するように上下していた。風はなかった。

 

「これ、動いてますね」

「動きます。明確な動物的特徴ですよね。これが植物なのか、植物的な何かなのか、まだ決まっていません」

 

「名前は」

「ウゴメキソウって、私が呼んでます。漢字で書くと、季節の春に、虫を3つの蠢くに草。学名は仮でSpirosilva animalisってつけてます。『動物的な息する樹』って意味で、苦肉の策ですけど」

 

「Spirosilvaですか」

「いちおう、青葉と同じ系統の仮の属名なんですよ、これ。CryosilvaとSpirosilva。動かないけど時間が遅い樹と、動くけど時間は普通の樹。並べると、なんとなく裏の樹って、こういうのが多いんじゃないかって、最近、研究室で話してて」

 

 俺はノートに、「ウゴメキソウ/Spirosilva animalis、青葉=Cryosilvaと同じ仮属、裏の樹の分類」と書いた。

 目の前で、ウゴメキソウは、ゆっくりと葉を上下させていた。蠢く、というほど活発な動きではなかった。けれど、たしかに、動いていた。

 

 南が、覗き込んで、声を出さずに目を見開いた。

「小野さん、不躾な質問ですが」

「どうぞ」

 

「ありがうございます。漂流物の植物って、学問的に、どこまでわかってるんですか」

 

 小野さんは、椅子に座って、足を組んだ。白衣の裾が、椅子の脚にかかった。

 

「ほとんど、何もわかってません」

 あっさりと、そう言った。

 

「分類学的には、まだスタート地点です。記載論文すら、十分にない。生態もよくわからない。繁殖方法もわかっていないものが多い。なぜなら、裏でどう育っているのかが、誰にも観察できないからです」

 

「観察できない、というのは」

「裏に長時間いると、戻ってこられなくなるかもしれないので。研究のために裏に入る、というのは、現状、ほぼ不可能です。倫理的にも、現実的にも」


「ですが、フォッサマグナ研究の人たちは、入ってるんですよね」

「ああ、あれは別格ですね。あそこは恒常的に裏に近い状態だから、入っても戻ってこれる確率が高い。でも、それでも何人か行ったまま、なんですよね、毎年」


「だから、表に出てきたものを観察するしかない」

「そう。漂流物として表に出てきたものを、捕まえて、育てて、観察する。それしかできません」

 

 小野さんは、自分のノートパソコンの隣に置いてあったマグカップを取り上げて、中身を一口飲んだ。中が空だったのか、少し顔をしかめた。

 

「メモ取ってくれるの、ありがたいです」

 小野さんが、南の手元のノートを見て言った。

 

「学会発表より、雑誌記事のほうが、世間に届くので」

「ありがとうございます」

「逆に、聞いていいですか。三輪さん、今日は他にも取材されるんですか」

「午前中、漂流植物を育てている個人の方を訪ねてきました」

「個人で?」

「ええ」

「どんなのでした」

 

 俺は、青葉について、簡単に説明した。葉が青いこと、触ると冷たいこと、鉢の周辺が涼しいこと、新芽が五年経っても開かないこと、白い筋が葉の年齢の唯一の手がかりであること、七年前から枯れることがなく、譲り受ける前からも枯れていないこと。

 小野さんは、途中から、足を組み直して、テーブルに肘をついて聞いていた。聞き終わると、しばらく黙っていた。

 

「写真、ありますか」

「ええ」

 

 俺はスマホを取り出して、篠田さんの家で撮った青葉の写真を見せた。

 小野さんは、それを長いあいだ見ていた。それから、顔を上げて、俺を見た。

 

「これ、私、見たことあるかもしれない」

「えっ」

「いや、見たことある、というのは違うな。同じ種かどうかは、わからない。けど、似た特徴のものを、論文で読んだことがあります。たしか、東北のほうで採集された個体で、葉が時間的に異常な振る舞いをするやつ。記載論文が1つだけ出ています。ええと——」

 

 小野さんは立ち上がって、書棚に向かった。何冊かの論文ファイルを引き抜いて、めくりはじめた。

 

「これだ。読みます?」

 俺が答える前に、小野さんはそのファイルを俺の前に置いた。古いコピーの論文だった。タイトルは「東北地方A村における漂流植物の一個体について——時間軸異常を伴う事例報告」。

 

「青葉、というのは、その方が勝手につけた名前ですよね」

「ええ」

「この論文の個体には、学名がついてます。仮の学名ですけど。Cryosilva tempora-anomala(クリオシルヴァ・テンポラ・アノマラ)。たぶん、同じ種です。葉脈が氷の結晶状、ということと、新芽の成長が極端に遅いという特徴が、一致してます」

「篠田さんに教えてあげたら、喜びますね」

「はい、たぶん」

 

 小野さんは、少し笑った。

「学名で呼ばれるより、青葉、っていう名前のほうが、その植物には合ってると思いますよ」

 

 俺は、ノートに、その言葉を書き留めた。

 研究室の隅で、観察用の植物が、葉をゆっくりと、上下させていた。


 

 「あ、そうだ」

 小野さんが、思い出したように言った。

 

「三輪さん、今日のあとも、取材ありますか」

「明日、佐賀美の古宮町のほうで、昆虫の大量発生が——」

「ああ、あれですか。聞いてます。うちの研究室の先輩、今そこに行ってます」

 

「先輩というのは」

「裏由来の昆虫系が専門の人で。私の指導教官の、もう一人の弟子。電話してみましょうか、もし話せそうなら」

 

 俺はうなずいた。

 小野さんがスマホを取り出して、どこかに電話をかけた。少しの間、相手の声を聞いていた。

 それから、「あ、横山さん、お疲れ様です。今私のとこに『余白』の取材の方が来てまして」と話しはじめた。

 

 しばらくのあいだ、小野さんは「ええ」「はい」「明日?」「あ、そうなんですか」と、相槌だけ打っていた。それから、スマホを耳から離して、俺のほうを見た。

 

「三輪さん、明日だと、蛾いないらしいです」

「いない、というのは」

「夜にしか出てこないんだそうです。昼間は、どこにいるのか、よくわからないって」

 

 俺は、南と顔を見合わせた。

 

「今夜、行けますか?」

 小野さんはスマホを耳に戻して、「あ、三輪さん、今日の夜行けるって。何時ごろがいいですか」と、また話しはじめた。

 

 俺は、ノートを開いて、「蛾、夜行性、昼間の所在不明」と書きつけた。

 

 南が、隣で、何か言いたそうな顔をしていた。

「大丈夫か」

「あ、はい。大丈夫です」

「無理なら、君は帰っていい。俺ひとりで行くから」

「いえ、行きます。これも研修なので」

 南は、まじめな顔でそう言った。

 

 小野さんが、電話を切って、こちらを向いた。

 

「九時ごろ、現地で。先輩、横山さんっていうんですけど、現場まで案内してくれるそうです。古宮町の、神社の近くだそうです」

「ありがとうございます」

「あ、それと、虫眼鏡とか懐中電灯、持っていってください。現場、街灯はあるけど、暗いので」

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