生け捕り
※残酷な表現があります。
空が明るい。
朝が来たからではない。
多気谷が燃えているからだ。臭気と熱気が鼻と肌にまとわりつく。反吐が出そうだった。
この谷は戦場となった。煙に紛れて女たちの泣き叫ぶ声が聞こえる。
多気丸は燃え上がる御殿を目指して走っていた。御殿に火をつけたのは敵か、それとも味方の自焼か。御殿には雪姫がいたはずだ。今はいずこか。
——守らなければならない。北畠の姫を。
そのためには今の自分はどうするべきかわからなかった。ただ、ひたすら御殿に向かう。雪姫は近辺にいるかもしれない。駆けつけて、守りたてまつる——。
◇
御殿を抜け出した女たち数十人は護衛の武者に連れられて、霧山城を目指していた。辻ヶ花の小袖も絹の御髪も煤けた風にあてられて、草鞋が脱げて裸足のままの者もいた。哀れな女たちは敵から逃げている。
敵は北畠の兵を次々と斃し、掠奪、放火、そして女を蹂躙し、栄華を誇った多気谷を地獄へと塗り替えながら、北畠の〝姫君〟を求めて迫っていた。
——生け捕りにせよ。
秀吉からの命である。
北畠の姫君方はどこにいるか。
米や酒、舶来ものの陶器に織物、貴重な書物、柔い肌の女、この谷には垂涎ものの褒美が転がっている。欲望を抑えきれない雑兵はすぐにとびついたが、秀吉からの命を忘れていなかった者たちはそれらに目もくれず、一心に〝姫君〟を追いかけたのだ。
やがて、艶やかな女の衣装を彼らの眼はとらえた。闇深い竹藪の中へと潜もうと入り込むのを見逃さなかったのだ。
女だ。そこらの下賤の女どもとは格段に違う、高貴な女たちだ。
「いたぞ! 捕らえろ!」
兵たちは竹藪へと進んだ。暗い竹藪の中に松明の朱色の灯りがいくつも浮かぶ。断末魔のような女の叫び声が聞こえたかと思うと、灯りが次々と竹藪の外へ戻ってきた。彼らは左手には松明を、右手には長い一束になった黒髪を掴み、女たちを幾人か引きずり出していた。ある女は喚きながら逃れようと身体をよじり、またある女は這いつくばり地面に爪をむなしく立てていた。皆、着るものは乱れ、胸元ははだけている。追いかけてきた護衛の武者数人は多勢の敵兵にかなわずに、血飛沫をあげて斃れた。
「姫君は? 姫君を出せ!」
一際上等な着物の女がいた。表情は歪んでいるが、高貴な血筋だとわかる整った目鼻立ちだ。女は髪を引っ張られながらも、白い両の手で庇うように腹を押さえている。
「北畠殿の御息女か?」
目当ての姫君を見つけた。他にもいるはずだ。北畠具教の姫は一人ではない。
「乱暴はやめなさい! 北畠の姫は私です!」
場の空気を突き刺すような鋭い声と共に、箱を抱えた若い娘が竹藪の中から現れた。
松明の灯りをかざして見れば、箱には北畠の紋、笹竜胆が刻印されていた。
背後の竹藪から、続々と女たちが出てきた。彼女たちの白い顔は妖しく浮かび、憤怒の表情であった。
——姫に触れた奴は殺す。
手には短刀や薙刀を持ち、光る刃を秀吉の兵たちに向けている。
「お前らに用はない!欲しいのは姫君だ!」
戦慣れした男たちが非力な女に怯むはずもなく、いとも簡単に武器を奪われる。中にはあっさりと斬られた女もいた。
地に足でおさえつけられた女たちの呻き声が響く。
箱を抱えた北畠の姫君は、動じずに敵兵たちを睨む。凛とした姿勢。村上源氏の血を受け継ぐ、高貴な女人の戦場での堂々とした態度に兵たちは内心賛辞を送った。
「ご無礼仕った。我が主、木下藤吉郎の命で北畠の女人をお迎えに参った次第。どうか我らと共に主の陣所にお越し頂きたく」
足軽の大将格らしき男が片膝をつき、頭を下げた。
「わかりました。その前に、そちらの女人を離してください。腹に御子がおりまする」
姫君が指さす方には、先ほど捕らえた高貴な女——もうひとりの姫君と思われる女が後ろ手に縛られ、血の気を失った顔でいた。
「こちらは貴女様の姉君で? 姉君の大事なお体に少々手荒な真似をしたこと、おゆるしください」
男が目配せすると、部下が縄を解く。
解放された姉君は深く息を吐くと、腹をなでつつ、ふらふらと妹姫のところまで歩みよった。
二人は顔を見合わせる。
「御足労ではございますが、お二人には我々の陣所まで——」
「お逃げください!」
大将が言い終える前に、箱を持った妹姫が叫び、姉君は向きを変えると地面を蹴って竹藪に向かって走り逃げた。
兵たちは慌てて追いかける。
妹姫の方は大将に押し倒され、持っていた箱は地面に叩きつけられる。中に入っていた化粧道具が散らばった。
(さては、北畠の姫を騙ったか!)
