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20. 自殺する理由

 煌々と輝く星たちを見ていると、自分も天体の一部になったような気がしてくる。重力というくびきから解放されたぼくには、自分の存在を確認する手段がなかった。宇宙は孤独である。この黒さが、むせるような黒さがぼくを不安にする。

 結局、人間はひとりなのだと思う。ひしめき合うように見える夜空の星だって、実際には遠く離れているものであり、星星の間には暗くて寒い残酷な宇宙がひろがっている。そんなふうに考えると、やはり人も星も変わらない。ひろい宇宙に、ただ、ぽつんと浮かんでいるだけ。

 ぼくは、静止している人工衛星につかまり地球を眺めた。

 月のこえも、星のささやきも、ぼくには届かない。

 もう、なにもきこえない。


 キキュッ。赤色の蛇口をひねり、顔を洗う。眠気と夢、ふたつが溶け合って一体となり、渦を巻きながら水道管へと吸い込まれていく。最近、おかしな夢を見るようになった。意識をかたむけ夢のあとを追いながらバスタオルに顔をうずめ、その姿勢のまま、しばらくの時を過ごした。

 裕樹に会いたい。会って、話がしたい。おでんのはいった汁椀を電子レンジで温めている間、そんなことを想っていた。部屋にもどり、収納ボックスから青色の三段式ポケットアルバムを取りだした。汁椀を机に置き、壁にもたれて静かにページをめくる。

 どの写真にも、決まって裕樹は写っていた。整髪料の種類は変わっても、ハリネズミのような髪型は今も変わっていない。裕樹にならなんでも話せるし、なんでも相談できる。そうだ、今までだってそうしてきたじゃないか。会って、安い酒でも飲んで、語り合って、それで・・・

 いや、しかし、今の心の状態をどう説明すれば伝わるのか、正直、自分でもよくわからない。それに、厭世主義者になりさがった惨めな姿を見せたくない、という想いもある。いま、親友である裕樹に会えば、逆に、精神的な痛手を負うことになるかもしれない。

 ポケットアルバムを収納ボックスにもどし、布団に横になり天井をみつめた。虚脱感。活動に堪え得る精神力が抜けおち、じょじょに視界がぼやけてゆく。おでんを食べたいと思う欲望は消え果て、かわりに、黒ずんだ失望が小さな脳を支配する。

 ぼくは、一体いつ頃からこんな人間になってしまったのだろう。中学生、高校生、大学生、そして社会人。わずか十数年のうちに、ひとは、これほどまでに変わることができるのか。もはや別人としか言いようがない、とそんなふうに考えてしまう時点で、ぼくはもう死んでいるのかもしれない。

「なあ、透」

啓太のしゃがれ声。

「・・・」

「もう、いんじゃねえか?」

「・・・」

ぼくは答えない。 

なにも、話したくない。

「疲れちまったよ」

いくぶん小さな声。

「・・・」

「透、先にいってるぜ」

「・・・」


 黒色のオーバーコートの袖に腕をとおし、静かに扉を開けて外にでた。近くのコンビニで煙草を購入し、栄町二丁目の交差点を抜けて東へと歩を進める。死んだあとの世界とか、天国とか地獄とか、もう、どうでもいい。この胸に突き刺さる現実が、たとえ嘘であったとしても、他に選択肢はないのだから。

 川口元郷駅が視界にはいると、突然、体が重くなった。息苦しい。まるで、巨大な蛇がぼくの体を締めつけているような感覚である。恐怖、死に対する恐怖なのか。いや、死というものが何なのか、分からないから恐ろしく感じるだけだ。まったく、わらえるじゃないか。死それ自体が恐怖なのではなく、死がどういうものだか分からない、想像できない、予見できないことが恐怖の正体なのだから。なるほど、ぼくは死の影におびえているわけか。

 歩くこと数分、国道122号線に突きあたる。ぼくは、歩行者用信号機の前で立ちどまった。大蛇は、容赦なくぼくの頭を万力のように締めつける。これは一体、この痛みの本当の姿は、愚行を重ねるぼくへの警告なのか。巻紙に火をつけ、まばたきする信号を見上げた。 

 信号が緑に変わり、いっせいに車が直進する。ぼくは、大型車が通るのを静かに待った。手足の震えがとまらない。眼前に迫る車の波を見ていると、どうしても手足が小きざみにゆれ動く。目をそらし、不気味に聳えるエルザタワーに視線を向けてみても、やはり身がちぢんで動かない。

「透さん」 

 その言葉が聞こえたか聞こえないうちに、昭和シェル石油のタンクローリーが目の前を通過した。けたたましい音に驚いた蛇は、体を波打たせて不規則な曲線を描きながらどこかに消えていった。うつむいたまま振りかえる。亜紀子は、ついてきて、と言ってぼくを睨んだ。


 芝川公園にはいり、ピンク色のベンチに座った。ため息しかでない。ぼくは、つま先の白いゴムの汚れをぼんやり見ながら、いまの状況に相応しい言葉をさがした。しかし、いくらさがしてみても、言葉は見つからない。会話のないまま時間だけが過ぎてゆき、風はますます冷たくなるのだった。

「茜ちゃんのこと・・・ 嫌いになりましたか?」

「っえ」

亜紀子は、いつもと変わらない様子で話しはじめる。

「茜ちゃんは、普通の女の子です」

「それじゃ、不満ですか?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど・・・」

なにを言っている。

そもそも、ぼくを惑わせたのは君たちじゃないか。 

「たとえ物語じゃなくても、茜ちゃんは、茜ちゃんです」

「それは・・・ そうだけど」

「次のデートは土曜日でしたね?」

「・・・」

「それまでに、よく考えてください」

「はい」

つま先に目を向けたまま、気のない返事をする。

「それと、もうひとつ」

「はい・・・」

「無いなら、創ればいんですよ」

「っん?」

「な、なんの話?」

「物語ですよ。 も・の・が・た・り」

「つくる? 物語を? ぼくが?」

不意をつかれ、動揺する。

「そうです」

「透さんが、自分で創るんです」

「どうやって?」

「まったく意味がわからないんだけど・・・」

「さあ、そこまでは」

「さあって・・・」

亜紀子の視線は、複合遊具で遊んでいる少年たちに向けられている。

本当に知らないのか、それとも、隠しているだけか。

「最後に、もうひとつだけ」

そう言うと、亜紀子はすっと立ちあがる。

ちょうど、ぼくを見下ろす格好となった。

「私も、啓太さんも・・・ その・・・」

「まだ、消えたくないの」

「・・・」

「だから・・・」

「ごめん、悪かったよ」

「もう、こんなことは絶対にしない」

「・・・」

「・・・」

「約束してくれますか?」

「ああ、約束する」

 絶対ですよ。もし、破ったら。聞いていますか。透さん。

亜紀子の声が遠ざかってゆく。遠く離れてしまい、やがて、なにも聞こえなくなる。数秒前。数分前。数時間前。自殺未遂をふくめ、目にあまる所行のかずかずが突然脳裏によみがえり、強烈な自己嫌悪に陥る。ああ、なんであんなこと、正気とは思えない。子どもだってわかる、犬だってわかる、魚でもわかる、誰にだってわかることじゃないか。そうだろ、自殺する理由なんてはじめからなかったんだ。

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