第五十四話 ありがとう、お母さん、お父さん。
景色が変わる。もう何度目だろう。
だが、変わった事で自分たちの答えは間違っていなかったと確信する。
ここは、オデットの家の寝室……今のニナの部屋だ。
柔らかそうな藁の布団には一人の女性が横たわっていて、数人の男女が彼女を囲って何か話している。
『どうなることかと思ったけど、無事生まれてよかった』
横たわっている女性……ニナの母親、ディオナの腕の中には小さな子狐がいる。
つまり、これはニナの生まれた時の光景。
『まあ、そもそもお主が人間とのハーフじゃ。無事生まれない確率の方が低い』
と、オデットが言う。
さらっと重要な情報が聞こえた気がする。そうなるとニナはハーフのハーフだから……クォーターということになるのか?
『それでも……私にとっては初めての子だから』
ディオナは一体何歳なのだろう。オデットよりも若干幼い雰囲気ではあるが、見た目の年齢に違いは無い。
ディオナは慈しむようにニナを撫でた。それは、微笑ましい光景だ。
『……すまない』
しかし、金髪の男が目を伏せて絞り出すような声で言った。ニナの父親だろうか? しかし、先程までの映像に比べて随分と若く見えるが。
『どうして謝るの、ニコル』
『……やはり、この子は……ネリー、そうだろう?』
ちらり、と父親……ニコルが部屋の隅の方で腕を組んで立っている女性を見やる。暗がりにまぎれていてよく分からなかったが、その姿はまぎれも無くネルだ。
『うん、そうだね……この子は、残滓だよ。先天性のね』
先天性残滓? そういえば八雲ちゃんが以前、似たような事を言っていたような……。
そう思っていると、ちょうどディオナも同じように不思議そうに首を傾げた。
『まあ、知らないのは無理も無いね。後天性と違って滅多に無いことだから。断片のニコルの魔力特性を受け継いだこの子は生まれつき残滓としての特徴を持っている。それも、劣化版のね。もちろん今はまだ残滓ではないけれど』
ニコルの拳が強く握られる。その手は震えていて、何かを強く悔やんでいるように見えた。
『この子は……ッ、この子は成長できない……』
その言葉に、ディオナの表情が陰る。
『……そうなの? ネリー』
『……そうだよ。先天性残滓は澱みを溜め込む性質だけはきっちり引き継いでる。なのに、断片じゃないから『エーテル拒絶』のスキルが無い。エーテル適性もそのまま残ってるんだ。まして、血は薄いとはいえ妖狐種だろう。エーテルへの適性は普通の人間よりずっと高い。つまり、体内で常に澱みとエーテルがぶつかり合ってしまう……』
やはり、ニナの抱えていた苦しみの原因はこれだったか。
ぎゅっ、と袖を掴まれた。見下ろすと、ニナが心細そうに俺の腕を掴んでいた。だが、その目は強い。自分の真実を知ろうと、しっかりと両親たちを見据えている。
『さらに、レベルアップしたり進化したりした瞬間に溜め込んだ澱みが暴走して残滓化する。間違いなく発狂するだろうね。だからこの子は成長できないんだよ。せめて、人の血を濃く引き継いでいれば成長に進化やレベルアップが関わる事も無かったんだろうけどね』
『……どうしようも、ないの? その話を聞いていると……普通にしていても澱みを溜め込んでしまうわ。ただでさえこの森は澱みが多いのに……』
あの森は大量の残滓や断片が落ちて死んでいく事で、異常に大量の澱みが溜まっている。その全ては結局ニナに吸収され、今は俺が全て受け持っているが。
『あぁ、それならニコルが生きている限りは大丈夫だよ。ニコルは断片だからね。さすがに先天性残滓なんていう残滓の卵よりは澱みを吸収してくれるさ』
ネリーはちらり、とニコルを見るが、ニコルはそれには気づかずニナをじっと見つめていた。その表情はやはり暗い。
まるでお通夜だ。
ニナが生まれた祝うべき日だというのに。
『じゃあ、大丈夫ね』
『え?』
しかし、そんな空気を払拭するようにディオナが明るく言いながらニナを抱き上げた。
『だって、成長できなくたってこの子はこの子だもの。私たちがずっと守っていけばいいわ。ね? そうでしょ?』
虚をつかれたように、ニコルは呆然とする。
『ほら、ニコル。あなたの娘を抱いてあげて』
『あ……』
ディオナは身体を起こし、ニコルのそばに寄ってニナをそっとニコルに抱かせた。
『あぁ……』
ニコルの目に涙がにじんだのがここからでも分かった。
『あぁ……僕たちが守るよ、ニナ。成長できなくても……ずっと』
**
景色はまた切り替わる。
しばらく時間が経過したようだ。
ディオナの姿には変わりはないが、ニコルは先程の姿と比べると随分と老けたように見える。それでもまだ中年手前ぐらいだろうか。
場所はやはりオデットの家。
木窓が閉め切られていることからもう夜なのだろう。ニナはそこにはいない。別室で寝かされているのだろうか。
『……マズいのう』
食卓に座っているオデットが腕組みをしながら唸っている。
『……いずれは、分かる事だったさ』
ニコルはやはり難しい顔をしている。何が起きたのだろう?