大将は馬乗りになったまま鞘から刀を抜いた。
この娘は姫君ではなかった。
姫君のふりをして、〝本物〟を逃がそうとしたのだ。
〝本物〟の一人は今さっき竹藪へと逃げ戻った。
まだ、いる。〝本物〟はまだ竹藪の中に多くいるはずだ。
それは戦利品。彼女たちを連れ帰ったら秀吉は喜ぶのだ。
騙した眼下にいる娘に腹が立つ。こいつのせいで戦利品をひとつ逃したのだ。さっさと殺して竹藪を捜索しに行こう。
彼は刃を娘の喉に押し当てる。これを引いたらこの若い娘の命はたやすく潰える。
一気に娘の喉を引き裂こうと親指に力を入れた瞬間、己の喉に急激な違和感が走り息ができなくなった。
彼の喉には矢が刺さり、娘に覆いかぶさるように斃れた。
下にいた娘は、血の臭いと男の体の重みに耐えなければならなかった。幸いなことに、男が刃を引く前に矢は射られ、娘の命は助かったのだ。
娘は男をおしのけようとしたが、力が上手く入らない。胸部が圧迫される。
矢が飛んできた方に頭を動かす。頭蓋に砂利の音が響いた。
砂ぼこりで涙がにじむ。視界に弓を持った少年らしき小さい姿がぼやけて映り込む。
離れたところからでも、華奢な体つきだとわかる。
少年はこちらに向けて矢を番え、射った。
次の瞬間、娘はさらなる重みを受け止め気を失った。
少年の矢に中った兵が、娘と大将の上に折り重なるように斃れたのであった。
気を失う間際、娘はほんの少しの安堵を覚えた。
年少の者であろうと、北畠のために闘う男がいたのだから。
(姫様を守ってください——)
少年は、弓の名手大宮大之丞の息子、多気丸である。
◇
多気丸は次々と矢を射った。一本射るごとに敵勢へと近づいていく。
三人仕留めて、二人は仕損じた。
矢が無くなると、弓を捨てて腰の刀を抜身にして突撃した。
目指すは——雪姫。
敵の屍の下に埋もれている娘がいる。おそらく、雪姫だ。竹藪から出てくる様子を多気丸は見ていた。彼女は自分を北畠の姫と言った。
多気丸が斃した兵の股座から艶やかな女物の裾がのぞいている。
二人も覆いかぶさってやがる。なんとか引っ張り出して安全な場所にお連れしなければ。
だが、激しい剣撃を次々と繰り出された。味方をこんな小童に射られたのだ。剥き出しの敵意に襲われる。
大の男たちに勝てるわけもなく、刀を奪われた多気丸は蹴飛ばされ、頭を踏みつけられた。衝撃が骨の髄まで走る。
(雪姫様……)
娘は敵兵の屍体の下に埋もれたままだった。気絶しているのか、死んでいるのかわからない顔をこちらに向けていた。
(初めて見る、雪姫様の顔——)
綺麗だ、と思った。
(俺は、ここで死ぬのか)
雪姫を守るという祖父との約束は——。
◇
「おお! お前たち! よくやった! これだけ人質がいたら上等じゃ!」
明るい男の声が聞こえ、周囲の空気が一瞬で湧き立つのがわかった。
声の主は続ける。
「奥方も大事な人質じゃ。丁重にあつかえ。姫君は全部で何人じゃ?……そこにもう一人おるではないか?」
多気丸の頭を足で押さえていた兵が、慌てたように屍体をどけて、下にいた娘を抱き起こした。
多気丸は動けないままだった。身体の節々が強烈に痛み、倒れたまま薄目で見ているしかなかった。
「これは化粧箱か?……ほぅ、割菱。この女子も北畠の姫か」
落ちていた化粧箱の蓋を拾い上げた男を目だけを動かして見上げた。
猿に似た顔。陣羽織。兜の後ろ立は馬藺。瓢箪の馬印。
木下藤吉郎——。
とたんに、多気丸の全身の血が逆流した。
「うわああ!」
言葉にならない声を発し起き上がると、秀吉に体をぶつけに行った。
が、秀吉はひらりとかわす。
「なんだ、このガキは」
秀吉の近習が多気丸に蹴りを入れた。再び地面に叩きつけられ、臓腑があつくなる。闘志はみなぎっているのに、起き上がれない。
「人質をお連れして、儂等は今からお屋形様の陣所に行く。お前たちは此処に残っておれ」
秀吉の言葉に従って、兵は気を失ったままの娘を担ぎ上げた。
女のすすり泣く声が聞こえる。
一人ではない。
多気丸が奮戦している間に竹藪の中から見つけ出され、引きずり出された数十人の女たちが泣いていた。
彼女たちは秀吉が手に入れた大事な人質だ。
北畠具教の妻、側女、娘たち、お付きの女房衆。
皆、捕まってしまった。
彼女たちは信長のところへと連れられて行く。
炎に包まれた多気谷をあとにして。
この時のことを、『朝倉記』はこう記している。
「信長彼城へ取掛昼夜繁ク責ル所ニ、内ヨリ鉄炮頻射出ト云ヘトモ荒手ヲ入替々々戦フ、其間ニ藤吉郎ヲ大将トシテ三千余騎国司ノ居館タケヘ遣シ、悉ク放火シケリ、上﨟達女房御曹司、カチハタシニテ逃走リ行ヲ悉指殺シ、衣装ヲ剥取ル、哀ト申モ余アリ」




