学園編-13
そこには、訝しげな顔をした真っ白な髪の毛の老女が書斎の入り口のドアノブに手をかけたまま固まっていた。
イグレイン、確かにこの老女はそう言った。
沈黙は一瞬だったのだろうが、とても長く感じた。
「…なにをしている、何者だ」
しっかりと通る声で問われ、私は慌てて両手を広げた。
「ごめんなさい!その…空間転移の魔法陣の練習をしていたら間違えてここへ移転してしまったみたいで…私魔術師見習いなんです」
そう言うと、ポケットからチョークを取り出して見せ、さも困ったように眉を上げて老女を見つめる。
老女はチョークを見つめ、そして私の顔をまじまじと見つめると、
険しかった顔を少しだけ緩めた。
「貴女みたいな若い子がそんな高度な魔術を学んでいるなんて、戦争も終わったのに…この国はまだそんな事をしているんだね」
忌々しげに吐き捨てる老女に、私は先ほどみた古文書に目をやりながら腕を下ろした。
「魔術、お詳しいのですね…奥様も魔術師なのですか?」
「とっくに引退したけどね、この家は代々魔術師の家系なんだよ」
緊張で指がしびれるような感覚がした、そっと両手を前にして指を絡ませる。
「その…もといた場所に戻りたいのですが、ここはどこなのでしょうか…?」
「ここはブリタニカ王国の王都から150マイルほど離れた田舎の村さ、我がフォーシス家の領地だよ」
来た、遂に私は来てしまった。
呪いによって命が絶たれた母の過去、真実を知ることができるかもしれない。
私は平静を保つよう見せかけながらも、ごくりと唾を飲み込んだ。
老女は突然侵入してきた不審な少女が疑わしいのか、不機嫌そうな顔をしたまま私を廊下に出るよう促した。
「練習熱心なのはいいがもう夜も遅い、若い娘一人、何処に帰るにしても明日の朝以降にしなさい」
…どうやら怒っている訳ではなさそうだ。
私は素直に廊下へ出る。
書斎の扉を閉めると、老女は「何か飲むかい」と表情を変えないまま言い歩き出した。
私は一言「ありがとうございます」と返すと、そのあとについていく。
屋敷は広く、かなり年期の入った風な作りになっている。
降りて行く階段の手すりも、木製で使い込まれてはいるが手入れのされた艶やかな表面をしている。
使用人はそれほど雇われてはいないようで、一人の女忠が談話室の扉を開けて一礼し、出ていった。
私は促されるままソファーに座る。
老女も向かいの1人掛けソファーに座ると、肘掛けに肘を載せ頭を預けた。
「私、モルガンと申します、差し支えなければ奥様のお名前をお伺いしてもよろしいですか…?」
老女はこちらの様子を伺うように目線だけ私に向ける。
射抜くような鋭い視線だ、年老いてはいるが聡明さが瞳から伝わってくる。
しばらく私の顔を見つめていたかと思うと、老女は顔をあげ、膝の上で手を組んだ。
「オリビア・フォーシス、このフォーシス男爵家の唯一の後継者だよ」
老女、オリビアはにこりともせずにそう答える。
部屋に入ってきた女忠から良い香りのするハーブティーを受けとると、片手をあげて下がらせた。
「…先ほど私をどなたかと間違われていたようですが、イグレインとはどなたなのですか?」
「娘だよ、貴女の後ろ姿が娘に似ていたから…失礼したね」
私の問いかけに、オリビアは視線をティーカップに落としたまま無表情に答えた。
当たり前だ、と私は心のなかで呟いた。
私は貴女の娘の子供かもしれないのだ、と今すぐにでも打ち明けたかったが、ケイから私の出生に関わる事柄は他言無用であると固く言いつけられている。
律儀に守ってやる必要も無いと思っていたが、悪戯に言いふらして回るのも良いとは思えないので、喉まででかかった言葉は一度飲み込んだ。
「ご息女はどこかに嫁がれたのですか?ご家族は皆様家を出られてらっしゃるのでしょうか?」
跡取りもなく、このオリビア1人で屋敷にすんでいるのだろうか?
