第十七話 夜に訪れる者
部屋は変わりレナはだだっ広い部屋の中で1人で寝るようになった。とても静かな部屋だった。ちなみに女中を外す事は出来なかった。
(嫌々ながらなのは王様も分かるだろうに)
日中はドヴェルグと城下町にいるストリートチルドレンとともに武器や防具を作ったりと常に外に出るようにしていた。金属を打つ音を連日のように聞いていた。リヨンにドヴェルグは真剣に教えているのを確認しつつ、まだ小さな子には怪我をしないよう目を向けて環境に慣れ、悪戯をするようになれば問答無用で外に締め出しそういう場ではないことを分からせレナと子どもたち、そしてドヴェルグは日に日に絆を結びついていった。
——それを陰で見守る者がいる事をレナは気がついていたが害を加えられなければいいと放っておいた。
とある夜、突然前触れもなくレナの元を訪れる者がいた。エヴェレットだ。
「少し飲まないか」
とろりとした黄金色の蜂蜜酒片手にエヴェレットは硬い表情だった。レナはこれは何かあると勘付きながらも素直に招き入れる。
とくとくと透明なグラスに注がれる蜂蜜酒はふわりと甘く爽やかな香りを漂わせながらすぅーっと泡の立つ様はとても美しかった。スパークリングの蜂蜜酒のようだ。酒だけというのもどうかという事でレナはつまみになるものを外に立っていた女中に頼み暫く互いにグラスを見ていた。当然会話の弾むような性格でも親しい間柄でもない。緊張感がそこにはあった。
だがいつまでも無言でいるわけでもなく、やがて重くエヴェレットの口が開かれる。
「今宵は月が綺麗だな」
「そうですね、雲もなく月の光が眩しいくらいです」
「あぁ……」
部屋に明かりはつけていない。だが入ってくる月の光だけで充分な光源は得られていた。
そこで一度会話が途切れる。エヴェレットの思惑を図っているとつまみが運ばれてきた。ドライフルーツにジャーキー、チョコレートやチーズにナッツ、そのどれも酒が進みそうなものだった。
「とりあえず飲みましょうか」
グラスを傾けまずはレナが口に運ぶ。炭酸が軽く舌に刺激を与える。あまり炭酸は強いものではないが泡が弾けるたび香りが口の中いっぱいに広がり鼻へ抜けていく。とても美味しい蜂蜜酒だった。そう美味しい……だがレナは少しの違和感を感じる。
(果物の……林檎の香りもあるけれどこの甘さと匂いは以前……)
とろりとした甘さにいつまでも嗅いでいたくなるような華やかな花の香り。エヴェレットは痛いほどにレナを、レナのグラスを見つめている。それに気がつきあぁと悟る。
——毒だ
レナは元々毒の類など効かない。が、あまりに強力なものだと体調不良を起こす。今飲んでいるものは昔舐めた事のあるものに似ているなとレナは思い出した。とても、とても強力な毒だった。多量に飲めばすぐに人は死ぬ。多量でなくとも処置をすぐにしなければ半日で命を落とす。そんな毒にそっくりな甘さと香りだった。
この男は卑怯な真似が嫌いだったのではなかったか。よほど自身が邪魔だったのかとレナは少しおかしな気持ちになる。
「……っ」
とても美味しいですね。レナは目を見返し蜂蜜酒の感想を漏らす。それを見てエヴェレットは息を飲む。レナは何事もないようにグラスに注がれた黄金色の毒を飲み干して見せた。
「おかわりをしても?」
「あ、あぁ……」
とくとくと再び注がれる黄金。今度はつまみを口に入れながら舐めるように少しずつ飲んでいく。その間もエヴェレットは身動き一つしない。もう視線は下がりレナを見ていない。
(演技が下手くそだ。誰でも何かあるってバレバレなのに)
レナはエヴェレットに酒を勧めなかった。それはそうだろう、強力な毒入りなのだ知っていて飲むのはそれはただの自殺志願者かただの好奇心に負けた愚か者ぐらいだ。
「エヴェレット様、お話しましょうか」
弾かれたようにエヴェレットは顔を上げる。少し目が泳いでいる。この場の主導権は毒を喰らったレナが完全に握っていた。