『僕は妖狐じゃない。人間だ。とてもじゃないが、ニナよりもずっと早く死ぬ。まして……澱みに浸食され続けている以上、もう残り時間は少ない』
俺はそれでようやく理解した。
ニナは、断片の父親がいないと澱みを溜め込んでしまう。しかし、ニコルは遅かれ早かれニナの前からいなくなってしまう運命だったのだ。
『僕が死んだら、ニナは……ッ! せめて、ネルがここに常駐できれば……』
そうだ、ネルも断片だ。父親じゃなく、ネルもその役の代わりは出来る。
『生憎、無理だよ。ボクにはボクの仕事があるからね……ニナよりも重要な、ボク達の本来の役目がさ』
そう言ってネルはじろり、とオデットを睨んだ。オデットもまたネルを睨み返す。
『放浪娘が何を言うか』
『少なくともボクは計画を破綻させるようなことまではしてない。ボクはボクで、出来る事をしてるだけさ……真の断片なんてアホらしいからね』
唐突に俺の話らしきものが出て驚く。が、本題ではなかったらしく2人はため息をついてその話を切り上げた。
『……やっぱり、行くしかないわ。外には……ニナを救う手段があるんでしょ、ネリー』
『あぁ……調べはついてるよ。神殿の奴らが残滓を隔離してる施設に、澱みを吸収する魔道具がある。超強力な代物がね。おかげで施設の範囲に踏み入れただけで気分悪くなっちゃったよ』
とてもじゃないが運ぶなんて無理だね、とネルはお手上げのポーズを取った。
だが、そんなものがあったのか。
それがあればニナの澱みの問題は解決する。持ち運ぶだけで澱みが自動的に吸収されるのだから、近くに断片がいなくてもレベルアップや進化が可能になるだろう。
だが、唯一この迷宮を出入りできるネルには運べない。澱みを吸収され続けるというのは生命力を吸い上げ続けられるのとおなじこと。つまり、死ぬ。
『ネリーに無理なら、やっぱり私たちが行くしかない』
『ボクは反対だ。そもそも君たちがあの迷宮を抜けられるのか!』
『突破するのよ。お母さんはここを離れられない。だったら、次に強い私とニコルで行くしかないでしょ。ね? お母さん』
お母さん、と呼ばれたオデットは腕組みをしたまま顔をしかめていた。
『……ニナのことを考えれば、行かせたいのはやまやまじゃがな』
『オデット! 君、ジュンヤとの約束はいいのか! 迷宮を突破するってことは出口のシステムが作動する。神国の奴らに出口の場所がバレるってことなんだぞ……真の断片が来た時に支障が出るだけじゃない、最悪ここにまで攻め込まれるぞ!』
ネルが何を言っているか分からないが、言い方からしてこの迷宮は一回限りのものらしい。使い捨てなのだろうか。
『……すまんとは思っておるよ。じゃがな、ネリー。儂も……3000年も待つうちに変わってしまったのかもしれんな。今は……昔の婿殿の夢よりも未来ある孫の方が大事なんじゃよ』
オデットは柔らかく微笑んだ。ネルはその表情を見て、ショックを受けたようにたじろいだ。
『ッ……! そうかい、そういうことなら、止めないよ……ボクは、ここまでだ。ボクはこの3000年を無駄に出来ない』
すっ、とネルは踵を返し、出口に向かう。そんなネルの背中にディオナが声をかける。
『ネリー』
『ボクは迷宮の突破には協力しない。しないけど……出口のところで待ってるよ。神国の奴らを蹴散らすのぐらいは、手伝うさ』
そう言い捨ててネリーは家を出て行った。だから先程までループしていた映像にはもういなかったのか。
てか、やっぱあいつツンデレでは……? と思ったが口には出さないでおいた。
『やっぱ、ネリーはアレだな』
ふっ、とニコルも笑いをこらえきれなかったようで噴き出す。ディオナとオデットもまた、頬を緩めていた。
『……じゃあ、早速明日には出るわ、お母さん。急いだ方がいいと思うから』