そこまで聞いてしまってから私は口をつぐんだ。
家に侵入してきた得体も知れない少女に、家の事をあれやこれやと矢継ぎ早に問いただされて良い気はしないだろう。
現にオリビアはこちらをじっと見つめたまま口を開かない。
やってしまった、と、私は前のめりになっていた身体を戻して「失礼いたしました」と小さな声で謝罪し、うつむいた。
カチャンとティーセットが置かれる音がした。
顔をあげるとオリビアと目が合う。
「家族はみんな国に殺された、あの戦争で死んでしまったよ」
戦争…?戦争が起きていたなんて初耳だ、
母もケイも、私があの屋敷に住んでいる頃にはそんな事一言も言っていなかった。
私が呆けているのに気づいたのか、オリビアは元々困ったようにしかめられていた眉毛をさらに寄せ、ソファーの背もたれに身体を預けた。
「貴女の歳じゃまだ小さかったろうから覚えてないかも知れないけどね、14年前までは5年間もの間この国は大きな戦争をしていたんだよ」
私は一度戻した体勢を、もう一度前のめりにかえる。
オリビアは淡々と話をし始めた。
「私には3人の子供がいて、一番上の息子と、真ん中に娘、末に弟の仲の良い兄弟だった。我がフォーシス家は代々魔術師を輩出する名家だったから、子供達は学校を出るとすぐに魔術機構に入ったよ、
みんな優秀だったが、優秀故に伴侶も探さずに仕事一筋だった。ただ娘のイグレインは、親の私が言うのも変な話だがそりゃ美しい子でね、まるで妖精のようだと周囲からもてはやされていたのさ。
ある日娘の前に同盟国の王子が現れてね、二人は恋に落ちてイグレインだけはその同盟国へ嫁いでいった、だが時代は残酷でね、ちょうどその頃隣国との戦争が起こった」
私は美しかった母を思い浮かべる。
外に一歩も出さなかったのは、戦争が起こっていたからなのか?
あれは疎開ということだったのだろうか、そうなってくると話は早い。
「敵国は強力な魔術師を有していた、魔術師は厄災の黒い竜を召喚しブリタニカを襲ったんだ、その黒い竜は特別な、湖の乙女という妖精の魔術を使えるものでないと倒せない、
我が家はその魔術の使い手でね、魔術を使える若い者は一族総出で黒い竜の討伐に出された…私の子供達も例外じゃない。
無事に黒い竜は封じることが出来たが、代わりに我が一族は全滅してしまった、みんな戦争で死んでしまったんだ」
「みんな、ですか…?」
胸の鼓動が早鐘を打つ、少なくとも1人、例外がいるはずだ。
私の目の前で死んだ彼女は、
「お嫁に行かれたイグレインさんも…ですか?」
オリビアは瞳を閉じて、深く頷いた。
「イグレインも、戦争がはじまって2年経ったときに国に呼び戻された…夫と引き離されてね、イグレインの夫も徴兵されて同じ頃に討たれたらしい、本当に胸糞悪い話だよ」
心臓がうるさいくらいに跳ねる。
私は胸に手を当てて、ぐっと胸元を握った。
戦争で死んだイグレイン、ならば、私の母は何者なのだろうか?
眩暈がする、私は瞼を閉じて深く呼吸をした。
そして顔をあげると、振り絞るように問いかけた。
「どうして…そんな話を私にしてくださったのですか…?」
すると、オリビアは私を見つめ返すと自傷気味に微笑んだ。ここにきてから初めての笑顔だった。
「…ありえないがね、もしイグレインと、あの子の愛した夫との間に子供がいたら、きっと貴女みたいな子になってただろうと思ってね、貴女もきっと将来美しくなるだろう」
今にも泣きそうな気分だ、しかしその衝動を堪えると何とも言えない表情で微笑むことしか出来なかった。
その夜は昔イグレインが使っていたという部屋を使うように言われた。
それは私が最初にこの屋敷に来た時の部屋だった。
整えられたベッドへ遠慮せずに潜り込んで天井を見上げる。
私の心には、ある確信めいた思いがあった。
胸のざわつきを抑えて、私は静かに瞳を閉じた。