レナは城下町の人々の様子、子どもたちの様子、そしてドヴェルグとの昔話を語って聞かせる。それが耳に入っているのかいないのかエヴェレットは相槌一つ打たない。いつしか2杯目もなくなりレナはさらに3杯目となる蜂蜜酒をグラスに注ぐ。そしてそれを煽りグラスの半分を一気に飲んでしまった。
(こんなに毒を飲んで明日も元気に生きていたらどう思うんだろう)
炭酸が上がってきて噯気しそうになったレナは手で口元を押さえる。次は毒入りでないものを飲みたいものだと思ったその時、久しぶりにエヴェレットが呟く。
「……めろ」
「ん?」
「止めろ! 飲むなっ!!」
パシンと叩かれ落ちたグラスを毛足の長い絨毯が柔らかく受け止める。割れはしなかったが溢れた黄金はみるみる吸い込まれていき絨毯は黒く濡れた。もったいないそう思っているとエヴェレットが立ち上がりレナの元に飛び込んでくる。そして無遠慮に冷たく湿ったゴツゴツとした手がレナの口に突っ込まれる。
「吐けっ!! 早く、吐くんだ」
ぐりぐりと喉奥を攻められ、レナは生理的な涙と嗚咽を漏らす。トントンと背中も叩かれて吐け、吐くんだと何度も繰り返し怒鳴られとうとうビシャビシャとレナの口から胃の中のものが溢れ始める。胃液が喉を焼き、特有の臭いが辺りを漂い始める。それでもなおまだ吐けるだろうと言わんばかりに一呼吸入れる度に口に手を突っ込まれレナは涙と胃の中の物をぼたぼたと絨毯の上に溢しながら、なぜ助けようとするのか分からなかった。
(良心の呵責かしら……あぁ、もったいない。苦しい、気持ち悪い)
いよいよ吐くものがなくなった頃ようやく口から手が抜かれる。ぐいっとレナが口元を拭うと今度はこれを飲めと何処から出したのだろう茶色い小瓶を開け口の中に突っ込もうとする。カツンと瓶の口に歯が当たり痛みが走る。レナは思わず顔を顰めるがエヴェレットはそのまま瓶を傾け苦い液体が流れ込む。少し気管に入ったのか咳き込むも吐き出すことは許さないとばかりに口を押さえ込まれる。流石に苦しいと思いながらもレナは懸命に苦い液体を飲み込んだ。ゴクリと飲み切ったところでようやく解放される。膝をつき目線だけジロリとエヴェレットを見上げれば何故か苦しげに眉尻を下げた情けない表情がそこにはあった。
「何故あなたがそのような顔を?」
「ぬしはなぜ飲み続けた。何かしら勘付いていたはずだ」
「私は何も……」
「惚けるなっ! ぬしはこれ見よがしに飲む様を見せつけていたではないか!!」
首を掴まれ押し倒される。吐いた上に倒れなかった事が幸いだった。少し苦しいぐらいに掴んでいる手にレナは手をかける。
「あなたは、私を殺したいの? 殺したくないの?」
そうレナが問うとぐっと手に力がこもりさらに首を圧迫される。息が苦しくなる。だがかひゅっと乾いた息が漏れると力が緩められる。目がオロオロと動揺していた。
「……っ、ぬしは何故ろくに抵抗もせん。ドラゴンを片手でいなすような者ならわしぐらい赤子の手を捻るかのように飛ばす事もできるはずだ」
「……」
「何故何も言わぬ。ぬしは今殺されようとしているのだぞ」
「今のあなたに私を殺せるとは思わなかったから。一体何を恐れているの? この国の頂点に立つ男が、泥水を啜り這い上がってきた男がなぜこんな小娘1人手をかけられないの?」
「黙れ、黙ってくれ……」
首にかかる手が震えていた。よくこんな状態で殺そうと来たものだと思った。今までだって多くの命を屠ってきただろうにと不思議ではある。
「私を殺そうと思った理由は何か聞かせてもらえる?」
レナは左手を伸ばし、エヴェレットの頬に触れた。ピタリと震えが止まる。僅かに見開かれた目が閉じられた。そして首にかかった手が離れエヴェレットはレナの上から退いた。どかりと側にあったソファに深く座り込み暫しの沈黙が訪れる。
「怖かったのだ……」




