17. センチメンタリズムを越えて
「ねえちょっと、手伝ってよ」
「ああ、ごめんごめん」
慌てて新雪に煙草をつきさし、彼女のとなりにしゃがみこんだ。
「茜さん、なに作ってるの?」
「何にみえる?」
「小動物・・・ かな」
「ウサギよ、雪うさぎ」
「なるほど、ウサギかあ」
「そう」
「雪だるまは作らないの?」
「雪ダルマなんか作っていたら、朝になっちゃうじゃない」
「それもそうだね」
ぼくたちは、石段の上に雪を集めた。土のついていない真っ白な雪である。
彼女は、人差し指を使って丁寧にウサギの輪郭を整えている。
「目はなに色?」
「んん・・・ 黒か赤じゃない?」
曖昧にこたえる。
「じゃあ、赤がいいわ」
「赤ねえ」
「南天の実があれば・・・ ちょっと探してみるよ」
「私もいく」
ぼくたちは、道路に沿って植えられた樹木を見てまわることにした。
雪うさぎの入れ目をさがす、という不思議な目的をとげるための散歩である。
「これなんかどう?」
「どれどれ」
「ちょっと大きいけど・・・」
「えー かわいくない」
「じゃあ、これは?」
「あ、いいかも」
「ほんと?」
「うん、それにする」
「じゃあ、もどろうか。 きっと、ひとりで寂しがっているよ」
「そうだね、いこう」
帰る途中、自動販売機で飲物を二本買って飲んだ。ぼくは温かいお茶を選んだのだけれど、彼女はなぜか冷たいカルピスを躊躇なく選び、それをおいしそうに飲みほすのだった。彼女のすこし変わった好みを知ることができて、なんだか得をしたようないい心持になった。
「完成ー どお?」
と、彼女は首をかたむかせる。
ごきげんな顔つきである。
「たしかに、ウサギだね」
「よくできてると思うよ」
「でしよー 小さい頃に、ママがよく作ってくれたんだあ」
「へえ、そうなんだあ」
彼女は、雪でつくったウサギを路肩にそっと置いた。
スクールバッグをかきまわし、なにやら小さい箱のようなものを取りだした。
「ねえ、トオル君」
「なに」
「記念写真とろうよ」
「写真? いいよ」
「これ、知ってる?」
「懐かしいな、それ」
「たしか、チェキ・・・ だっけ?」
「そうそう、よく知ってるね」
「まあね」
「学生の頃、文化祭か何かのイベントで使ったんだよ」
ふうん、そうなんだあ、と気のない返事。
彼女は真剣な顔つきで、カメラの設定に腐心する。
「できた、これでよしっと」
「なんだか、緊張するね」
「ちょっとね」
そう言って、彼女は笑顔をみせた。
「待ってて」
「うん」
彼女は近くにとめてあった自転車の雪をさっとはらい落とした。
サドルにカメラをのせて、ファインダーを覗きこむ。
「準備はよろしいですか?」
「はーい」
彼女が小走りで向かってくる。
数秒後、セルフタイマーランプが点滅する。
「さん、にい、いち、笑ってえ」
強い光があたりをつつむ。
ぼくは反射的に、指でVの形をつくった。
「ちゃんと撮れたかなあ」
「どうかな」
じじじじじじっ。
カメラは、カード状のフィルムを丁寧に吐きだす。
「これってさ、時間かかるよね」
「それが、いんじゃない」
わかってないなあ、というような目つきでぼくを見る。
「はいこれ、トオル君のぶん」
「ありがとう」
ぼくは、カード状のフィルムを受けとった。
まるで真空管テレビのように、じわりじわりと絵柄が浮かびあがってくる。
「どお、ちゃんと写ってる?」
「写ってる写ってる。 いやあ、これはいいね」
「プリクラなんかと違って、そのまんま写ってるね」
「でしょ、画質悪いけど、かなりリアルでしょ?」
「うん、リアルリアル」
ぼくは、満足げに写真を見つめる。
彼女とぼくは、雪ウサギを挟むように座っている。
「トオル君」
「ん?」
「ウサギ・・・ どうしよう」
目がうるんでいる。
「それは・・・ 置いていくしかないね」
「だよね・・・」
語尾を弱めて、寂しそうにうつむく。
「そういえば、時間大丈夫?」
「っえ、いま何時?」
「ちょっと待って」
ぼくは、携帯の液晶を覗きこむ。
