6.電車にて
夏の日差しが駅の上りホームを照りつけている。
人があふれた反対側の下りホームとは対照的に、私が立っている上りホームは人もまばらだ。会社へ行く人の姿はなぜか見えないようだった。
別世界のようで、向かい側のホームをしみじみと見つめる。きっちりと並んだ無表情な人々の集団は、なんだか作り物めいてみえた。たくさんの暗い色の服を着た男たちに囲まれているからだろうか、向こうのホームの駅員の顔も何だか憂鬱そうだ。男も女も誰も彼も、うなだれたように下を向いたまま電車に乗り込んでいく。
可愛らしい子どものはしゃぎ声が聞こえる。横を見れば、旅行にでも行くのだろうか、おもちゃを抱えた小さな男の子がパンパンに膨らんだリュックサックを背負って飛び跳ねていた。祖母なのだろうか、品の良い老婦人が男の子をにこにこと見つめている。夏休みらしい光景に、心が和む。周りを見てみれば、やはりみなにこやかな笑顔で日焼けした男の子を見つめていた。
電車が滑り込んできた。
輝く夏の太陽を一身に浴びて、まるで夏の光そのもののように白く輝く車体。その眩しいほどの強さに、少しだけ目がくらむ。
ホームの駅員が、こちらを振り返るとにっこりと微笑んだ。それは見ているこちらがなぜか嬉しくなるような、晴れやかな微笑みだった。一瞬見えたその笑顔は、どこか見覚えのあるものだったが、それが誰であったか私には思い出せない。
ありがたいことに、そこまで混んでいない車内はゆっくりと座ることができた。いつもはギスギスしている電車の中も、みな良いことがあったのだろうか、みな一様に穏やかな表情をしている。
私の隣に陣取った子どもは、お行儀よく靴を脱ぎ、座席に立膝をついて窓の外を眺めていた。男の子を優しく見つめる老婦人は、私に気付くとまるで昔からの知り合いのように、気さくに挨拶をしてくれる。彼女に会釈を返しながら、にこにこと柔らかく笑う血色のよい子どもの様子に惹かれて、私もふと窓の外を見やった。
紙飛行機だろうか、白地に赤の何かが書かれたものが、風にあおられながら、電車の向こうを飛んでいる。あたかも電車と並走するように。まるで電車に乗る誰かに追いつこうと言わんばかりに。なぜか目が離せない私に向かって、ぐんぐんとそれは近づいてくる。
ツンツンと、私の服を誰かが軽く引っ張った。
にっこりと子どもが笑い、ふくふくとした小さな手で、私の手を握ってきた。そっとてのひらをのぞいてみれば、小さな飴が1つ入っている。子どもの後ろの老婦人を見やると、彼女もまた小声で、良かったらどうぞと私に勧めてくれた。
私は小さく礼を言い、さっそく口の中で飴を味わう。知らない人から物をもらうのは怖い時代だけれど、子どもの笑顔と老婦人の微笑みは、なぜか私に素直に飴を食べたいと思わせてくれた。温かなてのひらの中で握りしめていたのだろうか、少しだけ包装紙が剥きにくい。溶けかけてべたついた飴がひどく愛おしい。
ほんの少しのレモンの酸味と、かすかに甘い蜂蜜味が口いっぱいに広がった。
幸せの味がすると、ふと思う。珍しく詩的な表現をする自分がおかしくて、くすりと笑った。
この電車に憂いはない。このまま穏やかな時間が続くのだと、なぜか私は確信していた。電車は進む、やわらかな光に向かって。
もう一度窓の向こうを確かめてみれば、強い風が一陣吹いたのだろう、紙飛行機もどきがくるくると後ろに追いやられ、やがて不意に見えなくなった。