16. ヒロインと主人公
中央通りに出ると、ぼくたちは二十四時間営業しているレストランを探した。買い物客やメイドのチラシ配りがいないせいだろうか、衰退した地方都市のようにひっそりとしている。
一日の仕事が終わり、ひとつひとつネオンが消えて、銀色のシャッターがおりて、電車はしずかに眠る。純粋たる時間のながれに逆らっているのは、どうやら、ぼくたち二人だけのようだった。
「トオル君、なにか食べたいものある?」
「んん・・・ とねえ」
「パスタかな。 茜は?」
「私はねえ・・・」
「私もパスタかな」
「じゃあ決まりだね」
「とりあえず、室内に入りたいね」
「うんうん」
「寒くて凍死しそう」
と、彼女は笑いながら肩をすくめてみせた。
まるで、夜更かしを許された子どもみたいに浮かれている。
「風邪でもひいて、試合にでれなくなったら大変だからね」
「ほんとだよお、大切な引退試合なんだから」
「どうする、走ろうか?」
「どこまで?」
「あそこに見えるサイゼリヤまで」
ぼくは、緑色の電飾看板を指さした。
「いいわ」
「じゃあ、負けたらおごりね」
了解した、と返事をしようと思ったのだけれど、彼女はもう末広町に向かって走りだしていた。おいおいそりゃないだろ、と心のなかで突っ込みをいれながらも、リュックベルトをつよく締め、彼女の小さな背中を追った。
夜更けの風は一段と冷たく、前髪が飛んでいきそうなほどだった。びゅうっとうなる風をからだ全体に受けながら走っていると、なんだか世界が小さくなっていくような気がしてくるのだった。
道路を行き交う自動車や、すれ違う人たちさえも、ぼくの眼にはモノクローム写真のように見えている。ぼくと彼女、世界にふたりだけ。雪色の小さな背中だけを残して、色を喪失してしまった世界。そんな世界でも、べつに悲しいとは思わない。
「私の勝ちね」
「トオル君、遅すぎ」
「いや、あれは完全にフライングだろ」
息を切らしながらぼくは言う。
さすが運動部だ、体のつくりがまるで違う。
「勝ちは、勝ちだからね」
彼女は腕を組み、仁王の像みたいに立っている。
「はい、はい」
「おごればいんでしょ」
「冗談よ、冗談」
「っさ、入りましょ」
「ああ」
片開きのガラスドアを開けると、すぐに金髪の男性が迎えにきてくれた。
「二人です、煙草は・・・」
彼女の顔をちらりと見る。
「べつにいいわよ」
「じゃあ、喫煙席でお願いします」
「かしこまりました」
と、金髪の従業員。
どうぞ、と言って右手を上げながらぼくたちを窓際の席へと案内する。
「お腹空いたあ。 何にしようかな」
「ぼくは、アラビアータでいいや」
「早いね」
「まだ、メニューも見ていないのに」
「まあね」
「サイゼリヤにくると、いつもこれなんだ」
「ふうん」
外の冷気をたくさん吸収した上着をぬぎ、椅子の上に丁寧にのせた。
うでを伸ばし、上着のポケットから煙草を取りだす。
「煙草吸っていいかな?」
「うん、いいよ」
「パパも吸ってるし、慣れているから気にしないでね」
「わかった」
煙草を吸いながら、ぼんやりと店内を見わたしてみた。店にはぼくたちの他に熟年夫婦が一組、それと厨房の出入口付近に金髪がひとり、てもちぶさたな様子で立っている。それとなく、目の前に座る少女にも視線をむけてみた。彼女は真剣な表情で、何度も同じページを見ている。ぼくは頬杖をつきながら、メニューに見入る彼女をまじまじと見つめた。
残念ながら、テーブルが邪魔で腰から下の部分は観察できないけれど、高校生とは思えない体つきであるということは、上半身を見ただけでも十分理解することができた。ラブホテル、所有、ぼくの物語。なぜだろう、啓太の戯言たちがぽつりぽつりと脳裏に浮かんでくる。
「なに?」
目を細めて、ぼくを見る。
「いや、何でもない」
「いま、見てたでしょ?」
「いいや、見てない」
「嘘つき」
「それよりさ、なに食べるか決まった?」
「うん、きまった」
「じゃあ、呼ぶね」
呼び出しボタンを押すと、金髪の従業員が小走りで向かってくる。
「アラビアータと、タラコソースシシリー風」
「ドリンクバーは?」
「いらない」
彼女は首を横にふる。
「じゃ、以上で」
金髪の従業員は、小声でぶつぶつ注文を復唱する。
はい、はい、と彼女が二回頷く。
呪文のような復唱が終わると、金髪の従業員は一礼もせずに厨房へと消えていった。
思わず、ぼくたちは顔を見合わせた。
「いやあ、感じ悪いですねえ」
と、小声で言う。
「きっと、なにかあったのよ」
彼女もまねして小声になる。
「たとえば?」
「そうね、彼女にふられたとか?」
「いや、いや、彼女はいないでしょ」
「そうかなあ」
「そうだよ」
ぼくは巻紙に火をつける。
彼女の洋服に臭いがつかないよう、天井にむかって煙を吐いた。
「ねえ、この後どうする?」
「んん・・・ どうしようか」
「正直、なにも考えていなかったな」
「・・・」
「・・・」
「私ね、朝から部活の練習があるの」
「っえ、朝練ですか?」
「うん」
「だから、五時くらいには帰らないと・・・」
「ごじ?」
