12. 下位文化
リビングドアの隙間から、滑舌のよいお天気キャスターの声が聞こえる。腕をのばし、携帯電話のサイドボタンをおして時間を確認する。今起きても二度寝して十一時過ぎに起きても、どちらでも変わらないのだが、とりあえず煙草とライターを持って部屋をでることにした。
母のいるリビングを抜けてベランダに出たぼくは、ガラスの灰皿を室外機にのせて巻紙に火をつけた。ランドセルを亀の甲羅のように背負う小学生の列を眺めながら、今日一日どこでなにをしようか考えてみたのだが、これといってなにも浮かばなかった。
すこし考えてみる。一度も行ったことのない場所で、ぼくひとりでも入れそうなところで、その日のうちに行って帰ってこれるようなスポットで、物語がたくさんありそうな空間といえば、なぜだか知らないけれども秋葉原駅という言葉がうかんでくるのだった。
お湯の温度を四十四度に設定し、暖かくなるまで水垢で汚れた化粧鏡を見ていた。考えてもみれば、イラン旅行でまともに体を洗ったのは数えるほどしかない。ぼくは無精髭を撫でるとシェーバーを垂直に立て、ヒゲの流れに逆らうように下から上へと剃った。
秋葉原に行きたいか、それとも行きたくないかと聞かれれば、正直なところ行きたくはない。けれども、他に思いつくような場所なんてないし。まあ、今日一日なにもしないでぶらぶら過ごすよりはましだろう。ぼくは立ちあがり、ミリタリーブルゾンの金属ファスナーを口元まで閉め、キャンパスリュックに貼るホッカイロをいれて外へでた。
平日の朝。ポケットから煙草を取りだして、歩きながら巻紙に火をつける。冬の空。ハケで掃いたような雲は羊毛みたいにしなやかで、風に吹かれて今にも飛んでいきそうに見えた。ぼくは、白い息を吐きながら石階段を一段抜かしで駆け上がり、SLをデザインした駅名板に向かって歩いた。
大船行きの電車に乗りこみ、誰もいないドアに寄りかかる。住宅が立ちならぶ沿線沿いを眺めながら、吹けば消えてしまうような空想をひとりもてあそんでいた。それは、ありえたかもしれない別の人生、もうひとつの人生について、いろいろと思いめぐらす不毛な知的作業であった。
人のかずだけ人生があり、おなじ人生などこの世に存在しない。目のまえを過ぎていく数百数千という建物のなかで、もしどこか別の家庭に生まれていたら、どのような人生を歩んでいたのだろう。そこに輝かしい青春はあるのだろうか、月日の移りゆきを止めてしまうような愛はあるのだろうか、夜な夜な夢をみているのだろうか、窓ガラスから見える景色は風のように流れ、ぼくの思考は加速してゆく。
改札を抜けてみると、アニメやゲーム関連と思われる巨大なポスターがいたるところに貼られていた。赤髪のセーラー服を着た少女や巫女姿の少女など、見たことのないキャラクターたちが呆然と立ち尽くすぼくを一心に見つめている。その瞬間、恥ずかしいという感情が表にあらわれて、烈しく燃える火のごとく赤面したぼくは、ミーアキャットのように素早く周囲を見わたし逃げるようにその場を後にした。
駅直結の複合施設にはいり、迷わず生乳のソフトクリームをふたつ注文した。交感神経が興奮している今の状態には、誂え向きの解熱剤に思えたからだ。そもそも、テレビを通して何度も見ている光景だったし友人からも話は聞いていたのだが、まさかこれほどまでに卑猥な街だとは思わなかった。秋葉原にひとりでいるところをもしも知合いに見られたら、ぼくはいったい何て説明すればいいんだ。
まてよ、仮にこの街のどこかで知合いに遭遇したとしても、そのひとだって現にこの街にいるのだから、それは御互い様じゃないのか。しかし、問題はその相手が複数だった場合である。その理由は、十八歳未満立入禁止のアダルトコーナーを思い浮かべるとわかりやすい。二、三人の若い男たちがさも楽しそうにエロビデオを選定している場合、肉体からあふれる性欲はおどけとしゃれでごまかすことができる。
しかし、それがひとりとなると話は違ってくる。ひとりでエロビデオを選ぶのだから、おどけやしゃれなんてものはなく、無表情で商品を選定することになる。かごなんて持っていたら、もう救いようがない。そして、エロビデオを借りるという行為がそのまま、寂しい夜を過ごしている人、という印象を生みだし、惨めな独身男性というレッテルを貼られるのだ。
この論理は、おそらく秋葉原初心者全員に当てはまるだろう。つまり、ぼくがこの街にひとりでいるということ、それこそが問題なのである。まあ、秋葉原周辺を観光してまわるという大義名分があるわけだし、それに本物のオタクじゃないのだから心配する必要なんてないだろ。と、自分に言いきかせながらも、ときおり周囲を見わたしてソフトクリームがくるのを待った。
牛がプリントされた包紙を丁寧にたたみ一息ついたところで、グーグルの検索窓口に『秋葉原 地図』と入力してみる。電気街口から出て右に曲がると、メインストリートである中央通りにたどり着くようだ。荷物をまとめて立ち上がると、頭をぺこっとさげ女性従業員はマニュアル通りにぼくを見送ってくれた。
