22. 意志の力
予定では、いや想像では、芳林公園で肩をならべて彼女と話をするはずだった。どこかのレストランで一緒に食事をしたり、ぶらぶら歩いて散歩したり、彼女の部屋で映画を観たり、別れ際に連絡先を交換したり、するはずだった。
そう、たしかに公園にいる。ぼくたちは寒空のした、風致の乏しい栄町サン緑地にいる。たちといっても、それはもちろん彼女のことではなく、筋骨隆々のそれのことを指す。ああ、不幸がとまらない。射撃の的みたいに並べられた缶ビールの列を見ていると、目眩がする。今すぐ、早急にこの空間から逃げだして、家に帰ってお風呂に入って、それで・・・
「どした?」
「考えごとか?」
「い、いや・・・」
「そういえばさ、久米は、今なにしてるの?」
「俺か? 俺は学生だよ、大学生」
「学生?」
「おう」
「親のすねかじって気楽なもんだよ」
「あれ、たしか、高校卒業して就職したんだよね?」
「よく覚えてんなあ~」
久米はブロック塀に凭れ掛かり、二本目の缶ビールに手をつけた。
「まあ、ずっと車いじってたんだけと、途中で飽きちゃってさあ」
「っんで、受験したってわけ」
「へえ、そうだったんだ。 ぜんぜん知らなかったよ」
「驚いたろ?」
「うん」
「大学かあ、なにかやりたいことでもあるの?」
久米に目を向けたまま、口元で缶ビールを傾ける。
「俺さ、先生やろうと思ってんだ」
「教師?」
「おう」
「まじで?」
「マジ」
「また、どうして?」
「んん・・・ なんっつうかなあ・・・」
「昔の俺みたいな思いをさせたくないってゆうか・・・」
「俺みたいって・・・ 具体的には?」
久米は、銀色のラベルを見つめている。
若干引いてしまうくらい、真面目な顔つきである。
「学校に行きたくないとか、居場所がないとか、いるじゃん、そ~ゆう奴」
「うん」
「教師になってさ、そいつらを救いたいってゆうか、助けたいってゆうか・・・」
「偉い、偉いよ久米」
「そうかあ?」
「そうだよ」
「人のために何かしたいって考え、すごくいいと思う」
「まあ、いろいろと、これからなんだけどな」
そう言うと、恥ずかしさを隠すように一息にビールを飲み干した。
「滝沢はどうなんだよ?」
「えっ」
「仕事は、みつかりそうか?」
「んん・・・ ぼくも、これからって感じかな」
「そっかあ」
「これっていう目標はないんだけど、やっぱり、人のために何かしたいな」
「滝沢だったら、何だってできるよ」
「優等生だったろ?」
「いや、そんなことは・・・」
「でも、ありがとう」
久米は、黙ってビールを口にする。
心なしか、はにかんで俯いているようにも見えた。
「トイレいってくるわ」
「うん」
久米は、ジャッキー・チェン主演のアクション映画『酔拳2』を思い起こさせるような動作でトイレに駆けこんだ。そのトイレは、三番目の子豚が建てたような、どこにでもあるレンガ造りの公衆便所だった。
なんていうか、思っていたほど悪くない。まったく違う島の住民だと思っていたけれど、普通に話せるし、なにより気を遣う必要がない。なるほど、かつて不良と囁かれていた久米も、少しは大人になったというわけか。
煙草をくゆらせ、久米が出てくるのを待った。十二月の寒さから逃げるように、二階建ての駐輪場からつぎつぎと自転車が飛びだす。ダッフルコートを羽織った青年は、力いっぱいペダルをこいで公園を横切った。ぼくは、二本目の煙草に火をつける。
物語、創れるのかな。自分のために、それを必要としている人のために・・・
「ふう~ すっきりしたあ」
「おかえり」
「滝沢、トイレ大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ」
