16 雪かぶりの少女
突然だが、我が家に総理大臣が視察に来ることになった。
本当に突然だ。
台風だって上陸日時と進路を1週間前には教えてくれるというのに、総理大臣とやらは明日急遽ウチに来るらしい。
アポは余裕をもって取れよ、と。
ホスト側にも準備期間というものが必要なんだよ、と。
何様だオラ、と。
バーカ、と。
言いたいことは山ほどある。
だが、相手は総理大臣様で、事はすでに決定事項。
不満をぶちまけたところで掃除の手間が増えるだけだ。
「僕だって今朝知ったんだよ」
見崎も目を回していた。
来訪の目的は視察だそうだ。
総理大臣によるダンジョン視察は初めてらしく、世界的にも国家首脳の迷宮入りは前例がないとか。
その積極性は国民の一人として評価したい。
だが、なぜウチ?
本邦には、ほかに16のダンジョンがあり、ウチはそのひとつにすぎない。
よそに行け、よそに。
と文句を言ったところで、やはり結果は変わらない。
そこは台風と同じだ。
来ると言ったら来るのだ。
「明日の午前中にはいらっしゃるから、僕が教えたこと、ちゃんと復習しておくように」
そう言い残し、見崎は真っ暗な住宅街に消えていった。
結婚詐欺師直伝のマナー講座は妙に堂に入ったものだった。
しかし、付け焼刃のマナーなど作り笑いと同じじゃないかと俺は思うね。
そんなものを献上されたところで総理が喜ぶとは思えなかった。
寒々した玄関からコタツ部屋まで戻ってきて俺は立ち尽くす。
「総理大臣……」
なんじゃそりゃ。
一生涯、ご縁の欠片もなさそうな雲上人が明日ここに降臨するってよ。
「テレビとかも来るよな……」
普段テキトーに生きている俺が柄にもなく緊張していた。
廊下と居間の間をうろうろし、掃除したり、人に見られたくない私物を仕舞ったり、落ち着かない時間を過ごした。
金持ち御用達の高級ヘアサロンに行ったためか、踵を返すたびにいい匂いが鼻をくすぐった。
そして、だんだんと馬鹿馬鹿しくなってきた。
総理は別に俺に会いに来るわけではない。
ウチのダンジョンを視察に来るだけだ。
おそらく俺は遠巻きにその姿を見守るだけになるだろうし、最悪、ハーイ一般人は出ていってくださーいと厄介払いされるだろう。
よしんば言葉を交わすことがあったとしても、「お邪魔するよ?」「あ、どうぞどうぞー」くらいのものだ。
そもそも総理がナンボのもんだ。
2年かそこらで次の顔に変わるような連中だ。
ウチのコタツなんて半世紀は現役だ。
こいつがここに鎮座したとき、まだ俺の両親すら生まれていなかった。
もうウチのコタツに日本の未来を委ねればいい。
きっと温めてくれるはずだ。
というわけで、俺はいつも通りコタツでぬくぬくさせてもらおうと思う。
さすがに玄関まで迎えに出るくらいはしてやらんでもないが、それだけだ。
茶も出さん。
自分で淹れろ。
視察でも空撮でも好きにしろ。
そんでさっさと帰っちまえ。
開き直ってふんぞり返り、熱い茶を湯呑みに並々と注いだところで、俺はふと違和感を覚えて顔を上げた。
――くしゅん。
今、チワワのくしゃみみたいなのが聞こえた気がする。
いちおう、コタツの中を確認するも、そこには空虚な洞窟が広がるだけだ。
押し入れを開けたり、風呂を覗いたり、台所の暖簾に首を突っ込んでキョロキョロしたりしながら、最後に玄関へ。
すりガラスに小さな丸い影を見つけた。
ガラガラと引き戸を開けると、刺すような冷たい風が吹き込んできて身がすくんだ。
粉雪が土間に白い点を打つ。
そんな中、セーラー服姿の少女が膝を抱えていた。
「何やってんだ、お前」
普通にホラーだ。
でも、普通に知っている奴でもあるので普通に声をかけてみた。
迷自所属のSランク異能者で現役女子高生。
俺の1コ上であり、1コ下でもあるテレポーター。
そいつは誰あろう、あいつだった。
籠目飛音二尉である。
「何って……座って待ってる。明日、ここで仕事だから」
凍ったようなかすれ声だった。
暗がりの中に顔だけが浮かんでいるように見えるほどに顔が白い。
肩と唇が震えていた。
「家出少女って感じだ」
「そうなの。出てきた」
「ホテルを取るとかは?」
「高校生だし、一人じゃ無理」
「迷自の施設は?」
「だめ。親元に帰される。人事考課も傷つくし」
「じゃあ、れっきとした家出だな」
「だから、そう言ってる」
長い黒髪が粉砂糖をまぶしたように真っ白だ。
食べると甘そうだな、と思った。
「入れ。雪だるまになるぞ」
「いいの? 神降臨?」
「俺は神じゃないが、コタツは冬の神だ」
ウチのコタツは年代物だから、そのうち本当に神になるだろう。
付喪神にな。
「じゃ、入れて」
ずび、と鼻を鳴らして籠目は立ち上がった。
そのままフラフラと体を預けてくる。
ドキッとした。
悪い意味で。
籠目の体は柔らかくも温かくもなく、ただただ冷たかった。
氷の像のように。
「コタツに入れても溶けないでくれよ?」
背中におぶって暗い廊下を行く。
耳に当たる小さな吐息は温かかった。
「ねえ」
「なんだ?」
「髪、切った?」
「切った」
「いい匂いする」
「さいで」