ぼくは、地図の矢印通りに北へ向かって歩いた。まるで、未知の領域へと踏みこむ新米探検家の気分である。秋葉原といえば、アニメ柄の紙袋を大量に抱えた人やリュックにポスターをさしている人がたくさんいるものだと想像していたが、実際にはそうした絵に描いたようなオタクの姿は見あたらない。ふと、煙草が吸いたくなったのだが、さすがに中央通りでは吸えないため、ドンキホーテを右に曲がり裏路地で吸うことにした。
小道にでると、二次元の自動車モーターショーと形容できそうな光景が飛び込んできた。アニメやゲームに関連すると思しき美少女キャラクターたちが塗装された自動車が、これ見よがしに駐車されている。他人の部屋の扉を間違えて開けてしまったような、あるいは、固有の空想領域に無断で侵入してしまったような謂われのない罪悪感に襲われたぼくは、煙草も吸わずに中央通りへと引きかえすはめになった。
足早に歩きながら巻紙に火をつける。俗っぽい言葉で表現すれば、あの小道だけ空気の流れが違っていた。万人に開かれた公共の道路であるはずなのに、明らかに空間の意味が上書きされている。
なるほど。見たところ、痛車や萌車に正当性を与えている要素はこの街自体にある。つまり、秋葉原という聖地から離れれば離れるほど痛車や萌車の正当性は弱まり、所有者に対する眼ざしは軽蔑をふくんだ冷たいものに変わっていく。彼らは、一体どんな想いで車を走らせているのだろうか。オタクですけどなにか、というような心持でそれぞれの地元に帰るのだろうか。まったく、下位文化とは不思議なものである。
ファミリーマートにはいり、冷えきった体が温まるのを待つことにする。雑誌の表紙に視線を移しながら、狭い店内を歩きまわった。そういえば腹がへったな、弁当でも買おうか。いや、やめておこう。もう少し我慢して、ラーメン屋にでもはいるか。ぼくは、三段式ウォーマーを開けて適温の缶コーヒーを店員にわたし、いつも吸っている煙草の番号を伝えた。自動ドアを抜けると、大型観光バスから大勢の中国人らしき一行が降りてくるのが見えた。ぼくは、温かい缶コーヒーをすすりながら、しばらくそれを眺めていた。
ピンク色のリボンをあしらったメイド服。それをきた背の小さな女性が、道行くひとに店のチラシを配っている。ぼくはてくてく歩いて近づき、すみません一枚もらえますか、はいどうぞ、ここはどんなお店なんですか、夢の国めいどりーみんです、という遣り取りをメイドさんとしてから『フィギュア・ホビー』と書かれたビルにはいった。
店内は古本屋のように静かで、中肉中背の男がひとり大型のコレクションケースを真剣な眼差しでみつめていた。超合金と書かれたコーナーには、重厚なロボットが均等に並べられている。おそらく、ぼくが生まれる前に放映された、テレビアニメのヒーローかなにかだろう。ぼくは、興味のない惣菜コーナーを通り過ぎるように歩き、二階へと続く階段をぐんぐんのぼった。
壁や天井、ありとあらゆる所に宣伝用のポスターが貼られている。目のやり場に困るとは、まさにこのことだろう。一階の雰囲気とは感じがことなり、どちらかといえば若年層の客が多く、なかには恋人と一緒に来ている客もいるようだ。二階のフロアが平成だとすれば、一階はノスタルジックな昭和を思わせる空間設計になっている。
八月の夏日みたいに蒸し暑い店内を歩いていると、思わず大型のガラスケースの前で足を止めた。『1/4スケールPVC塗装済み完成品』と記載された黒髪の美少女は、ネグリジェ姿で上目遣いにぼくを見つめている。なるほど、こういうかたちで女性を所有したいと思う下劣なやからがいるわけだな。ちなみに値段のほうは、税込二万九千八百円か、参考までに覚えておこう。
暑苦しい店内に嫌気がさし階段のほうへ向かうと、青いワッフルキャップを被った青年が視界にはいった。その青年は、ものほしげな様子で施錠付きのコレクションケースを眺めている。青年はきょろきょろあたりを見まわし、通りかかった店員を呼びとめると、なにやら真剣な様子で説明をはじめた。なんとなく気になったぼくは、そのやりとりを見とどけることにした。ドット柄のネクタイを締めた店員は、ありがとうございます、と言って首をしたに大きく動かし、ガラスケースを開けて商品を残らずレジへと運んでいく。
家賃を払えず夜逃げしたあとみたいに静かになったガラスケースを覗きこむと『機動戦士ガンダム10点セット』と赤ぺんで書かれていた。節約すれば一ヵ月間暮らせるような大金を、あの青年はプラモデルに注ぎ込んだことになる。数分後、例の青年はとても満足そうな笑みを浮かべて、紙袋を両手いっぱいに抱えながら店をでた。ぼくは時間を忘れて、空虚なガラスケースを眺めていた。
秋葉原。どうやら、この街では日々、想像すらできないほどのアニメやゲームが大量に消費されているようだ。小説や漫画、同人誌なども含めれば、それこそ天文学的な数字になるだろう。作品のあらすじや内容、登場人物や背景など、ぼくはなにも知らない。だがもし、仮にそのひとつひとつ全てが物語だとすれば、この世界にはどれだけ多くの物語が存在するのだろうか。