「あのさ・・・」
「おお、どしたッ?」
「ちょっと、相談があるんだけど・・・」
「言ってみ」
ぼくは、堰を切ったように語りはじめる。誰かに話したいという胸のうちに隠された欲求が、アルコールに誘い出されたような感じがした。いつか観た映画のあらすじを解説するように、ぼくは斎藤茜という人間について話した。
「ふ~ん 可愛いじゃん」
「ってか肌白いな。 ほんとに運動部かあ?」
久米は、ダイヤモンドを鑑定するように、写真に顔を近づける。
「たしかに、少し華奢だよね」
「・・・」
「本人いわく、ラクロス部らしいんだよね」
「ふ~ん」
「まあとにかく、引退試合のあとにデートがしたいわけだ?」
「デートっていうか・・・」
「ちがうのか?」
「デート・・・ んん・・・ デート、そうだね」
「そりゃ、無理なんじゃねえか?」
「ええ、どうして?」
「普通に考えて、打ち上げとかあるだろ」
「たしかに・・・ ふつう・・・ やるもんだよね?」
「やるだろうなあ」
うんうん、と首をたてにふる。
黒っぽいロザリオネックレスが、小刻みに揺れた。
「それに、親とかも応援に来るだろ」
「くるかなあ・・・」
「可愛い娘の引退試合だぜえ? どう考えても来るだろ」
「だよね・・・」
「ああ、なんか急に憂鬱になってきたあ」
「落ち着けって」
「まあなんにしても、問題はどうやって誘うかだな」
「そうだね」
「アドレスもしらねんだろ?」
「うん・・・ きいてない」
「参ったねこりゃ」
「んん・・・」
「観客席から叫ぶってわけにもなあ」
「それはちょっとね・・・」
「まあ、試合会場から出てくるのを待つよ」
「そうだな・・・ それがベストかもなあ」
「頑張ります」
「おお、頑張れよ!」
「うん。 ありがとう」
「・・・」
「・・・」
「今日はサンキュウな」
突然、右手を差しだして久米が言う。
ほんの一瞬、時間がとまった。
「そんな・・・ こちらこそ」
「ほんと、楽しかったよ」
「うん、ぼくも」
「じゃ、行くわ」
「気おつけてね」
「おう、また会おう」
「うん、またね」
久米は、大きく手を振り群衆のなかに吸い込まれていった。もう、彼の姿は見えない。それにしても、がっちりした手だったな。まるで、ゾウの皮膚みたいだ。ぼくは、マンションの窓から漏れる灯りを眺めながらひとり呟いた。
DVDレコーダーの電源を切り、うつ伏せのまま布団に横たわる。いい映画だった。まさに、傑作である。久しぶりに、あたたかい感情で胸がいっぱいになった。こんな夜は、そうだな、感動の余韻にひたるに限る。
パーシー・アドロン監督の作品『バグダッド・カフェ』はこんな話だった。アメリカ合衆国ラスヴェガス近郊、モハーヴェ砂漠の寂れたカフェに集う人びと。そこに現れた、ドイツ人旅行者ジャスミンの交流を描く、ハートフルな物語である。ついこの間テヘランでみた貧困地区を連想するカフェなのだが、ジャスミンという女性が登場することで止まっていた時間が流れはじめ、少しずつ物語が紡がれてゆく、という内容である。
ぼくは、寝返りをうちながら天井を見つめる。その時、ふと、亜紀子の声がした。
それともうひとつ。無いなら、創ればいんですよ。
物語ですよ。モ・ノ・ガ・タ・リ
そうです、透さんが創るんです。
亜紀子の声は、薄い霧のように浮かんでは消えて、暗い静寂を泳ぐように頭のなかでゆらゆらと漂い続けた。動悸が激しくなり、胸の内に溢れるあたたかい感情がおどりだす。この感覚、意志の力なのか。わかった、わかったよ。やってみるさ。ぼくは起き上がり、部屋の照明を消した。