砂時計の上部にある非日常の砂は、残りわずかしかない。
「午前四時・・・ ちょっと過ぎたところ」
「そう」
「じゃあ、帰ろうかな」
「・・・」
「・・・」
「家までおくるよ」
「うん、ありがとう」
雪ウサギは、白い毛を震わせながらぼくたちを見上げている。
悲しくて、悲しくて、泣いているような表情だった。
「たしか、神田明神の近くだよね?」
「うん」
「じゃあ、いこうか」
「うん」
ぼくたちは、雪ウサギに別れを告げ、西の方へと足をむけた。
もう、十分ともたないだろう。
下の管に落下した日常の砂は、ピラミッドのように積み重なってゆく。
「寒いね」
「うん、寒い」
ざふ、ざく、ざふ、ざく、ざふ、ざく。
靴底で、交互に柔らかな新雪を踏む。
「遭難した人の気持ちが、少しだけ分かったような気がする」
「たしかに、それは言えてるね」
ぼくの靴は、湿地帯のようにびっしょり濡れている。
彼女の靴は、大丈夫なのだろうか。
「なんかさ・・・」
「ん?」
「不思議じゃない?」
「・・・」
「わかるよ、ぼくもたぶん、同じことを考えていると思う」
「ほんと?」
「たぶん」
「なんか、こう・・・ っね?」
「うん、すごくわかるよ」
「口では、うまく表現できないんだけど・・・」
「ほんと、言葉がみつからないね」
ぼくたちは顔を見合わせた。その瞬間
ふふふ、と照れたような笑いがもれた。
「ねえ、この雪のなか練習するの?」
「外ではやらないよ」
「たぶん、室内で筋トレかな」
「筋トレかあ・・・」
ぼくは、頭上をみあげた。
空は深海のように暗く、日が昇る気配はない。
「っあ、そこ左ね」
「もう、近いの?」
「うん、赤い車が見えるでしょ?」
「赤い車?」
「暗くて、よく見えないんだけど」
「ほら、あそこ。 いち、にい、さん番目」
「ああ、あるね。 見えた、見えた」
ぼくたちは、門扉の前で立ち止まる。
白色の表札には、縦書きで名前(斎藤)が彫り込まれている。
「トオル君、約束覚えてる?」
声をひそめてささやく。
「もちろん、来週の土曜日だよね?」
小声でこたえる。
「うん、江戸川区陸上競技場って知ってる?」
「たしか・・・ 葛西臨海公園の近くだっけ?」
「そう、朝九時には始まるから、少し早めにきてね」
「わかった」
彼女は石段をのぼり、そっと扉を開ける。
「トオル君、来週だからねえ」
「ああ、絶対にいくよ」
「それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみ」
彼女は子犬みたいに手をふり、静かに扉を閉めた。帰り道、夜明け前の空を見あげながら歩き、恋愛という不思議な感情について考えてみた。赤い星から青い星に視線を移し、青い星から金色に輝く星に視線を移し、金色に輝く星から白色に光って見える月に視線を移し、ゆっくりと歩きながら思案をめぐらす。駅に到着するまでのあいだ、同じことを何度も繰り返し考え想像した。
人気のない南浦和行きの電車に乗りこみ、優先席に腰をおろした。ふと思いだし、ポケットから写真をとりだす。心に湧く感情や記憶をひとつひとつ丁寧にすくいあげ、時系列に沿って整理してみた。頭の奥に散らばる過去を再生するたびに、彼女の声が、彼女の顔が、彼女の匂いが思いだされるのだった。ほんとうに、まひるにみる夢のような出来事だった。
ちょうど田端駅を通過したころ、ひとつの結論にいきついた。たぶん彼女の存在そのものが、ぼくの物語なのである。それは、物語イコール彼女という単純な図式ではあるが、それゆえに磐石である。内ポケットに写真をしまい、静かに瞼をとじて後頭部を窓ガラスに預けた。
あれは、地球。
見つけた、やっと見つけた。涙腺から分泌された涙は綿毛のように宇宙をただよい、体中に沸騰した血液がながれる。地球の下部は真っ暗な宇宙に包まれ、青クラゲのように上部だけが浮かんで見える。ああ、永かった。センチメンタリズムを越えて、ぼくはようやく瑠璃色の星に辿りつく。静寂の海に抱かれて、ひとり彼女のことを想った。




