第二十三話 それは呆気なく
聖女は走っていた。ピシアンティア帝国に戻り、レナと別れ大聖堂に向けて走っていた。すれ違う人々に笑顔はない。帝国を離れて僅か一月足らずですっかり変わってしまっていた。その事に胸を痛めながらも走った。纏めていた髪が乱れていくのも感じていたが今はなりふり構ってはいられず、流れていく銀糸にすれ違う人々は口々に聖女様と呟いていた。
持てる力を持ってようやっと辿り着いた大聖堂は汚れていた。いつも手入れされていた花壇も無残に荒らされ、壁には茶色くなった染みがべったりとこびりついていた。同じく過ごしていた近所同士で、同じ学校に通っていた生徒同士で、誰が敵か味方か分からないそんな疑心暗鬼な中で彼らは戦っていた。
「っ……」
唇を噛みしめ聖女は一歩を踏み出す。あるものは歓喜を、あるものは絶望を、あるものは憎しみを抱えて聖女に向かう。
「聖女様をお守りするんだ!!」
志気が上がったのか威勢の良い声が響く。その一言を皮切りに争いは激しさを増す。だが聖女には一つとして傷はつかない。何故今ここに聖女が現れたのか、皆は知る由もなかったがそれでもこの場に立つ姿にこれから何かをするとだけ知っていればそれだけで充分だと言わんばかりに愚直に、ただひたすらに聖女を守る姿がそこにはあった。
ごめんねよりありがとう。切り開かれた道の中へ飛び込んでいく。勝手知ったる住処だ、聖女はまず謁見の間へ向かう事にした。その部屋は広い。道中味方のふりをして寝返った帝国民もいたが聖女の敵ではない。障害にすらなれず残らず昏倒させられていく。例え敵となったとしても今まで守ろうとしてきた存在だ、今更切り捨てることも出来なかった。
「ここじゃない、ビルフラン何処に」
大聖堂の内と外は激しい争いが繰り広げられていた。あの男がわざわざ下手な芝居を打って逃したのならこの中にいるはずだと聖女は分かっていた。だが謁見の間にも姿は見えない。何処かで戦っているはずなのに姿が見えない。焦りが募る。とそこで隠し通路のことを思い出す。その先に大部屋がある。あの場所には殆ど足を踏み入れた事はなかったがいざというときの物が保管されてもいる。もしかしたらと思う前にすでに体が動き始めていた。何処からか湧いてきたのか賊の輩も倒しながら目的の場所へ向かう。
その部屋は人除けの呪いがかけられていた。聖女が足を踏み入れた途端に呪いが解ける。もしかしたら自身が来ることを見越していたのかと歯噛みして祭壇に手をかける。
スライドする祭壇の下から隠し通路が現れる。すたっと飛び降り耳を澄ます。その耳はキンッと金属が石か何かに弾かれたような音を拾った。態々このような場所で戦うのはあの男と——
飛びつくように扉に駆け寄る聖女。音がしない。まさか先程ので決着がと焦る聖女はそこで一生を悔やむ行動を起こしてしまう。
こんな時だからこそ冷静にならねばならない。だが焦燥感の強かった聖女は勢いよく扉を開けてしまった。大きな音を立ててしまった。扉を開けた音に驚く姿が二つ。聖女を見て瞳孔を開き驚いていた。そして……
すぐに我にかえったのはピシアンティア帝国の王、デセオだった。デセオは胸元から短剣を投げ、それは注意がずれたビルフランの胸にグサリと刺さった。茫然とするビルフランと聖女。そして更にもう一本、聖女に短剣が飛んで来る。動けずにいた聖女に影ができ何かが倒れ込む。茫然としていた聖女は倒れた姿に視線を送るとビルフランの肩口に柄まで刺さっていた。
「あ、あぁ……」
赤い染みがじわじわと白いシャツに広がっていく。ビルフランは起き上がらない。そしてデセオが持っていた剣で迫って来る。
「デセオーッ」
聖女は吠え真っ向からデセオに向かう。デセオはまだ茫然としていると思っていた為、動揺し剣先がぶれる。切っ先が聖女の髪に触れ、長かった銀髪が一部はらりと落ちる。ピッと斬撃からか頬が切れるが聖女は止まらない。がしりと勢いそのままにデセオの首を掴み押し倒した。
「何故、何故あなたはこのような真似を!? 答えろ」
「グゥっ……」
ギリギリと首を締める手に力が籠る。デセオは顔を赤くし必死に抵抗している。だが聖女の力は揺るがない。酸素を求めてはくはくと口を開閉するが肺に空気は満たされなかった。首を締める手を両手で引っ掻き引き離そうとするが爪の間に皮膚が詰まるだけである。
怒りに燃える聖女の目がデセオの手から零れ落ちた剣を捉える。ガッと左手でそれを掴むと、意識が朦朧と仕掛けていたデセオの顔目掛けて柄を両手で持ち切っ先を落とした。深々と骨さえも貫き眼孔から剣が生えたオブジェに変わり果てる。はぁはぁと肩で息をする聖女。
「ビルフラン……」
よろよろと覚束無い足取りで倒れた男に駆け寄る。息はまだあったがもうそれも弱く、もう助からないのだと悟る。
その時、小さく男の口が開く。閉じていた目も薄らと開け何かを伝えようとするのを見て静かに凝視をする。
「まも、……り……かた……」
「しあ、わ……せに……」
