13. 制服少女
「透さん、また考えごとですか?」
「あきこ、亜紀子じゃないか」
「どうしてここに?」
「どうしてって、呼ばれたから来たんですよ」
「ぼくが呼んだ?」
「はい、そうです」
「・・・」
「とりあえず、外に出よう」
「どこへ行くんですか?」
「わからない。 どこか、静かな公園があれば・・・」
ぼくたちはそろって店をでた。
太陽はビル群の背中にかくれ、紺色と赤色の絵具をまぜたような空がひろがっている。
「なんて言うか・・・」
「恥ずかしいところを見られちゃったね」
「恥ずかしい? それは、どういう意味ですか」
「いや、だから・・・」
「まあ、なんとなく分かりますけど」
「それじゃあ、誤解されるまえに言っておく」
「はい?」
「ぼくは、オタクじゃない」
「・・・」
「・・・」
「透さん」
「なに?」
「どうして恥ずかしいと感じるか、わかりますか?」
「いいや」
「知りたいですか?」
「・・・ああ」
「簡単な話です」
「透さんは、心のどこかでこの街の人たちを見下しているんです」
一定のペースで歩きながら、亜紀子は優しい口調で言った。
「ぼくが見下してる?」
「ええ、その通りです」
「そういえば、前にも同じようなことを言われたね」
「はい、言いました」
「思いだしたよ。 ぼくは、プライドが高い人間なんだよね?」
「はい、そうです」
「・・・」
「・・・」
「自分のこと、なにもわかってないな」
「そのようですね」
「・・・」
「心配はいりません」
「どうして?」
「透さんは、私という鏡を通してゆっくりと自分を知ればいいのです」
「なるほど・・・」
おかしい。今日の亜紀子は優しすぎる。すこし怖いくらいだ。
なにかあったのか、それとも、これからなにかするつもりなのか。
「透さん」
「ん?」
「物語はみつかりましたか?」
「いや、それなんだけど・・・ なんて言えばいいのかな」
「今日この街で見たものって・・・ 物語なの?」
小学校の向かいにある小さな公園に入り、木製のベンチに腰をおろした。
赤茶色の時計塔は、越冬する穴熊のように静止している。
「もちろん、すべて物語です」
「もちろんって、もっと具体的に説明してくれないか?」
「具体的に・・・ ですか」
急にトーンがさがる。眠たそうな声。
亜紀子は困惑した様子でぼくを見つめる。
「では透さん、人間の心をひとつの大きな石だと仮定します」
「はい」
「大きな石は、通常いくつもの枝によって支えられています」
「はい」
「例えば、主枝のように太い枝もあれば、側枝みたいに細い枝もあります」
「わかりますか?」
「んん・・・ なんとなく」
「細い枝の場合には、沢山の枝で石を支える必要がありますが、太い枝なら少ない数で石を支えられます」
近くにある木を指しながら、亜紀子は真剣な様子で説明している。
だがなぜ、物語の説明にわざわざ自然物を借りて表現するのだろうか。
「わかった」
「人の心というものは、物語によって支えられている、ってことだね?」
「その通りです」
「ってことは、青いキャップを被った青年にとっては、純粋な物語になるわけか」
「少し違います」
「っえ?」
「プラモデル、それ自体に物語はありません」
「と、言うと」
「機動戦士ガンダムという作品に、物語が宿っているのです」
「なるほど」
ぼくは靴裏で砂の灰皿をつくり、巻紙に火をつけた。
「けれども、それはひとつの側面でしかなくて私の考えでは、アニメという物語の他に、いくつもの小さな物語が複合的に絡み合って彼の心は支えられているのだと思います」
「んん・・・ なんか難しいね」
「他の物語か、なんだろう」
「さあ、私にはわかりません」
「他人の心というものは、言ってみれば不可侵の領域みたいなものですからね」
「たしかに、そうかもね」
「・・・」
ぼくは、亜紀子の横顔に目をやった。彼女の視線は、誰もいないグランドに向けられている。その淡い視線のさきには、捻じれたフランスパンみたいな滑り台で遊んでいる学校帰りの子どもたちの姿があった。ぼくも一緒に、それをながめることにした。意味のない時間。しだいしだいに子どもたちの声が遠ざかっていく。また、あの夢をみるのだろうか。どうして、宇宙にいるんだ。ぼくとなんの関係がある。あの奇妙な夢は一体どこから・・・
「ねえ、ちょっと」
「ねえ、起きなってば」
「・・・ん ・・・っえ?」
「あなたねえ、こんなところで寝ていたら荷物盗まれるよ」
「ああ、えっと・・・」
「ありがとう」
「いいえ」
と、少女は小声で返事をする。あの、と話しかけようとしたのだが、少女は踵をかえしてすたすた歩きだし、背をむけられてしまった。ぼくは狐につままれたように、ぼんやりと少女の後ろ姿を見ていた。赤茶色の時計塔は、ぼくが公園のベンチで寝ていたという事実を無言の表情で知らせてくれた。