『……うむ。必ず帰ってくるのじゃぞ。105階層はあの力任せな脳筋が設計した迷宮ではあるが、それだけにSランクのお主でも危険じゃ。いざとなったら帰ってこい』
命あっての物種だからの、とオデットは続ける。うん、とディオナは笑顔で頷いてそれから神妙な顔をした。
『……あのね、お母さん?』
『なんじゃ』
『ニナには……私たちがニナのために行ったって、帰ってくるまでは言わないで欲しいの。あの子、心配性でしょ? ただでさえ私たちがいない状況だと澱みを吸収してるから、すぐに心が壊れちゃうわ。適当な理由をつけといてくれる?』
オデットがついていた嘘すらも、ニナのためだったというのか。
やるせない気持ちになる。もう結末は知っている。この約束の結末は、知っている。
『うむ、分かった。帰ってくるまでぐらいなら誤摩化せよう』
『お願いね』
だが、この時の彼女たちはまだ知らない。
**
ここからはもう分かる。
『しばらく出かけるけど、いい子にしててね、ニナ』
『ちゃんとおばあちゃんの言うこと聞くんだぞ?』
『誰がおばあちゃんじゃ』
家の前での光景。オデットとディオナ、そしてニコル。そして、オデットの腕の中で震えている子狐のニナが会話している。
『……本当に、行くのじゃな』
『うん、だって……このままじゃ駄目でしょ、お母さん』
もう何を言うのか分かる。
『ニナのためだから』
結局、この両親はニナのために動いていた。
ずっとニナの事を考えていて、ずっとニナのことを——。
『そうか、なら……仕方ないな』
『うん、お母さん……じゃあ、行ってくるよ。じゃあね、ニナ……』
『……大好きよ、私たちの可愛いニナ』
——愛して、いたのだろう。
景色が崩れていく。
これが真実。ニナの記憶の真実。
そして……ニナを心配させまいとつかれた嘘は結局145年の間続く事になる。
ディオナとニコルは迷宮を越えられなかった。それほどに、105階層は熾烈だったのだろう。
ネルはおそらく、いつまでも出てこない2人を待ち続けていたのだろう。いつ、彼女は2人の死を悟ったのだろうか。
そして、ニナは145年間苦しみ続ける事になった。オデットを恨み、両親を恨み、村人とも壁を作る事になった。
これは、誰も悪くない物語だ。
誰も悪くないのに、皆が不幸になってしまった物語。
どこに、救いがあるというのだろう。
「う、うぁあ、あ、あぁ……」
泣き声がする。
横に立つニナが、大粒の涙をボロボロこぼしながら大声で泣いている。
「お母さんっ……お父さん、う、ひっく、ぁあ、あぅう」
彼女はもういない両親を呼ぶ。切なくなった。こんな現実があるかと、何かに当たりたくなった。
だけど、それは俺の思い過ごしだった。
「私ッ……、思いも、しなかった、ふたりのこと、恨んじゃった、憎んじゃった……ごめんなさい……オデット様……おばあちゃんにも、冷たく当たっちゃった、ひっく、う、ごめんなさい、お母さん、お父さん、おばあちゃん……!」
彼女は、謝っていた。この救いようの無い結末を見ても、ただ自分の事を愛していた人たちの事を思って涙を流していた。
多分、この子は俺よりも強いのだ。
すぐ泣くし、すぐ抱きついてくるし、すぐにしょんぼりするけど、この子は俺よりもずっと強い。
「ごめんね、ごめんね、ひうっ、う……」
ずっと、心が強いのだ。
「ありがとう……うぁ、ああぁん、お母さん、お父さん、ありがと、うぅ、う、うぇええ」
救いは、無いわけじゃなかった。
決してハッピーエンドじゃないけれど、それでも、涙を流す隣の少女の表情は決して絶望じゃない。
だから、今のところはこれでいいのだ、きっと。
実際のところ、答えはほとんど閑話1の時点で語られていたりします。
というわけでニナの過去編はこれで終了となります。次回からは迷宮編、ラストスパート。