「……馬鹿じゃないの。私、あなたがパパだって知ってた。幸せにしたいなら、守りたいなら。私がそうなるまで最期の最後まで、足掻いて足掻いて足掻いてそれで見届けなさいよ」
「あぁ……綺麗だ……」
もう意識も朧で混濁しているのか会話が成り立たない。ただ男は目を細めて聖女の顔を、娘の顔を見て満足げにしていた。それが最期の言葉だった。
聖女は体温を失っていくそれから短剣を引き抜く。鼓動を辞めてしまった体から赤い液体は噴き出すこともなく。そっと左手で男の頬に触れ乱れた髪を払いその穏やかな表情を見つめて抱きしめた。
それから暫くしてレナが部屋に駆けつけてからも、静かに涙を零す聖女の姿がそこにはあった。
その後、王が倒れた事によりあっさりと内戦は治まった。デセオは外から様々な者を雇い呼びせて戦わせていた。その者たちが略奪など暴挙に出ないようデセオが約束していた報酬より少なくはなるが聖女は出す事にした。それでも納得いかず暴れる者は聖女直々に出向いた。
しかし外から雇い入れた者が多いとはいえ、王側についていた者も数多く残っていた。彼らは女が実権を握る事を嫌っていたり、はたまた家族を理由に脅され泣く泣くであったりと理由は様々ではあったがそれでも度々国民がぶつかり合うことがあり、その度に聖女は胸を痛めていた。
それでも聖女は前を向き歩みは止めない。
内戦が落ち着いた頃、戦死者の弔いが行われた時は国中が涙流す中聖女は泣かなかったという。ビルフランは聖女を守った英雄として讃えられ、修復作業中の大聖堂の屋上庭園に墓標が建てられそこに埋められた。聖女とレナは墓標の前に立っていた。
「あなたには聞いて欲しいことがある。——私はこの国に生まれこの国で死んで、この地を私が私である限り守り続けようと思う。私は一度逃げてしまった。だけど逃げたってどうしてもこの場所が気になってしまう。最悪な思い出も沢山ある。というよりもそっちの方が多いかな。でもそれでもやっぱり私はここを、私が愛し続けたこの場所を守りたいって。
……一つに権力を集中させると良くないと歴史を見て思ったから権力を持つのは私と、そして王を作った。だけど最初はうまく行っても後々に血筋ではどうしても崩れる事を学んだわ。今回のことで私がこの地を守るには私が私である以上、私という聖女が全てに目を通せばいいってそう思った。どんな時でも私はこの地が好きって気持ちは変わらなかった。同じ土地に住む人と人が争う事にいつまで経っても慣れない。私は争いを、悲劇を無くしたくて聖女になった。その事をよーく思い出した歴史だった。でもね、私だって聖女だなんて大層な呼ばれ方しても所詮は人間。長い歴史の中で考えが変わらなくても今後もそうだと言える絶対なんてないと、それは誰よりも知っている。だからあなたにお願いがある。もし私が暴走してしまうことがあればあなたに私を粛清してほしい。あなたじゃなきゃ止められないとは思うのもある。だけど、あなたがこの世界の愛し子だから。あなたの選択に世界は従う。どんな世界であれどあなたの思うがままに。私はそれが皆が幸福である事を願う」
「まるで何百年と実際に生き、今までこの世界を見て行動してきたような口振りね。 それにまた同じ事を言う」
「私は……。あなたは世界に望まれ祝福された存在よ。本当にただそれだけ。神と変わらぬ存在、今はまだそうではないけれども」
今はまだそうではないが神と変わらない。その言葉にレナは反応をする。
「私は結局何者なの? まだそうではないってそれはいつその時が来るの? どうしてあなたに分かるの?」
聖女はまるで眩しいものでもみるかのように目を細め、
「同じ人間よ。とびきり特別なだけの。……人の一生は短いわ。だけど答えはきっと今のあなたが知るべきではないと、共に過ごした今ならよく分かる。結果を知るまでの過程が大事なのよ」
「そう言っていれば、いつのまにか知ることもなく老いて死んでいきそうな予感もするのだけれど」
「ふふっ、それでもいいとは思うわ。知ったからといって幸せになる訳でもない。むしろ苦しい思いや辛い事が増えるでしょう。そんな時は話ぐらいは聞くわ」
聖女は笑った。
「どうして教えてはくれないのに親切しようとする?」
「……同情かしら。私は沢山の事を見てきた。主にこの地の事ばかりだけれど、長生きしているエルフたちよりも知っている事もある自信がある。長い歴史を知るお節介もあるのかもしれないわね」
「あなたは一体何者なの?」
「……私はペルトゥア。この国の始まりを知り、そして終わりを見届ける者よ。ただそれだけ」
何処となく吹っ切れたような顔で聖女ペルトゥアはレナの手を取る。
「今回巻き込んだ形になったのはとても申し訳ない気持ちでいっぱいよ。でもあなたに会えてよかった。とても人臭く人生に迷っていてよかった」
「褒めてる?」
「いいえ。でも馬鹿にしてはないわ。私はそれが嬉しいの」
「そう」
そこで会話は途切れる。だが気まずくなることはなく、やがて聖女を呼びにきた者が現れ二人は別れた。
「人間臭い、か……」
ポツリと呟かれた言葉は澄みきった空へと溶けていった。




