人質
大河内城の向かい、桂瀬山の陣所にて、総大将信長の機嫌は芳しくなかった。
勇将滝川一益に大軍を任せ一気に攻め上げるという勝負に出るも、大河内城の麓の谷は魔境であった。大木と大竹が生え、兵を進めようにも見通しが悪い。おまけにまたしても霧かすみに悩まされる。えい、かまわぬと突撃するもどこからともなく矢と鉄砲玉に射抜かれる。生きて帰ってこれず、屍はその深い谷に累々と。ならば、見晴らしを好くして敵の隠れ場をなくしてしまえばよいと兵に斧を持たせ切り拡げたが、北畠の兵たちに笑われる始末。的がよく見えるようになったと易々と弓矢鉄砲で織田兵は斃される。
数だけ見たら圧倒的に織田が有利であるはずなのに、このような苦戦を強いられるとは。阿坂城を半日で落としたことで大河内城を楽観視していたのかもしれない。もう幾日経っただろう。鬱々とした気分は日に日に増していく。
そこへ、秀吉が生け捕りにした人質を連れて現れ、場の空気が一気に変わったのだ。
人質は女たちだった。北畠一族の妻、娘。そして上﨟など彼女たちに仕える者。皆、涙はとうに枯れてしまったのか、泣きもせず、不気味に黙っている。
その中にひとり、最も年若いであろう姫君がいた。たしか、国司家には我が息、茶筅と同じ年頃の娘がいたはず……信長がそんなことを思いつつ眺めているのを知ってか知らずか、北畠のその姫君はきっと睨み返したのだ。
「いかがでしょう。北畠と和睦の話を進めては?」
秀吉が得意満面で提案をした。この場にいる誰もがそうはっきりとは口にしなかったが、彼女らを餌にこちらの有利に事を成そうという腹づもりであることは理解していた。
──卑怯くせぇ。
そう思ったのは一人や二人ではない。ほとんど全員がこの策は全く面白い勝ち方ではない、むしろ憤りさえ感じるものだった。
──末代までの恥だ。
しかし、現実問題、彼女らは織田の手駒になり得る。上手く使えば勝てる。確実に。勝利の誘惑と戦人としての矜持の間で信長麾下の武将たちは揺れていた。
その葛藤をいともあっさりと超えてしまった男がいた。総大将、信長である。
「藤吉郎、大儀であった」
秀吉は深く頭を下げた姿勢のまま喜びを抑えるのに努めていた。これで、滝川よりも──。
「そなたは国司殿の姫君か。うちの茶筅と似合いの年頃ではないか」
信長は先程目をつけた年若い姫君に快活な声で話しかける。怖がらせる意図はなかったが、姫君の瞳は一瞬小動物のように円くなり震えた。が、すぐに唇をきっと結び、目つきを鋭くし姿勢をただし、信長に対峙した。