「うん」
「そっか・・・」
「・・・」
「・・・」
「朝練って、寝ないで平気なの?」
「っていうか、平気なわけないよね?」
「それは大丈夫、がんばるから」
「頑張るって・・・」
「いいの、部活のことは」
「・・・」
「・・・」
「あと、三時間」
「・・・」
「三時間か・・・」
お待たせしました。金髪の従業員は小声で料理名を呟きながら、パスタプレートを丁寧に並べた。彼女はどこか暗い様子で伏し目がちにテーブルを見つめている。しばらくの間、話がとぎれる。ひらひらと上空に舞った灰色の沈黙は、火山灰のようにぼくたちのテーブルに降り注ぎ、しだいしだいに積み上げられてゆく。
「食べよっか?」
「うん・・・」
時間がない。時間がほしい。時間をかいたい。麺をソースにからめながら、ぼくは時間について考えていた。世界中の砂という砂をかき集めて、砂時計に足してみてはどうだろうか。あるいは、中央のくびれた部分を小石でせき止める方法もあるだろう。それとも、いっそのこと木枠ごと横に寝かせてしまえば、これ以上時間は経過しない。それが無理なら・・・
「食べないの?」
「いや、食べるよ」
「なにか考えごと?」
「いや、別に」
「ふうん」
「・・・」
ぼくたちは黙ってパスタを口に運んだ。フォークと食器の擦れる音だけがひびいて、なぜだかその音を聞いていると無性に悲しくなるのだった。彼女は、知っているのだろうか。砂時計の上部にある非日常の砂は、中央のくびれを通過すると、日常の砂に変化してしまう。砂がくびれを通過して全て下の管に落下したとき、ぼくたちの世界は終わりを迎え、日常の世界へと帰らなくてはならない。もう、時間がないのだ。
「ねえ、トオル君」
「ん?」
「ゆき、雪降ってるよ」
「雪?」
ぼくたちは、そろって窓の外を見た。
確かに、これは雪である。
「ほんとだ、雪降ってる」
「初雪だねー」
少女の素頓狂な声に誘われて、熟年夫婦もきょろきょろする始末。
彼女はフォークを皿に置いて、フィックス窓を覗きこんだ。
「積もるかなあ」
「どうだろう」
「朝練、中止にならないかなあ」
「・・・」
「どうかな、でもけっこう降ってるね」
「なんか素敵」
そう言って、彼女はぼくを見る。
目がきらきら、ゆらゆらしている。
「ねえトオル君、そう思わない?」
「思う、思う」
「いや、なんていうか、今日は本当に不思議な日だね」
「っねえー」
と嬉しそうに言って、彼女は再び窓を覗きこんだ。ぼくは、クッションの利いた長椅子に腰をおろし、煙草に火をつけた。ここまでくると、恐怖すら感じる。この状況、あまりにも出来すぎている。ぼくという小さな人間に配分されたすべての運が、彼女と出会った今夜一日でひとつ残らず全て消化されてしまいそうな気さえした。
「ねえ、早く外へ出よう」
「こらこら、落ちつきなさい」
「ねえ、早く早く」
「わかった、わかった」
「あとひと口だから、ちょっと待って」
ぼくは急いでパスタを口にいれた。彼女はといえば、サンタクロースを待つ子どもみたいに、じっと窓を覗きこんでいる。窓越しに夜空を見上げながら、ねえまだあ、ねえはやくう、と甘い声でせきたてる。椅子の上においた上着を肩にかけ立ちあがると、それに気づいた彼女も荷物をまとめて立ちあがった。行こっか、と彼女が言う。
「わあ、まっしろー」
「ほんとだ、こりゃ積もりそうだな」
街は白んでいた。
不純物のない粉砂糖みたいな雪がふっている。
真っ白な雪のかたまりを手のひらにのせて
「ねえ、なにか作ろう」
と彼女は言った。
うれしそうな顔つきである。
「ここで?」
「うん」
「道路の真ん中だよ」
「いいじゃん、誰もいないんだしさ」
「そりゃそうだけど・・・」
ぼくは、彼女が残した小さな足跡を踏まないように歩いた。
さく、ざく、さく、ざく、さく、ざく、さく。
「ねえ、作ろうよ。 記念にさあ」
「・・・」
「わかった、作ろう」
「やった」
「なにつくる?」
「さあ、なんでもいいよ」
「ええー 一緒に考えてよ」
「じゃあ、雪だるま」
「かわいくない」
「小さい、雪だるま」
「やだ」
「かわいい、雪だるま」
ねえ、まじめに考えてよ、と彼女はくだけた態度でぼくの背中をたたいた。この時はじめて、ひとつの関係性が生まれていることに気がついた。首をひねり、彼女に視線を向ける。静かだねえ、寒いねえ、と感じたことを口にしながら小さな歩幅で雪道を進んでいる。彼女の言うとおり、中央通りに人の姿はなく物音ひとつしない。恐いほどの静寂である。
20XX年、世界は七度目の核戦争に突入する。真っ白い塵のような灰が空という空を埋め尽くし、光り輝くほど美しい狂気が大地におちる。主人公とヒロインは、核戦争後の世界で唯一の生き残りという設定で、人のいない空虚な街をさまよう二人の姿が淡々と描かれる。
たしか、こんな筋書の短編小説をどこかの書店で読んだ覚えがあった。ぼくは、ふたたび彼女に目を向ける。きみとぼく、ヒロインと主人公。目の前にある現実と、記憶の底にある虚構。SF的な想像力は次元を超え、ぼくたちを引き寄せてゆく。