盗難。盗難。盗難。ぼくは、キャンパスリュックを両手でもち上下にふってみた。冷静に考えてみれば、テヘランで財布を盗まれているのだから、貴重品などはいっているはずがない。
少女は半円状のベンチに座り、退屈そうに遊戯施設を眺めている。ここからだと、少女の姿がよく見える。顔が白い。髪が黒い。それに、淡雪のように透き通った肌。濃紺のダブルブレザーに、カジュアルなチェックのスカートがよく似合っている。察するところ、この公園で誰かと待ち合わせているのだろう。
煙草の空箱を握りつぶし、リュックを背負い公園をでた。やれやれこの時間帯になると、決まって急に寒くなる。高校生の頃に観たSF映画みたいに、政府が密かに気象を管理しているせいかもしれない。
煙草の自動販売機の前で立ちどまりお金を投入しようと思った瞬間、タスポがないことに気がついた。そういえば、ああそうだった。ぼくの財布を盗んだ人間がイラン人かどうかは分からないが、おそらく現金以外はどこかに捨てたのだろう。テヘランの後遺症を引きずりながら大通りを歩き、とりあえずコンビニの看板をさがすことにした。
しばらくして公園にもどってみると、滑り台で遊んでいた子どもたちの姿はなく、乾いた夜の空気がただよっていた。赤茶色の時計塔は、息を潜めてぼくたちふたりを見守っている。なんだか不思議な光景である。ぽつねんと座っている少女を見ているぼく。その少女はと言えば、円状のベンチに座ったまま身動きひとつしない。まるで、メデューサに睨まれているかのようだ。
さっきと同じ木製のベンチに腰をおろし、今夜の予定について考えることにした。ポケットから携帯電話を取りだして、あ行から順番に電話帳を検索してみる。高校から大学にかけてうずたかく蓄積されたメールアドレスと電話番号のうち、ぼくが実際に使用している連絡先は数える程しかない。
八割強ともいえる残りの人たちは、通行人や群集などを演じるエキストラのようなものであり、代替可能な人たちという位置づけになっている。外装フィルムをとり、新しい煙草に火をつけた。さきほど作った砂の灰皿は、いまだ健在である。
画面内のカーソルをひとりの友人に合わせたが、考えた末に連絡しないことにする。仕事はもとより、物語すら見つかっていない今の状態で飲みに行ったとしても、暖かい雰囲気にはならないと考えたからだ。とりあえず少女にお礼を言って、それから家に帰ろう。そうだ、こんな日には駅前のツタヤに寄って、ぼくの好きなヒューマン映画でも借りて観ようじゃないか。
パキリッ。パキリッ。パキリッ。枯れ枝を靴底で踏むたびに、公園から静寂が逃げていく。その時、とつぜん少女と目が合った。明らかに警戒している。それでも、ぼくは足をとめなかった。暗闇で足を止めた瞬間、それこそ絵に描いたような不審者になってしまうからだ。もう少し、あとほんの数メートル。
「こんばんは」
「・・・」
「あの、さっきは・・・ どうもありがとう」
「どういたしまして」
「・・・」
「・・・」
「ひとつ、聞いてもいいかな?」
「はい、どうぞ」
「さっきからずっと座っているけど、誰かと待ち合わせ?」
「ううん、誰のことも待ってないよ」
「ただ、座っているだけ」
「そう、なんだ」
「・・・」
「・・・」
「寒くない?」
「うん、寒い」
「でも、もう慣れた」
そう言うと少女は立ちあがり、両手をぐっとひろげて伸びをした。
赤茶色の時計塔は、緊張した様子でぼくたちを見下ろしている。
「じゃあ次は、私の番ね」
「はい・・・」
「あなたは、いったいここで何をしているのかしら?」
「なにって、秋葉原に遊びにきたんだよ」
「遊びに? ひとりで?」
「そう」
「まあ、観光って言ったほうが正しいのかな」
ポケットをまさぐり、煙草を取りだそうとしたが、少女の前では吸わないことにした。
「観光ねえ」
「ええ、観光です」
「オタクにも見えないし、あなた何してる人?」
「んん・・・ なにもしていない人」
「なにそれ?」
「つまり、んん・・・ ニートになるのかな」
「ふーん」
「・・・」
「何か、やりたいことでもあるの?」
「いや・・・ とくには」
「そう」
少女は小さく肯きながら、タイヤのブランコに腰をおろした。どうやら、次の質問を考えているようだ。よく見ると、横髪からベンガルを思わせる小さな耳がふたつ生えている。それに、ときおり左手で髪を耳にかける癖があるようだが、自覚しているのだろうか。新種のねこを観察するような好奇の目にようやく気がついた制服少女は、なに、と目をほそめ、それから、となりにおいでよ、と言って手先を上下に振り年上のぼくを惑わすのだった。




